ブランドの日々

わたしがまだ幼稚園にも行かない幼い頃、
父は「いすゞ」という自動車メーカーで乗用車の営業マンをしていました。
その頃、わたしたち家族4人は西武新宿線の沼袋に住んでいたので、
多分休日か何かだったのでしょう、
環七を下って高円寺の先の堀之内あたりにあった父の会社に出向き、
環七をはさんで向かい側にあった公園で遊びながら
父を待ったことを覚えています。
当時父の乗っていた車の助手席の三角窓から眺めた、
鋭角的な東京の空のことをぼんやりと覚えています。

 

「いすゞ」の車に乗っていた、
我が家の電化製品は「ナショナル」でした。
東京から広島に引っ越してからも、
近所のナショナルの電気屋さんと懇意にしていて、
カラーテレビも冷蔵庫も洗濯機も掃除機も扇風機も
電子ジャーもポットもトースターもアイロンも、
ありとあらゆる家電にナショナルのマーク(ロゴなんて言葉は知りません)が入っていました。
東芝も三菱も三洋も、他のメーカーの製品は
我が家には何ひとつありませんでした。
茶の間に貼ってあったカレンダーだって、
毎年電気屋さんからもらった名前入りのものでした。
今は亡くなった父が晩年ひとりで暮らしていた実家にも、
最後まで同じ電気屋さんのカレンダーがかかっていました。

 

中学に入って、英語の勉強をするという理由をでっちあげて
ラジカセを買ってくれと頼んだ時に手に入れたのも、
その電気屋さんから届いたナショナルの製品でした。
SONYとかAIWAに憧れていた田舎の中学生は
「ださいなー、またナショナルかよ」と思いながらも、
自分で手に入れるだけの財力はないので、
そのラジカセでラジオの深夜放送を聴いたり、
友だちから借りたLPレコードをカセットテープに録音したりしていました。
英語の勉強に使ったことはありません。
昨年の暮れ、池袋パルコで開催された『大ラジカセ展』という催し物を
見に行った時、歴代の名機の中にひっそりと並んでいた
まさに中学の時にわたしが持っていた「ナショナル」のラジカセを発見して、
こっそりとスマホのカメラで写真を撮ったことは秘密です。

 

ラジカセで深夜放送を聴きながら、アイスクリームを食べるのが好きでした。
親が買ってきたアイスを食べるしかなかった小学生の頃は
「雪印」のバニラブルーという
50円ぐらいのカップに入ったバニラアイスばかり食べていました。
そう、「いすゞ」、「ナショナル」に続いて、
我が家の乳製品はバターも、牛乳も、
出始めたばかりのクリスマスのアイスケーキだって、「雪印」オンリーでした。
自分のこづかいでアイスを買えるようになった頃、
雪印からバニラアイスの中に赤や黄色に着色された氷の粒が入った『宝石箱』、
というシリーズが発売されました。
今思えば、別にどうってことない組み合わせですが、
ネーミングやパッケージなどの効果もあり、
当時のJCの心をつかむのには十分でした。
しかもバニラブルーが50円だったのに、宝石箱は100円ぐらいした高級品。
今でいうプレミアム商品です。
当時全盛期だったピンクレディーがCMキャラクターをつとめていて、
大ヒット曲『UFO』を歌いながら“宝石箱だぞっ”と宣伝していたのです。
それが今の「UQモバイル」のCMにつながっています(途中からは嘘です)。

 

そして、「いすゞ」はとうの昔に乗用車の生産からは撤退し、
「ナショナル」は「パナソニック」に変わり、
「雪印」はなんだかんだで「雪印メグミルク」に落ち着いています。
わたしが今でも何となく、こういった昭和のブランドが好きなのは
三つ子の魂なんでしょうか。
しかしもうあの頃の両親のようなこだわりもなく、
雑多なロゴの入った商品に囲まれて、あくせくと暮らしています。