ドラクエの日々

1989年の暮れ、というよりも平成元年の暮れ、と言ったほうが、

ある種のイメージを伴って語ることができるのですが、

わたしは有楽町線で池袋駅から3つ目の小竹向原という駅の

6畳と3畳ぐらいのキッチンと申し訳程度のバストイレのついた

家賃4万5千円の小さなアパートで

ファミコンのゲームばかりしていました。

今の言葉ならネトゲ廃人とでも言うのかもしれませんが、

もちろん当時はインターネットなど影も形もなく、

オンライン上で見知らぬ人とやり取りをせずとも、

ただただひとりで朝から晩まで

「ドラゴンクエストⅢ そして伝説へ」を攻略していました。

大学を卒業していたもののきちんと就職することもなく、

知り合いのツテで出版社や編集プロダクションでアルバイトをしたりしながら、

何年かふらふらとその日暮らしのように生きていて、

それでも若さゆえか、将来に不安もなく、それどころか何の根拠もない

自信のようなものを持て余しているぐらいでした。

1日中ドラクエⅢをやっていた頃は、まったく仕事もなく、

お金もなく、もちろん貯金もなく、

当時いっしょに部屋にいた人がきちんと働いていたので、

その収入でなんとか食べさせてもらっているという体たらくでした。

 

レベル上げにも飽きると、「ドラクエⅢ」で初めて出てきた

勇者たちを乗せて鳥のように空を飛んで移動できる生き物

“ラーミア”のテーマソングを、

当時使っていたパイオニア製の白い留守番電話に入れる

メッセージのBGMにしようと、

何度もラーミアに乗ってはテレビのスピーカーからその音を流しながら、

設定を試みたものです。

“ただいま外出しております。

ご用のある方は30秒以内にメッセージを吹き込んでください。ピーッ”

という自分の声の後ろに流れる、もの悲しいラーミアのテーマ。

わたしはこの曲が好きでした。

当時まだ生まれていない20代の方は

何のことやらさっぱりわからないかもしれませんが、

そういう道具があり、そういう作業が必要だったのです。

そういう時代だったのです。

そしてとにかく、わたしは恐ろしくヒマを持て余していたのです。

平成元年の暮れのことです。

 

当時いっしょに部屋にいてきちんと働いていた人が、

朝、仕事に出かける時に、

わたしはファミコンのコントローラーを持って

テレビ画面を見つめ背中を向けたまま送り出していました。

そしてその人が仕事を終えて夜遅く帰ってきた時にも、

まったく同じ姿勢でいる、という状態が何日も続いていた時に、

それまであまり面倒なことを言わなかった人が

「働いたほうがいいいんじゃないの」と、わたしの、

その頃はまだ薄っぺらかった背中に向かって、つぶやきました。

 

そうして深い沼の底にいたような日々から目覚めたわたしは、

新聞の求人情報を探して、手書きの履歴書を何枚か書き、

面接用のスーツを買い、都内を走るさまざまな鉄道に乗り、

いくつかの面接や、数度の手続き終えて、

年が明けた平成2年1月8日から、

銀座1丁目にある会社でコピーライターとして働き始めました。

就職活動中の面接や採用の結果を知らせてくるメッセージは、

ラーミアの留守番電話が受け取ってくれていました。

平成2年と言えばちょうど1990年、

そう、この2020年1月8日で勤続30年が経ったのです。

 

世の中は令和になって、あれから本当に長い月日が経っているのに、

まだラーミアに乗ったばかりで、見知らぬ大陸を見下ろしながら

行ったことのない塔やお城をながめているだけのような気もします。

ちなみに1989年にいっしょに部屋にいた人はその後、夫になりました。

わたしのRPGはどこまで続くのでしょうか。

ルーラを唱えたら、いつか訪れた街に戻れるでしょうか。