• さよなら皆様

    世界は一瞬で変わってしまう。

    そんな恐怖を肌で感じている今日。

    最終回のトレースでせめて厄災除けを。

    ディストピアみたいな書き出しになってしまった。

    それもまた現在、なのだと思う。

    これで最終回。

    すごく感傷的な気分になってしまった。

    2010年、入社して数年の頃。

    赤ちゃんみたいな頃(言い過ぎ)。

    怖いもの特になし!みたいな筆付きで

    わたしは自分のことばかり(宝塚のハマるのは2011年)書いている。

    感じたこと考えたこと、好きなこと嫌いなこと。

    自己中心的でばかっぽいし恥ずかしい。

    でも、若くて、何より元気だ。

     

    昔からしゃべる声が大きくて、うるさいと怒られていた。

    今も口だけはよく言うよね、みたいに怒られる。

    なんにしても怒られるけど、声をださないと届かない思いもある。

     

    最後に何を書こうか迷って

    第1回めのコピペにアクセスしたら、

    そこにいた。

    姿はないけど筆致から確かに存在を感じた。

    コピペをやってきてよかったと思った

    初めての瞬間かもしれなかった。

     

    ねぇがんばってよ、10年後のわたし。

    わたしと10年後のわたしは続いてるんだから。

    10年前のわたしはそう必死に言ってるみたいだった。

     

    だれかのためのコピペじゃなかったけど、

    やっぱり自分のためにコピペはあったんだ。

     

    PVもとくに気にせず

    What to sayもHow to sayもうっちゃって

    ただ書きたいことを書きたいように書いたこの場所は、

    ネットの海に静かに沈んでいくだろう。

    ときどき潜ってみると初心にかえれるかも。

     

    おや、どこからか音楽が。

     

    さよなら 皆様

    さようなら ごきげんよう

    楽しい思い出 心に秘めて

    お別れいたしましょう

    また会うその日まで

     

    清く正しく美しく朗らかに、

    これからもことばとともに生きていきます。

     

    本日でコピペは終演いたしました。

    ご愛読まことにありがとうございました。

  • タメ口推奨(あと、ことばのこと)

    わたしの愛する宝塚も公演中止に追い込まれてしまった今日この頃、

    みなさんいかがお過ごしでしょうか。

    なんとなく戦時中(経験したことはないですが)みたいな

    ものものしさがあって、いやだなと思っています。

     

    向田邦子という昭和の(!)すばらしい作家が書いたドラマのなかで、

    「ぜいたくは敵だ」という看板がでてきます。

    日本が戦時していた頃のスローガンですね。

    ドラマのなかで主人公の女性はその看板を見て、一字、書き足しました。

     

    「ぜいたくは敵だ」と。

     

    劇場から、美術館から、街から、

    人がいなくなっていくのはやっぱりどこか異様に感じます。

    でも、私たちは、はじめ異様だと思ったことも、不自由に感じたことも、

    なんとなく慣れていってしまう。

    そんななかで、向田邦子という作家は、

    ことばを生業とする、ことばを生きたものとして使うこの作家は、

    敵を「素敵」にして、その空気に抗おうとしました。

    向田邦子の気概を、いま、わたしも持っていたいです。

     

    高校生の頃の話をします。

    わたしは、いわゆる体育会系の運動部に入っていました。

    1年生がすべての雑用を担う、年功序列の最たる組織。

    たとえば、先生や卒業生が体育館に現れたら、

    コートの半分を仕切るネットをダッシュで開けにいくのも1年生の仕事。

    ネットがそのままだと、

    先生や卒業生が頭を下げながらコートに入らなければならないからです。

    気がつくのが遅いと、先輩に「ネット!」と一喝されました。

    さらに問題なのは、先輩がダッシュでネットを開けにいってしまうこと。

    べつに誰が開けてもいいネット、

    べつに誰もが頭をさげて入ればいいコートです。

    そういうおかしなルールが、体育会系の部にはいくつか存在しました。

     

