• 海の日々

    「お疲れさまです」「お世話になっております」「お先に失礼します」
    「恐れ入ります」「頂戴します」…。
    仕事をするようになると、
    学生の頃にはあまりなじみのなかった、
    いわゆるオフィス用語というのを使うようになります。
    その数は数多ありますが、社会人になって間もない頃でしょうか。
    「ゴールデンウィークはどうするの?休めるの?」「暦通りです」
    という先輩たちの会話を聞いて、
    何でもない社交辞令が大人っぽく聞こえるなー、
    と思ったことを覚えています。若かった、わたしも。
    かっこよくないですか、「暦通りです」って。
    すぐに覚えて、ことあるごとに使うようになりました。
    暦通りに過ごした今年のゴールデンウィーク明けは、
    月曜日スタートでした。5営業日(これもオフィス用語です)フル稼働です。
    なかなか容赦ないものです、暦というものは。

     

    そんな連休の後半に、久しぶりに東北道に乗って、
    栃木県大田原という場所に行ってきました。
    唐突ですが、クイズです。
    栃木県、群馬県、埼玉県、長野県、山梨県、岐阜県、滋賀県、奈良県。
    この8つの県の共通点は?
    簡単ですか。そうですか。
    この8つの県は海に面していない内陸県、いわゆる海なし県です。
    わたしが訪れた大田原のあたりは、生きていくんだそれでいいんだ、
    という感じの田園地帯がひろがるのどかな場所でしたが、
    瀬戸内海に面した西の街に育ったわたしには、
    「田んぼばっかの田舎じゃん」という感想しかありませんでした。
    失礼ですね。栃木と群馬と茨城の区別もつかないし。
    それはまあ、中国地方になじみのない人が、
    鳥取と島根の位置関係に戸惑うのと同じで、
    「なんでそんなことも知らないの」とディスっても、
    お互い嫌われるだけですから慎みましょう。

     

    しかしいいですよ、海が身近にあるというのは。
    県民バトルのような企画で、
    たとえば埼玉と千葉ではどっちが好感度が高いか、
    という話になった時のアピールポイントとして
    「千葉は海があるからいい」というような主張があります。
    どっちが好感度が高いかはともかく、
    一年中おだやかな瀬戸内海を眺めて暮らしていると、
    気候のように、穏やかで柔和な人間が育つと思います。
    日本海を眺めていると陰気で内向的な人間が育ち、
    太平洋を望んでいるとアバウトでいい加減な人間が育ちます。
    すいません、偏見です、すべて。

     

    海なし県栃木には、いたるところに道の駅があり、
    道中で買った旬の野菜はどれも安価で美味しく、
    茹でただけ、切っただけで、季節の滋味をたっぷりと感じることができました。
    やはり、きちんとした食事をとり、与えられた仕事を丁寧にこなし、
    ぐっすりと眠る、生きていくんだそれでいいんだ、ってことでしょうか。
    そういえば、一泊二日を共にした旅の同行者に、
    「ジェーン・スーに似てる」と言われました。何がって、声がです。
    容姿も似ているんでしょうか。うれしくはありませんが。
    ちなみにあちらの方が年下なので、
    もしそうだとしたら、あちらがわたしに似ているんですが。

     

    それではここで1曲聴いていただきましょう。
    サザンオールスターズで「海」。では、また来月。

  • 痛い日々

    ブルゾンちえみのおもしろさがまったくわからないまま、
    新年度に突入してしまいました。
    彼女のメイクやしゃべり方の感じが、
    大学の時の同級生に似ているからでしょうか。
    with Bの向かって左側の金髪の人が妹のダンナに似ているからでしょうか。
    いえ、ただ単にわたしが年をとったからなのでしょう。
    新しい文化や風俗が出現しても受け入れられず、
    自分の時代の似たような何かにあてはめて、つい文句を言ってしまう。
    何でも素直に受け入れられる柔軟な精神がほしいものです。
    つい最近も、「あれって戸川純じゃん」と言ってしまいました。
    誰について語っていたかは内緒です。

     

