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サクラサク回
新入社員のみなさん、改めて入社おめでとうございます。
会社に初舞台生(タカラヅカ用語)の子がいるのは、とても清々しいです。路線スター(タカラヅカ用語)になるべく精進してください。
これから、よろしくお願いします。さて、最近ネットで話題になった
ある卒業式の式辞のことを皆さんはご存知でしょうか。式辞とは、新たな道へ進む卒業生に向けて送られる言葉。
Yahoo!トップページでも紹介されたこの式辞は、
日本の知の本丸である
東京大学教養学部学部長の石井洋二郎氏のもの。URLを記載するのでぜひご一読ください。
http://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/about/message/oration/
「教養」とはいかなることなのかを、
わかりやすく明快にそして的確に表現されている素晴らしい式辞です。なにより、とても面白いのです。ワクワクするのです。
式辞を述べた石井氏自身が退職されることもあるのでしょうか、
文章には、満開の桜の木々をゆらす気持ちの良い風が吹いているようです。わたしも、自分の大学の卒業式のことを思い出します。
卒業式で学長が述べた式辞は特に思い出に残っていませんが、
その少し後におこなわれた学科ごとの集まりで、
わたしたちに言葉をおくってくれた女性教授の話はとても感動しました。小柄な彼女は長い豊かな白髪をひとつに結んで
上品な丈のワンピースに痩身をつつみ、静かにでも力強く言葉を紡ぎました。キッとあごを引き、引き締まった表情で、
学長の言葉をなかば否定しながら(!)
戦争を好むような今の時勢にはっきりと異議を申し立てました。「卒業、おめでとうございます。」
最後に聞いたその言葉の重さと、
新しい世界に向かうすこしの不安と、晴れ晴れしさ。春は、そんな季節です。
桜が咲いているのを見て、
「サクラサク」がいつから受験の合格のことを
指すようになったのかをぼんやり考えていました。わたしの記憶ではキットカットのCMだかに使われはじめ、
パッケージにメッセージを入れられるように進化したのは
ごく最近ではないかと思います。受験の頃、わたしもまた一人の受験生でした。
高校受験、大学受験、就職試験と色々な試験を受けてきましたが、
体力的に一番大変だったのは大学受験だったと思います。都心の予備校には何社か有名な予備校があり、
わたしもその中の一つに行っていました。予備校ではなぜか幅をきかせている浪人生や
浪人生を毛嫌いする現役生などが入り乱れ、カオスな状態でした。「今でしょ」先生のような有名予備校の先生が
タレントとしてテレビに出るようなことは
わたしの時代にはあまりなくて、
名物教師はあくまで、予備校の教室の中で名物教師として存在していました。「青木の世界史」で当時有名だった青木先生の授業を
何度か受けたことがあるのですが、
ガタイが良くて背が大きくて
教壇に立つ姿に圧倒された思い出があります。その頃から青木先生の授業は書籍化されていたのですが、
ナマの授業のほうがわかりやすかったです。青木先生は授業の後に質問をきちんと受け付けてくれたりして、
受験世界史の間では有名な人だったのにとても気さくでした。青木先生が雑談の中で本気で言っていたのは、
今は受験勉強していいから大学に行ったら本を読め、でした。わたしは本を読め、と言う大人が好きです。
昔からそういう人は信用できると思っています。父親からよく「要約を読むな、原典を読め」と言われてきました。
ダイジェストはダイジェストでしかないから、
わからなくても、難しくても、原典を読むべきだと。要約を主導すべきなのは自分の頭なのであって、
要約本で本を読んだような気になるな、という戒めなのですが、
いつも心に留めています。本を読む時間というのは、
本を読むためだけにとる贅沢な時間です。他には何もしなくてよくて、
踊る活字とその行間に立ち現れる景色に没頭できる幸せ。春は陽気がよくて
気持ちのいい眠りに誘われてしまうのですが、
きちんと本を読む時間をとりたいな春うららと思う今日この頃です。 -
アカデミー賞の回
3月、春ですね。
まだまだ寒い日が続きますが、暦の上では確実に春が近づいています。つい先日、アカデミー賞の授賞式が行われました。
リアルタイムではもちろん見られなくて、
WOWWOW未加入ということもあり
NHKで放送された総集編を見たわけですが。いやーなんでしょうね、あの面白さは。
映画界のそうそうたる著名人が客席に勢揃いする夢の祭典。司会者であるニール・パトリック・ハリスの軽妙洒脱なこと!