    そんなバリバリ体育会系1年生の頃、

    ひとつ上の2年生の先輩に、仲のいい人がいました。

    その先輩は体も大きくテクニックもあり、とても優秀なセンターでした。

    わたしはというと、背が高いわけでもないのに走るのが嫌で

    センターというポジションを希望した、ただの“スラムダンク憧れ”。

    バスケットボールは5人対5人のスポーツで、

    コート上ではポジションが同じ人と1on1の関係になります。

    わたしは、同じポジションということで練習中にその先輩と1on1することが多く、

    さらに今では考えられないことですが、

    始発で(!)いつも一番乗りして自主練する頑張り屋さんだったので、

    同じく朝練に来ていた先輩とよく会いました。

     

    「朝早くから、すごく練習してるね」

     

    先輩がそう言ってくれて、嬉しかったのを覚えています。

    生意気な後輩だったからだと思いますが、

    先輩が優しいのをいいことに、わたしはいつからかタメ口をききはじめました。

     

    ここでみなさんに質問が。

    タメ口って、いいものでしょうか? それとも、わるいもの?

    いいもわるいもない、その人同士の関係が決めることじゃん。

    そうですね。

    それだけのことです。

     

    だからまぁここまで書いてきて、あ、これって、

    書くほどのトピックではないのかな!?とあわてているのですが

    ま、タメ口って、友達のように親しく話すということで、

    最低限のマナーをわきまえないとか、

    失礼な物言いをすることではないんですよね。

     

    後輩が先輩にタメ口をきくことは、

    運動部の上下関係ではイレギュラーだったかもしれませんが、

    人と人として、お互いが敬愛の念をちゃんと持っている仲であれば、

    べつになんでもないですよね。

    敬語を使っていても、人間関係として最悪な場合だってありますし。

     

    その先輩が引退するとき、

    「あなたのことばがいつも嬉しかったし、楽しかった。ありがとう」

    と手紙に書いてくれました。

     

    気持ちが伝わるって、いいな。

    ことばが温度を持つって、いいな。

    そう感じた思い出です。

     

    あ、わたし自身は、

    後輩にめちゃくちゃ慕われるお姉さんタイプではないのですが……(笑)

     

    さて、次回なんと最終回のコピペ。

    みんながどんな内容を書くのか、今から楽しみです。

  • 検索の罠

    冬は、海外旅行が安いです。なんせ寒いから。

     

    この間、海外旅行に行く母のために、

    Aという国のオペラ座公演のチケットを入手しようと、

    インターネットで検索していました。

     

    海外旅行のリアルな情報については、

    『地球の歩き方』(タイトルが最高)が有名ですが、

    今は個人ブログのほうが詳しく書かれていたりします。

    わたしも、昨年の秋にロンドンへ旅行した際、

    事前にさまざまな個人ブログを読んでから行きました。

     

    同じように、今回も、Aという国のオペラ座のチケットの取り方、

    実際のオペラ座劇場内の様子をレポしたもの、と、いろいろブログを開いてみました。

     

    わたしはそこで、オペラ座の公式HPがあること、

    チケットはオンライン予約でき、席も選べることを理解しました。

     

    ブログの記事というのは、いつ書かれたものかによって、

    情報が不正確なときや、曖昧なときがあります。

    あくまで個人が体験した情報であり、その情報をどう信じて使うか、

    つまりリテラシーは検索する側の知識にかかっています。

     

    わたしは、「A(都市名) オペラ座  公式」でヒットした、

    検索結果で1番上にきたページを開きました。

    そのサイトは日本語に対応していました。

    観たい演目に進み、席を選びます。

    ただ、ほかのブログで書かれていたように座席表から席を選ぶことができません。

    ここで、「おかしい、公式とはちがうサイトなのではないか」

    という心配が一瞬、頭をよぎりました。

    虫の知らせみたいなものでしょうか。

    でも、サイトの上部には「チケットの品質保証マーク」がついています。

    わたしは自分の心配をおしとどめました。

    一緒にサイトをのぞいて母に、「とっちゃおう!」と明るく背中をおされ、

    オンラインで4つの演目のチケットを購入しました。

     