    柔軟な精神の欠落した肉体は凝り固まっていて、
    いつもからだじゅうが痛いです。
    いま“痛い”と打ったら“遺体”と変換されてしまいました。
    からだじゅうが遺体、それはただの死体です。
    つい先日、首から背中にかけての痛みに堪えかねて、
    生まれて初めてMRI検査を受けました。
    ブルゾンちえみを受け入れることができなくても、医学の進歩は受け入れます。
    噂には聞いていたMRIですが、ゴーンゴーンと言う大きな音を聞きながら、
    あの棺桶のような狭い空間の中で15分じっとしている、というのは苦行でした。
    というか、最初は心の準備ができないまま、中に入ったので、
    ビビっていじいじと動いてしまい、看護士さんにダメ出しをされ、
    「無理なら中止しますか?」と、叱られました。
    そして冷や汗を流しながら検査を終え、「頸椎椎間板症」との診断を受けました。
    ここ数年の首や背中や腰の痛み、手指のしびれは、
    頸椎の椎間板が圧迫されるために起こる不調だということでした。
    医学の進歩のおかげで病名はつきましたが、特に治療法もなく、
    老化なのである程度は仕方がないし、PCやスマホをいじっているのもよくない、
    ということでした。
    つまりはどうしようもない、ということです。

     

    この前、新年度を迎えて最初の日曜の夜に、
    『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』を見ていたら、
    松本人志が、自分はこれまでに一度も人間ドックに行ったことがないし、
    これからも行く気はない、というようなこと語っていました。
    その是非はともかく「たとえ昨日までの検査で何もなかったとしても、
    今日から病魔に冒されるかもしれない。
    だとしたら毎日検査し続けなければならない。キリがないから」
    という行かない理由には、わたしもまったく共感するところで、膝を打つばかりです。
    病院なんて行きたくないんです。不調でない限りは。

     

    しかし、今日も相変わらず背中が痛いです。
    もうこれからは、だめウーマン、ブルゾンあけみとして生きていきます。
    with Bも募集中です。
    痛みがひどくて、オチでかっこよく膝に座ることができないと思いますので、
    介護のつもりでお願いします。
    今年も35億のうちの幾人かが新入社員として入社しています。

  • 期限の日々

    2016年の大晦日、出かける予定があったので、
    年末にHDDを買いました。
    リアルタイムで視聴することのできない「紅白歌合戦」を録画するためにです。
    それまで我が家には何年か前に壊れてしまったプレステしかなく、
    テレビ番組を録画できない状況にありました。
    どうしても観たい番組があれば、その時間に家に帰るか、
    ネットに落ちている動画を探すしかありませんでした。
    流行っているドラマや歌番組も、
    平日に放送しているものはほとんど観ることができないので、
    ネットやSNSの評判を見ては、
    何となく知ったようなことを言ったりしていました。
    本当にちゃんと観ていたのは日曜日の「真田丸」だけでした。すいません。

     

    今さらHDDを手に入れて、
    2017年のわたしのテレビ視聴環境は大きく変わりました。
    今までは気にしなかった番組表を眺めては、
    いくつかのドラマや気になっていた番組を録画予約して観ています。
    その中のひとつに、
    東村アキコのコミックが原作の「東京タラレバ娘」があります。
    アラサーの三人娘が、夜な夜な居酒屋に集まってクダをまき、
    “あの時ああしてタラ”、“こうしてレバきっと”と
    嘆いたり悔やんだりしながら、
    2020年の東京オリンピックまでに理想の恋人を見つけよう、
    というのが大体のストーリー。

     

    2020年の東京でのオリンピック開催が決まったのは、
    2013年のことで、当時それは “7年後”のことでした。
    そして月日は流れ、
    それは今からもうわずか“3年後”のことになってしまいました。
    期間限定で彼氏を見つけるのに、ちょうどいい絶妙な時間軸です。
    3年という区切りは。
    吉高由里子や榮倉奈々や大島優子がモテないわけない、
    という突っ込みはさておき。

     

    時を同じくして、
    CSの日本映画専門チャンネルで「想い出づくり。」という
    ドラマが放送されています。
    脚本は山田太一で、
    あの名作「ふぞろいの林檎たち」よりも以前の1981年に放送。
    噂には聞いていましたが、わたし自身は観るのは初めてで、
    実家にいた頃、大人びた同級生が
    “「想い出づくり。」がおもしろいけー、見てみー”と言っていたのを
    よく覚えています。タイトルに句点がついているのも昭和っぽい。
    あの頃は、テレビも一家に一台、ましてやビデオデッキなど非常に高価で
    一般家庭にはほとんど普及しておらず、
    ゴールデンタイムには、家族揃ってリアルタイムで同じ番組を観るか、
    イヤなら部屋でひとりでマンガでも読んでいるしかありませんでした。
    今を生きるみなさんは、
    ネットに何でも落ちている幸福をもっと噛み締めた方がいいです。

     

