• 姉妹の日々

    今年の初めに映画館のスクリーンで予告編を観たのと、
    公開前に吹き替え版の主題歌を歌っている松たか子がすごい、と話題になり
    You Tubeで観たことで既におなかいっぱいになり、
    もう映画館に行かなくてもいいか、と思っていた
    「アナと雪の女王」を観てきました。
    4月中旬の土曜日、公開から1か月経つというのに、
    繁華街でもない地元の映画館はほぼ満席でした。
    終わったあとは、さわやかなカタルシスがあり、
    レリゴー レリゴー ありのままのー♪と鼻歌を歌いながら家路につきました。

     

    ヒットの理由はさまざまに語られていますが、
    映像のクオリティの高さは言わずもがなとして、
    それ以外では登場人物に感情移入しやすい、という点に尽きる、と思います。
    ストーリーをざっくりと今風に言えば、引きこもりの姉・エルサとリア充の妹・アナが
    さまざまな確執を越えて二人で家(王家)を守っていく、とこんな感じ。
    わたしが観たのは吹き替え版ですが、
    (最近の凝ったCGやアニメ、3Dなど、
    画面から伝わる情報量が多い作品は吹き替え版で観た方がいいと思います。
    字幕を追うのに精いっぱいになるといろいろと見逃してしまうので)
    声をあてている松たか子と神田沙也加が絶妙。
    孤独に思い悩む姉と天真爛漫な妹に、
    それぞれの舞台やミュージカルで培った表現力や歌唱力がハマっていて、
    見事なキャスティングだと思います。
    結果的に、この映画の大ヒットを一番喜んでいるのは、
    実は松田聖子なんじゃないでしょうか。

     

    わたし自身も二人姉妹の姉です。二つ違いの妹がいます。
    「アナ雪」は姉あるある、妹あるあるに満ちていて、
    姉サイドの、わたしばっかり損をしている、こんなに一生懸命やっているのに、
    妹ばっかり要領よくて可愛がられている、や、
    妹サイドの、お姉ちゃんは何でも一人でやろうとする、
    全然自分の話を聞いてくれない、仲よくしてくれない、
    なんかに、いちいち膝を打つばかりです。
    身近な女同士の確執はいつの時代にもどこの国にもあるのでしょう、
    全世界的に共感を呼んでいるのもうなずけるというものです。

     

    最近では、登場人物と一緒に歌いながら映画を鑑賞できるプログラムもあり、
    人気を呼んでいるようです。
    この現象は完全にリピーター向け、館内はもはやディズニーランドということでしょう。
    消費者に足を運んでお金を落としてもらうことが難しくなっている昨今、
    ディズニーひとり勝ちです。

     

    登場する王子様や恋人などの男性陣がいまひとつ好みでなかったことだけが残念ですが、
    今度は字幕版を観に行きたいと思います。
    願わくば、お城の前のスケートリンクで羽生結弦がエキシビジョンを滑ってくれれば、
    尚、可です。

  • 新宿の日々

    3月31日の月曜日、
    32年間続いたお昼休みのウキウキウォッチングが最終回を迎え、
    有吉弘行に「昼メガネ」というあだ名をつけられた
    サングラスの人は新宿アルタを後にしました。
    その日はどうしてもリアルタイムで番組を見たくて、
    テレビのある会議室でうどんを啜りながら眺めていました。
    同じような気持ちで会議室にいた数人の中には、
    番組が始まった時にはまだ生まれていないという人もいて
    遠くまで来たなあ、と、ひとり感慨にふけっていたのです。
    スタート時には紺のブレザーを着た怪しいおじさんだった司会者は、時を経て、
    ちょうどその頃満開を迎えたすぐそばの新宿御苑の桜と同じピンク色のジャケットを羽織った、
    愛されるおじいさんになっていました。

     