圧巻だったのはオープニング。
ニール・パトリック・ハリスが、今年のアカデミー賞へようこそ、と
ハリウッドが誇る名作・名優・印象的なシーンを織り交ぜた映像に合わせて歌います。
皮肉やアメリカン・ジョークだって超クール。
もうこのオープニングだけでも何万回もリピートできるほどのクオリティ。それぞれの部門でのオスカーを発表するのは前年のオスカー受賞者なのですが、
その人たちが語る小話も機知に富む素晴らしいものばかり。
いやはやなんでしょうね〜、あのウィットは。そういう文化なんでしょうね。素敵です。笑ったのは、助演女優賞の発表の際にプレゼンターを務めた
昨年助演男優賞に輝いたジャレッド・レトが、
「オスカーは、カリフォルニア州の条例によりメリル・ストリープに」と挨拶したこと。もうね、会場ドッカンくるわけですよ。
当のメリル・ストリープも爆笑。ジャレッド・レトも「ウケてよかったよ」と笑ってました。
ハリウッドの重鎮である彼女をイジるこのような気の利いたジョークも、
アカデミー賞という祝祭空間をよりいっそう華やかにします。パトリシア・アークエットのスピーチは、
アメリカの全女性の賃金平等を訴えるというものでした。また、公民権運動を描いた『セルマ』の「Glory」という歌が主題歌賞を獲ったりと、
現代アメリカに根強く残る差別という問題もクローズアップされた授賞式でした。約1時間ほどの総集編でしたが、
授賞式それ自体もリッチなエンターテイメントにするという
ハリウッドのショービジネスのプライドとクオリティを垣間見てとても楽しかったです。司会のニール・パトリック・ハリスから紹介されていましたが、
クリント・イーストウッド監督の『アメリカン・スナイパー』の興行収入は3億ドル。
今年の作品賞にノミネートされた全8作品の興行収入の半分だそうです。そんな超ドル箱作品を、先日観てまいりました。
その日は雨でしたが、映画の日ということで客席は満員。様々な年代のお客さんがいました。
前の列にがっしりした体格のゲイの方が座っていたのですが、
映画の中でとても胸に迫る場面があり、
そのときちょうど映画の中の光で、席に座っているその方が見えて、
そっと涙をぬぐっていたのが印象的でした。映画は実在のアメリカ人兵士をモデルにした
実話の映画化ということでしたが、
時勢的にも今観ておくべき映画だったなと思いました。主人公はイラク戦争へ志願した若い男性で、
彼はのちに「伝説」と讃えられる凄腕のスナイパーになります。
4回のイラク派遣によってPTSDを発症し、
家族のもとへ戻ることになるのですが・・・というようなお話。映画の中で描かれる「戦争」は、もちろんフィクションです。
イラクで殺し殺されを繰り広げる相手はアルカイダ。
そちら側にもスナイパーがいて、
もちろん映画ですから、アルカイダ側のスナイパーの視点も挿入されます。わたしは戦争地域に行ったことがないので、
クリント・イーストウッド監督が描く銃撃戦のリアリティの程は
わかりませんが、とにかく、そこに、確かに「銃撃戦」が現れるのです。その映像の中に監督自身のメッセージや、
戦争とはいかなるものであるかという説明はまったく含まれていません。ただ、そこに銃撃戦が発生し、人が頭を撃たれ、肉体は死んでいきました。
ある意味では、それが戦争のありのままの姿なのです。わたしはこれが映画でなければ耐えられないと思うのと同じくらい強く、
これは映画ではないのだと絶えず意識させられ、感じさせられました。現実ではなく、映画であったらどんなにいいかと思いました。
しかし、現実はこれ以上の、この何万倍もの死が飛び散っているのです。2時間を超える大作でしたが、
わたしは現実の死の重さを叩き付けられ、
そのあまりの重量に、体がふらふらしました。あの映画の中には、アメリカ人のヒーローがいました。
でも、彼はイラク人を殺し、イラク人に仲間を殺され、
そして傷つき、疲弊し、蝕まれていました。目を背けても、決してぬぐいきれない残虐な場面も描かれています。