    「想い出づくり。」が、このタイミングで放映されているのは偶然でしょうが、
    古手川祐子、田中裕子、森昌子(若い方向けに説明するとすれば、
    ワンオクTAKAのお母さんです。今の彼はこの頃の森昌子によく似てます)
    という、当時の三人娘が
    「もう私たち23歳(当時は23ぐらいで焦っていたんです)になっちゃう。
    結婚するまでにいい想い出つくりたい」と、
    要するにタラレバ言いながら、右往左往しているドラマです。
    そう、1981年も2017年も、たとえ36年たっても、まったく同じ。
    みんな自分に賞味期限をつけて(またはつけられて)、
    勝手に泣いたり笑ったりしていたのです。

     

    かくてHDDの中のデータは溜まる一方で、
    そのために買った、去年の「紅白歌合戦」も観ていないし、
    木村拓哉のドラマももう何話分かが溜まり始めました。
    大河ドラマも録画はしていますが、1話も観ていません。
    村上春樹も読まなきゃいけないし、「LA LA LAND」も観なきゃいけない。
    何せ人生自体が期間限定なので、時間がないのです。
    命短し恋せよタラレバ娘、
    人生はおばさんになってからの方が長い、
    ということを頭の片隅に置いておいてください。

     

    そしてわたしが本当にしたかったのは、毎週欠かさず観ている、
    何なら同じ回を2回観ることもある「カルテット」の話です。
    高橋一生の魅力大爆発、
    おそらく36年後の「日本映画専門チャンネル」で放送されるであろう、
    このドラマについて次回語ります。多分。期間限定で。

  • ブランドの日々

    わたしがまだ幼稚園にも行かない幼い頃、
    父は「いすゞ」という自動車メーカーで乗用車の営業マンをしていました。
    その頃、わたしたち家族4人は西武新宿線の沼袋に住んでいたので、
    多分休日か何かだったのでしょう、
    環七を下って高円寺の先の堀之内あたりにあった父の会社に出向き、
    環七をはさんで向かい側にあった公園で遊びながら
    父を待ったことを覚えています。
    当時父の乗っていた車の助手席の三角窓から眺めた、
    鋭角的な東京の空のことをぼんやりと覚えています。

     

    「いすゞ」の車に乗っていた、
    我が家の電化製品は「ナショナル」でした。
    東京から広島に引っ越してからも、
    近所のナショナルの電気屋さんと懇意にしていて、
    カラーテレビも冷蔵庫も洗濯機も掃除機も扇風機も
    電子ジャーもポットもトースターもアイロンも、
    ありとあらゆる家電にナショナルのマーク(ロゴなんて言葉は知りません)が入っていました。
    東芝も三菱も三洋も、他のメーカーの製品は
    我が家には何ひとつありませんでした。
    茶の間に貼ってあったカレンダーだって、
    毎年電気屋さんからもらった名前入りのものでした。
    今は亡くなった父が晩年ひとりで暮らしていた実家にも、
    最後まで同じ電気屋さんのカレンダーがかかっていました。

     

    中学に入って、英語の勉強をするという理由をでっちあげて
    ラジカセを買ってくれと頼んだ時に手に入れたのも、
    その電気屋さんから届いたナショナルの製品でした。
    SONYとかAIWAに憧れていた田舎の中学生は
    「ださいなー、またナショナルかよ」と思いながらも、
    自分で手に入れるだけの財力はないので、
    そのラジカセでラジオの深夜放送を聴いたり、
    友だちから借りたLPレコードをカセットテープに録音したりしていました。
    英語の勉強に使ったことはありません。
    昨年の暮れ、池袋パルコで開催された『大ラジカセ展』という催し物を
    見に行った時、歴代の名機の中にひっそりと並んでいた
    まさに中学の時にわたしが持っていた「ナショナル」のラジカセを発見して、
    こっそりとスマホのカメラで写真を撮ったことは秘密です。

     

    ラジカセで深夜放送を聴きながら、アイスクリームを食べるのが好きでした。
    親が買ってきたアイスを食べるしかなかった小学生の頃は
    「雪印」のバニラブルーという
    50円ぐらいのカップに入ったバニラアイスばかり食べていました。
    そう、「いすゞ」、「ナショナル」に続いて、
    我が家の乳製品はバターも、牛乳も、
    出始めたばかりのクリスマスのアイスケーキだって、「雪印」オンリーでした。
    自分のこづかいでアイスを買えるようになった頃、
    雪印からバニラアイスの中に赤や黄色に着色された氷の粒が入った『宝石箱』、
    というシリーズが発売されました。
    今思えば、別にどうってことない組み合わせですが、
    ネーミングやパッケージなどの効果もあり、
    当時のJCの心をつかむのには十分でした。
    しかもバニラブルーが50円だったのに、宝石箱は100円ぐらいした高級品。
    今でいうプレミアム商品です。
    当時全盛期だったピンクレディーがCMキャラクターをつとめていて、
    大ヒット曲『UFO』を歌いながら“宝石箱だぞっ”と宣伝していたのです。
    それが今の「UQモバイル」のCMにつながっています(途中からは嘘です)。