    タモリが32年間、ほんの数回の有給休暇をのぞいて
    毎週月曜から金曜まで、サラリーマンのように通っていた、新宿という街が大好きです。
    10代の終わりから20代の初めの時期に、
    地方から上京してきた若者のキャラクターは
    住んだ場所によってある程度左右されると思います。
    わたしが上京して初めて一人暮らしをした場所は、池袋から地下鉄で2駅のところにありました。
    大学を卒業するまで、もっぱらその周辺で何度か移り住み、
    当時「埼玉の入り口」と揶揄された、池袋とその周辺が遊び場でした。
    出かけたとしても山手線(埼京線はありませんでした)で高田馬場、新宿。
    頑張って渋谷までで、六本木、ましてや銀座は別の大陸にある幻の街でした。
    今よりずっとそれぞれの街の個性が強く、
    まだまだよそ者には敷居の高いエリアがいくつもありました。
    池袋的な人間にとって居心地のいい場所は、せいぜい新宿まででした。

     

    そして、卒業して初めて勤めた場所は丸ノ内線下りの新中野という中途半端な場所にあり、
    以来、乗り換えターミナルである新宿という街が俄然身近な場所になりました。
    当時の勤め先の先輩と毎晩のように繰り出した歌舞伎町あたりの飲食店、
    それから次の勤め先があった西新宿界隈、そこに都庁はまだ建っていませんでした。
    その後は丸の内線の上りに乗って、二十年以上現在の勤め先に通い、
    だんだんと自由になるお金も増えてきて、
    新宿駅を越えて伊勢丹で買い物をしたり、
    バーニーズをひやかしたりできるようになりました。
    そしてまた自由になるお金が減ってきたので、
    伊勢丹も通り越して、二丁目や御苑あたりでクダをまいたりしながら現在に至っています。
    タモリに32年分の新宿があるように、わたしにも同じだけの新宿があります。

     

    タモリが新宿を去った翌日、4月1日には消費税が8%になりました。
    増税前の駆け込み購入、と称して本当に久しぶりに6か月分の定期券を買いました。
    半年後、どうなっているかもわからないのに。
    ただそれは新宿を経由する定期券で、
    これからもこの街に通えることだけが確かです。

  • ゆづの日々

    スター誕生です。
    前半まったく興味のなかったソチオリンピックは、
    日本の男子フィギュアに初めて金メダルをもたらした19歳の少年によって
    確実に忘れられない大会になりました。
    羽生結弦のショートプログラムの動画を何度再生したことでしょう。
    顔が小さくて手足が長い、美しい頭身バランス。
    アニメの世界から抜け出してきた、まさにフィギュアのようなスタイルです。
    そして、陸上でのおぼっちゃま感と氷上でのドヤ感のギャップ。
    少年から大人に変わる、本当に短いきらめきの時と、
    オリンピックという4年に一度しかない大舞台がシンクロした、
    奇跡のような瞬間を見ることができて、もうそれだけで茶碗3杯はいけます。
    もう1年前でも1年あとでもあの輝きはなかったと思いますが、どうでしょう。
    そしてさらにその後のインタビューやコメントを見聞きしていても、
    非の打ちどころのない対応ばかり。
    親の顔が見てみたい、でなく、親御さんにお礼を言いたいくらい。
    あまりのパーフェクトさに、一周回って嫌いになりそうなほどです。
    ニワカの分際で、熱くなってすいません。

     

    わたしはこのオリンピックを見るまで、羽生選手の存在を全く知りませんでした。
    だからこそ突然現われた王子様感が強く、とても惹かれます。
    そしてこの人のことも、騒ぎになるまでまったく知りませんでした。
    佐村河内守。
    どこに雲隠れしているのかと思ったら、先ごろ西田敏行になって現れ、
    突っ込みどころ満載の謝罪会見を行っていました。

     