苦しく、つらい映画でした。戦争がしたくなる映画、戦争賛美の映画では決してありませんでした。
映画の中で生みだされる死は、それでも幕の中で終わることができます。
出演者は誰も実際に死んではいない。
そんなことは当たり前ですが、それを確認せずにはいられないのです。
そしてそれが確認できたことで、まったく心が休まらないこの感覚。人が人を撃つ、という極限状態に置かれたとき、
そこでなにが、その人に渦巻いているのか。
その人は、何を信じ、何をよすがに、何と戦っているのか。今年、最も重要な映画だと思います。
現実を感じるためにも、映画館でこの映画を見ることをおすすめします。 -
セールの回
暦の上ではもう春だそうです。
まだまだ寒い日が続きますが、みなさまお変わりないでしょうか。
お変わりあってもよござんす。良いことならば。さて。
冬はセールの時期、ということで靴を買ったわけです。
若干の撥水加工が施された黒いショートブーツみたいなもので、
わたしは足のサイズが24.0なのですが、
ためしに履いてみたらまぁまぁの履き心地でした。その靴はEEEEというサイズのもので、
無知すぎて知らなかったのですが、Eが増えるにつれて、
かかとの辺りがどんどん広くなるらしいのです。それが履きやすさにもつながるわけですが、
そのブーツ、4Eということもあって、少しぶかぶかだなという印象。でも女性の店員さんは「うん、ピッタリですね〜」とか
「これすごい人気でもう飛ぶように売れてるんですよ〜」とか
買わせるための言葉しか使わないわけです。そんなに高くもないし、履きつぶしちゃうくらいの普段使いにすればいいかと、
その時は軽い気持ちで購入しました。ところが。
後日、そのブーツを履いてみるとどうでしょう。
かかとの辺りがガッバガバで、歩けたものじゃないんです。これは失敗した・・・と思いつつ、
そのお店で中敷きなどの対応をしてくれるか聞いたところ
どうぞお気軽にお越しくださいとの返事。じゃあ気軽に行ってやろうということですぐに行ったわけですが、
シューリペアのエキスパートで、店長代理という男性に担当してくれました。その人からの提案は、
「クッションを敷いて全体を底上げすることで、
足の甲のあたりにもっとフィット感を出せば、
足が前にすべってしまうということも減るのでは」ということでした。
口で説明されてもよくわからないので、それでお願いしますと言って、
度重なる調整の果てに、なんとなく、かかとがズレにくくなりました。そこでお礼を告げ、また帰ろうとエスカレーターに乗り、
歩いていたところ・・・今度は、靴の中で中敷きがズレてきました。たった今、「ありがとうございました」と言って去った店に、
また舞い戻る・・・?面倒くさすぎる展開です。
また来ちゃいましたテヘ☆と言わねばなりません。でも歩くたびにどんどんズレていく中敷きくん。
まるでズレるのが僕の使命です!と言わんばかりの優等生的ズレ方です。意を決して店内に戻りました。
少し驚いた様子の店長代理。
「どうされました?」
と聞かれ、中敷きがズレることを相談したところ、
クッションの厚みを変えてさらに滑りにくい素材の中敷きに変えましょう、と。数分後、クッションが変わりフィット感が増し、
滑りにくい素材のおかげでだいぶマシになった気がしました。店長代理に改めてお礼を言い、再びエスカレーターへ。
これなら大丈夫かなとベルトの上で足を踏みしめ、
エスカレーターを降りて足を踏み出した瞬間、ズレました。
もうぐでんぐでんに、かかとの部分がズレまくりました。
これが新喜劇なら全員総コケするでしょう。
というかわたしの中の新喜劇の人たち(妄想)は総コケしました。しかも、さっきよりズレ方がひどい。
中敷きくん、グレてしまったみたいです。
親から期待される自分がつらくなり、ある時に爆発してしまった思春期のズレ方です。一日の間に、2回もお店に戻る・・・?