     

    そして、「いすゞ」はとうの昔に乗用車の生産からは撤退し、
    「ナショナル」は「パナソニック」に変わり、
    「雪印」はなんだかんだで「雪印メグミルク」に落ち着いています。
    わたしが今でも何となく、こういった昭和のブランドが好きなのは
    三つ子の魂なんでしょうか。
    しかしもうあの頃の両親のようなこだわりもなく、
    雑多なロゴの入った商品に囲まれて、あくせくと暮らしています。

  • 正月の日々

    また新しい年が始まってしまいました。
    2017年、平成29年、酉年です。
    新年早々、ちょっとした書類に日付を記入する時に既に間違ってしまいました。
    みなさんも、気をつけてください。
    ちなみに昭和だと92年、大正だと106年、明治だと150年だそうです。

     

    ここまで昨年1月とまったく同じ書き出しです。
    年号などを変えただけです。もう何もかも面倒になってしまいました。
    そんな体たらくな年の初めです。
    しかし平成も29年を迎えるとは。平成生まれも29歳になるとは。
    わたしは自分のことを間違いなく昭和の人間だと思っていますが、
    算数的に考えると、昭和より平成の方を長く生きてしまっています。
    この正月休みにだらだらと見ていたテレビに、
    昭和の歌謡曲を振り返る的な非常に好みの番組があったのですが、
    画面に映し出されるデジタルリマスターされた
    美空ひばりの最後のコンサートシーンを見て、この時の美空ひばりと
    今の自分の年齢が近いことにあらためて悄然としました。
    なんという風格、なんという歌唱力。
    しかしこのコンサートからほどなくして、彼女は亡くなります。
    新年早々、辛気くさい話ですいませんが、
    「門松は冥土の旅の一里塚」、とも言います。
    わたしもあと何度正月を迎えられるかわかりません。
    まあそれはともかく、こういう圧倒的な才能みたいなものを持った芸能人が
    平成の世にも現れないかな、と思います。

     

    昭和だの平成だの、元号とか年号とかを改めて考えてしまう年の始めですが、
    この1月2日、わたしたち夫婦は思うところあって、皇居に出向きました。
    そうです、生まれて初めて一般参賀に参加したのです。
    近くで働いていながら修学旅行でしか行ったことのなかった二重橋の奥に
    何十年かぶりに足を踏み入れたのです。
    そんな心境になるなんて我ながら年をとったなあと思いますが、
    自分自身の鍵を開けて、
    背骨のようなものを確かめたい気持ちになったのです。
    皇居前広場には本当に大勢の人が集まっていました。
    ボランティアの方に渡された日章旗を手に、
    念入りなセキュリティチェックの後
    (ちなみにペットボトルは没収されますので気をつけてください)、
    二重橋を渡り、列を成して進みます。
    この日、お出ましになるのは5回ということで、
    わたしたちは4回目の午後1時半からという時間に間に合いました。
    テレビで何度も見たことのあるあの場所(長和殿と言うそうです)を
    目にした時は、
    おおっ、という気になりました。
    それから1時間あまりを立ったまま静かに待ち、陛下をはじめ、
    皇族のみなさまがお出ましになった時には、
    何とも言えない気持ちになりました。
    ふさわしい言葉かどうかわかりませんが、感動しました。
    お言葉を聞き、お顔を拝見できた時間は
    わずか5分足らずではありましたが、貴重な体験だったと思います。
    また列を成して、わたしたちは乾門から退出し、北の丸公園を通って、
    九段の方に向かい、帰路につきました。
    退位の問題などもあり、そういう心持ちになった人が多かったのでしょうか、
    今年の一般参賀の参加者は9万6700人、
    平成で2番目に多い人数だったそうです。

     

    そして一般参賀の翌週、
    政府が平成31年の1月1日から元号を新しくする検討に入ったという報道がありました。
    いよいよ平成も終わるのでしょうか。
    わたしも昭和、平成、そして新元号を生きることになるのでしょうか。
    一般参賀に出向いてよかった、と思いました。

     

    あけましておめでとうございます。
    今年もよろしくお願いします。