    この一連の騒動を脚本化するなら、
    ゴーストライターと言われる、若い頃のテリー伊藤のような風貌の新垣隆氏の
    スリリングな記者会見のシーンからスタートです。
    聴こえるのか、聴こえないのか、実は3年前から聴こえていたとか、
    そんなことはこの際関係ありません。
    「佐村河内」という芸名のような本名に生まれたがために、
    田中や鈴木的(田中さんや鈴木さんをdisっているわけではありません)
    に生きられず、偽りの脚光を浴びることを欲した男の物語。
    と、企画はここまで考えました。誰かゴーストとして脚本化してもらえないでしょうか。

     

    ともあれ、新垣氏は逆襲した方がいいと思います。
    まず現代音楽家としての手腕を活かし、ポップスを作曲。
    「サムラゴーチに騙されて」のタイトルで原由子か高田みづえに歌ってもらいましょう。
    またはいっそ開き直って、二人でユニット「佐村河内」を結成。
    「品川庄司」のようにどっちかが佐村君でどっちかが河内君。
    そして「どぶろっく」のように音楽ネタで
    “キングオブコント”かなんかに出場してもらいましょう。
    どんなフリでも、オチの部分は
    ♪もしかしてだけどー、もしかしてだけどー、
    それってほんとは聴こえてるんじゃないのー♪で。

     

    偶然ですが、彼とは同郷で同世代。
    その経歴を眺めていると、どこかですれ違っていてもおかしくない気がして、
    妙な同族意識を覚えます。
    彼はソチオリンピックを見ていたでしょうか。
    真の実力で脚光を浴びる若者たちは彼の目にどう映ったでしょうか。
    そしてどなたか、さいたまスーパーアリーナで開催される
    「世界フィギュア」のチケットを譲っていただけないでしょうか。

  • ママの日々

    早いもので2014年も残すところ11カ月となりました。
    2月は逃げるともいいます、おそらくあっという間にすぎていくはずです。
    ソチオリンピックもはじまるし、夏になればW杯。
    いつの頃からかそのスポーツや競技の熱心なファンでなくても、
    いつも誰かや何かを応援している、させられている気がします。
    ニューヒロイン高梨沙羅選手はいくつメダルを獲得するでしょうか。

     

    応援といえば、タニマチ界の高山善廣(ただ金髪なだけ)、高須クリニックの高須院長が
    安藤美姫の次にYes!とスポンサーに名乗りをあげたのが
    芦田愛菜がいるけど「明日、ママがいない」。
    日本テレビ系で放送されているこのドラマ、たまたま初回を見た時に、
    芦田愛菜の小学3年生とは思えない、というか子どもとは思えない、
    くわえてもいないタバコの煙が見えるようなやさぐれた演技に驚き、
    一方おそらく50歳を過ぎているというのに、私生活をまったく感じさせない
    変わらぬイケメン三上博史の妖しい芝居に魅せられ、
    このドラマはファンタジーとして味わうべきだ、
    北島マヤと姫川亜弓のような二人の女優のバトルを楽しむべきだ
    (三上博史は女優カテゴリーに入ると思います、いろいろな意味で)と決めたのに。
    案の定、あまり想像力のないクレームが入り、何だかガタガタしています。
    あとは高須院長にがんばってもらって、
    最終回まで今のテンションを貫き通していただきたい。
    子どもたちを捨てたママが全身整形して別人になって帰ってくる、
    ぐらいの設定なら受け入れます。

     

    ヒンシュクを買うかもしれませんが、子どもの頃から、親のことをパパ、ママと呼んでいました。
    いい大人になっても直すタイミングを見つけられないまま、
    両親とも他界してしまいましたが。
    呼び名を変えられなかったのは、わたし自身に子どもがいなかったせいもあると思います。
    この先に飲み屋でも開かない限り、わたしがママと呼ばれることはもうないでしょう。
    残念な気もします。
    バーやスナックをやっている女性は、なぜ「ママ」と呼ばれるんでしょうか。
    男性ならマスターとか店長とかです。パパなんて呼ばれません。
    ちなみにゲイバーはママ呼びです、ひろしママ、とかね。

     