店長代理のシューリペアエキスパートとしての誇りを
傷つけてしまう可能性もあります。でも、戻りました。
だって歩きづらいんだもん。
今度は店長代理も困惑した表情で苦笑い。中敷きくんのグレ方、もといズレ方を聞き、
それでは両面テープで動かなくしましょうという結論に。
対応としては職員室呼び出しでお説教というところでしょうか。数分後、両面テープで動かなくなった中敷きにひと安心。
店内を少し歩いてもズレませんでした。もうすっかり打ち解けた店長代理に、
「今度くるのは来年ですよ〜(笑)」とか鬼が笑いそうな感じで話し、
三度、エスカレーターに。これでもうズレることはあるまい。
中敷き軍との長き戦いに勝利したのです。恐る恐る一歩踏み出し、おや・・・平気です。
また一歩・・・大丈夫。よかったこれn
ズレました。
両面テープがはがれて、中敷きくんは靴の中で暴動を起こしていました。
盗んだバイクで走り出したかのようです。もう誰にも止められません。
靴主はわかってくれない!と反発したようです。わたしは、呆然とその場に立ち尽くしました。
今日はタイムオーバー。とりあえず、靴の中でぐちゃっとなった中敷きくんを
体重という権力で上から踏みつけて動かなくし、
ため息とともに、その場を後にしました。後日、4度目となる来訪を果たしたことは言うまでもありません。
暴れん坊な中敷きくんはおとなしくなるのか、
店長代理とともに経過を見守る日々が続いています。 -
謹賀新年と臥薪嘗胆はどこか似ている気がする回
あけメェしておメェでとうございメェ〜す。
年賀状をくださった皆様、ありがとうございました。
来年もお待ちしております♡
来年こそは!わたしも年賀状を出すはずです!きっと!おそらく!世間は異物混入事件とジバニャンにわきかえっておりますが、
どこまでのものが混入にあたるのか、なかなか難しい問題かと思います。
これほど混入報道が加熱すると、
エンゲージリングをケーキの中に入れるサプライズなんてした日には
女性に訴えられかねませんし、
女湯に忍び込むアホな主人公というよくあるシチュエーションも、
不適切な混入事件表現でけしからん!とされ掲載不可になるかもしれません。昔、バレンタインデーで手作りするチョコには指紋がついているから
もらって手作りだったら捨てる、という男の子がいた気がしますが、
指紋混入で訴えられた女の子はまだいませんね。
よかったです。
不幸にも捨てられてしまってドロドロに溶けたチョコレートは、
チョコニャンとして溶解ウォッチ(別アニメ)で主人公として活躍してほしいです。閑話休題。
異物混入は確かに気持ちが悪いですし、
清掃や除菌が至上命題としてもてはやされる昨今では、
「綺麗で当たり前」という意識が浸透しています。日本は戦後の高度経済成長時代を経て、成熟し、そういう「清潔な国」になったのです。
そうした清潔な国の清潔な人々にとって、「異物」は許されざる悪です。
今から、埃まみれの部屋で食べろとか、そういうことには戻れないし、
汚いもので耐性をつけろとか、そういう暴論はあまり浸透していかないでしょう。それでも、「異物」に対する過剰なまでの拒絶反応は、どこか寓話的でもあります。
折しも、パリの新聞社がテロ攻撃の標的にされるという凄惨な事件が起きました。
「異物」に対して私たちの生きる社会はどう反応するのか、どう反応すべきなのか、
日本とパリの事件は、似たような主題が背後に鳴っているのかもしれません。さて、お正月でした。