    そう。ここまで書けばおわかりかと思いますが、

    このサイトは、公式HPではなかったのです。

     

    あとで冷静になって振り返ると、

    ・個人ブログでリンクが貼られていたページとドメインが違う

    ・サイトの見た目がぜんぜん違う

    ・公式サイトなら選べるはずの席が選べない

    ・公式サイトでは対応していない(以前は対応していた)はずの日本語に対応している

    等々…なぜそのサイトを選んだ?という相違の数々。

     

    ただ、不幸中の幸いで、わたしがチケットを購入したサイトも、

    正規のチケットを取り扱うところだったのです。

    わかりやすく言えば「手数料を+30%取るぴ◯」みたいなサイトでした。

     

    そのあとで(簡単に!)たどり着いたオペラ座の“本当の”公式HPでは、

    もちろん席が選べました。大ショックです。

    オペラは一番席が高いのですが、公式HPはもちろん定価で手数料なし。

    くだんのオンラインチケットサイトで買ったチケットは、

    4000円ほど手数料が上乗せされていました。大ショック30%増しです。

     

    母に事情を話すと、

    でも事前にチケットが取れてよかった、ありがとう、と言われ、

    まぁお正月明けだったからしょうがないよね〜、となぐさめられました。

     

    お正月明けに風邪を引く人が多いのも、

    年末の慌ただしさで張りつめていた糸がゆるみ、

    人間のバイオリズムを狂わせるからなのでしょうか。

    セールがお正月明けなのも、

    年末まで抱え込んだストレスから解放したところで、

    財布のヒモをゆるめるためなのかもしれません。

     

    わたしは大学生の頃に、一度、母と父とそのオペラ座を訪れたことがあり、

    何年も前ですが、そのときはちゃんと、

    日本から公式HPにアクセスし、チケットを買っていたのです。

    今ほどは公式HP以外のオンラインチケットサイトが豊富ではなかったので、

    ほかのサイトに迷いこむことなく、公式にたどり着けたのでしょう。

    えらいよ、あの頃のわたし…。

    当時のほうが情報や選択肢が限られていたので、

    間違えようがなかったのですね。

     

    現在、インターネットには何億というページがあると言われています。

    今回の件でわたしが学んだ教訓ですが、

    とくに海外のオンラインサイトに関しては、

    「検索結果で一番上にくるサイトをうのみにしない」

    「あれ?と思ったら一度やめて、冷静になる」

    「ブログをいくつか読んで最適解を探す」です。

     

    今年がはじまってもう1ヶ月が経とうとしています。

    先日、カラスに頭部をワサッとやられました。

    なんのけがもなく無事でしたので、

    これで厄落とししたということにしていいでしょうか。

    カァ。

  • オフライン

    この間、マーケティングのカンファレンスに行ったのですが、

    あるセッションで、

    モデレーター(司会者みたいな役割)の人が見せた資料に、

    どこかの店舗の写真が載っていて、「オフライン」と書かれていました。

     

    オフライン、みなさんはどういうイメージがありますか?

     

    La la la la la la la la la la…

    それはオフコース。

     

    インターネットが当たり前になってから、

    オンラインショップとの対になる言葉として、

    「オフライン」が使われるようになりました。

     

    オンに対するオフ。

    この言葉が200%拡大でわたしの目に飛び込んできて、

    そうか、オフか…としみじみ思いました。

     

    「リアル店舗」という言葉も、

    インターネット上で展開される店舗が

    一般的になってから言われ始めた言葉です。

    だって昔はリアルもなにも、

    店舗、と言ったら、現にその地面の上に立っている店舗しかなかったのですから。

     

    インターネットは、わたしたちの生活も思考も、

    そして言葉も変えました。

     

    「オンライン」がベースになった今では、

    リアル店舗はオフラインの産物であり、

    オンラインとオフラインをどうつなげていくか、が

    店舗経営の基本になっていくのです。

    オンラインを完全に無視することはもはやできません。

    オフラインでいく、という態度も、

    オンラインは方法としてあるけれどもあえてオフラインでいく、

    という決定の仕方になるでしょう。

     