    酔客のほとんどが男性だった頃の慣例なんでしょう。
    昼間は上場企業で肩書きのある役職についていても、
    夜の帳がおりて、店の扉を開けると「ママ〜、今日も疲れちゃって〜」なんて
    甘えた声を出すのにぴったりの呼称です。
    明日、ママがいなくて困るのは、多分こんな店です。

     

    ほんの数年前にはマル・マル・モリ・モリとかわいらしく歌い踊っていた、
    同い年の二人がいます。
    方や芦田愛菜さん、とさん付けしたくなるような女優の風格を醸し出し、
    方や舌足らずなしゃべり方で子どもらしさ全開の鈴木福くん。
    女児は早く大人になり、
    男児はいつまでもかわいく、
    いつからか求められることが逆転したような気がします。

  • ロング・バケイションの日々

    明けました、2014年。平成26年、昭和なら89年だそうです。
    門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし、
    という心境にもなりますが、無事に年を越せてよかったです。

     

    しかし昨年末、年の瀬も年の瀬の12月31日に飛び込んできた訃報に、
    本当に驚き悲しんだ音楽ファンも多かったと思います。
    松本隆の追悼の言葉を借りれば、“ほんものの十二月の旅人”になってしまった大瀧詠一。
    その日の夜の紅白歌合戦では急きょ大瀧詠一コーナーを設けて、
    森進一は「冬のリヴィエラ」を、
    小泉今日子は「快盗ルビイ」を、
    松田聖子は「風立ちぬ」を、
    薬師丸ひろ子は「探偵物語」を歌えばいいのに、
    と思った同年代の人も多かったはず。
    もちろん一分一秒の隙もなく、
    緻密にスケジューリングされたNHKホールの楽屋裏では
    さすがにそんなスリリングな対応ができるはずもなく。
    司会に起用した綾瀬はるかのリスクヘッジだけでいっぱいいっぱいだったようです。

     

    とはいえ、わたし自身も現金なもので、
    あまちゃんコーナーが始まれば画面に釘づけ。
    快盗ルビイも探偵物語も忘れて、
    潮騒のメモリーズと天野春子と鈴鹿ひろ美の、
    夜のヒットスタジオのオープニングメドレーのような「潮騒のメモリー」になぜか落涙。
    虚構の「あまちゃん」がリアルの「紅白歌合戦」で大団円を迎える、という
    昨年4月のドラマ放送開始時には誰も予想しなかったであろう展開にふるえました。

     

    わたしにとっての大瀧詠一は“はっぴいえんど”の人ではなく、
    80年代のはじめにアルバム「A LONG VACATION」を発表し、
    当時の歌謡曲シーンにたくさんの良質のポップスを提供してくれたメロディメーカーです。
    田舎の高校生だった頃、
    放課後のたまり場だった町のレコード屋の壁一面に
    ある日突然、永井博のイラストのあのジャケットがずらっと並んだことを覚えています。
    大瀧詠一のことを知らずに、話し相手だった店のお兄さんに、
    「なんでこーにぎょーさんこのジャケットばあ飾るん?」と尋ねたことを
    昨日のように思い出します。
    それはわたしにとっての上京前夜、壁じゅうのポップなジャケットのように、
    未来は希望に満ちていて、
    これから何かおもしろいことがたくさんありそう、
    という期待に胸がふくらんだことを思い出します。

     

    大瀧詠一よりも少し前の12月にももう一つの訃報がありました。
    無期限活動休止中のムーンライダーズのドラマー かしぶち哲郎です。
    自分が若い頃に影響を受けたカルチャーの人が、だんだんと彼岸に旅立ってしまう。
    年をとるというのは、
    こちらよりあちらの方が楽しそうに見えるということだとも思います。
    昨年亡くなった父のいない、がらんとした実家で、
    来し方行く末について思いを巡らせた2014年のはじまりではありました。
    いつかはみんな永遠のロング・バケイション、
    大瀧詠一しばりでカラオケに行く人を募集しています。
    やしきたかじんもアリです。

     

    今年もよろしくお願いします。