    今でこそ、

    オフラインよりオンラインのほうが「後に出てきた」ことを憶えていられます。

    でも、10年20年経った時も、同じように憶えていられるか、

    あまり自信がありません。

    便利になると、昔の不便さをすっかり忘れてしまうものです。

     

    いま生きているこのオフラインの世界も、

    いずれ過去になり、遺物となり、

    未来のわたしオンラインに懐かしがられるかもしれません。

     

    今年最後のコピペでした。

    わたしも、みなさまも、良い年カモーンヌできますように。

  • #やばい #すごい #現代アート

    最近、美術展に行くと、セルフィーする姿をよく見かけます。

     

    六本木の森美術館に『塩田千春展』を観に行ったときのこと。

    場所柄もあり、外国人観光客がたくさんいました。

    展覧会は、写真可の展示スペースがたくさんあり、

    外国人観光客も、もちろん日本人も、思い思い写真を撮っていたのですが、

    わたしがある展示スペースで、

    真っ黒に燃やされたピアノのオブジェを見ていると、

    スレンダーな中国人女性が、そのピアノの後ろで立ったかと思うと、

    髪をかき上げて、めちゃくちゃポーズを「キメて」いました。

    イメージ的には、セレブがレッドカーペットでポーズを取る、ああいう感じです。

    それを高価そうなカメラでおさえる連れの中年男性。

    年の離れた夫婦か、もしくは、

    なんらかの利害関係のある男女(なんだそれは)だと思うのですが、

    中国人女性は、もしかしたらモデルさんだったのかもしれません。

     

    鑑賞する人にとって、アートは、

    鑑賞するものから、「私を映えさせるもの」へ変わったのです。

    拡散のためのツール。

    いいねのための背景。

    #ART #ピアノ #塩田千春 #真っ黒 #燃えてる

     

    わたしも、塩田千春の圧倒的な美術作品を眺めながら、

    それをスマホにおさめて、SNSにアップしました。

     

    また、べつの展示スペースでは、

    米津玄師似というか、RADWIMPS好きそうというか、

    川谷絵音っぽいというかなんというか、まぁざっくり「今っぽい」男の子が、

    張り巡らされた赤い糸のなかにうまい具合に立ち、

    横を向いて顔を少し上向きにしてポーズを取り、

    彼女らしき女性に写真を撮ってもらっていました。

    #ART #赤い #糸 #横顔 #米津玄師 #RADWIMPS

     

    「〇〇に行ってきた」ということをだれかに話すとき、

    写真がないと、説明が不十分な気がする。

    このうまく説明できないときに感じる不安のようなものは、

    いったい何なのでしょう。

     

    面と向かって話をするとき、

    会話は、空気を伝わって届く音のつらなりです。

    そこに視覚的な文字や写真は自動的には表示されません。

    発信する側のわたしが「スレンダーな中国人女性」といったとき、

    受信する側のあなたの「スレンダーな中国人女性」は、

    いったいどんな女性像でしょうか?

    像を結べない、イメージがない、という人もいるのではないかと思います。

     

    わたしたちは、ツイートの枠や、

    写真を追加することや絵文字が日常的すぎて、

    それなしで「伝える」ことが難しくなってしまったのかもしれません。

     

    何世紀も前、写真がこの世界に登場したとき、

    被写体となる人は「魂がとられる」と本気で心配したそうです。

    自分の似姿がそのまま別の機械をとおして現れることは、

    ここにいる自分がいなくなる・減ってしまうように思ったのでしょう。

     

    でも、それを無知だと笑うことは、わたしにはできないのです。

    自分の思いや自分の姿といったものは拡散できますが、

    多くの目に晒されることで、むしろ、

    自分というものが拡大するよりもバラバラになり、

    充実するよりも中心が空っぽになっていくような感覚は、

    過去の人々が感じた「魂がとられる」という恐れと、

    どこかつながっていると思うのです。

     

    すっかり秋ですね。

    今月は、会社からもほど近い三菱一号館美術館へ行こうと思います。