実家や、旦那さんや奥さんの故郷で過ごされた人も多かったと思います。
わたしもお正月の過ごし方の例に漏れず、人が多く集まるところに行ったのですが、
中でも面白かったのは「えびせんべいの里」。1月3日だというのに、いや1月3日だからこそでしょうか、
閉店近くの時間になっても駐車場にはガンガン車が入ってきて、
入口に人が押し寄せるほどの盛況ぶり。入口を入るとすぐに
「えびせんべい」「たこせんべい」などと書かれた説明書きが目に入ります。
数十種類はあろうかというせんべいの商品が番号順に並べられ、
訪れた人は試食をしながら、自分の好きなせんべいを買っていきます。
それぞれの商品が大きなカゴに無造作に積まれており、
そこから飛ぶようになくなるせんべいの袋たち。
そして次から次へと補充される試食のせんべいたち。一番多いのはやはり家族連れでした。
子供たちは「お母さん、これ食べていい」ときちんと聞いて、
お母さんから試食をつかみ取る用のトングでひとつかみしてもらった
試食せんべいをムシャムシャ食べていました。ああいう場所でトングを使わないのはだいたい大人ですね☆
スタッフの人が「試食」と袋に書かれたせんべいを
取り出しているのを見ましたが、売っている商品とほぼ一緒で、
ひどく割れたものや形がいびつなものを試食に回しているようでした。試食で消費されるせんべい < 購入されるせんべい
は、成り立つものなのだなぁと感心しました。
せんべい販売コーナーの奥には、
天井の高い広い講堂のような無料休憩所があり、
そこは無料でコーヒーが飲み放題でした。そこに「えびせんべいの里」と書かれた
観光名所によくある写真スペースが設置されていて、
小学校低学年くらいの小さな女の子二人が、
姉妹かお友達だと思うのですが、写真を撮られていました。そこでわたしは、目を見張りました。
お父さんに「ハイチーズ」と言われたその瞬間に、
少女たち二人は「笑顔」をまるでシールのように顔に貼り付けたのです。・・・すごい!!!
思わず叫びそうになるほど、完璧な笑顔の「添付」でした。
それは、感情に動かされてその発露として自然とそうなる表情とは違い、
表情筋とは完全に断絶されているにもかかわらず、
女の子たちにお似合いの「笑顔」としてそこに立体的に現れました。「笑顔」というスイッチを押し、
並べられた笑顔パーツの中からチョイスした、真に可愛い表情。
それが少女たちの顔に、見事なまでに持続的に、貼り付けられたのです。それから二人は、写真を撮られ終わるとまた無邪気な表情に戻り、
家族の元へ子供らしく駆け寄っていきました。わたしはそのスイッチングのプロ技術に驚き、
「撮られる」機会が劇的に増加した時代ならではの
子供たちの演技力を目の当たりにして、少しだけ呆然としていました。女の子は何歳でも女優ですね。
帰り道に車の窓から見えた港の景色は美しく、
それでもどこか近づいてはいけない退廃的な禁止区域のようにも見え、
夕日が放つ輝きの強さを感じました。冬の空気は冷たく澄んでいて、景色の輪郭をよりきめ細やかに見せてくれます。
平和な世界がいいなと、思いました。今年、宝塚は101周年目を迎えます。
本年も、宝塚を、その中でも特にヅカオタの私を、
どうぞよろしくお願いいたしメェ〜す。 -
プロ彼女はバトルロワイヤルの夢を見るか?の回
あっという間に寒くなってしまいました。
今は晩秋というより冬の気配ですね。世間では西島秀俊の結婚の話でてんやわんやだったようです。
わたしは「大物独身俳優の道」を通ってこなかったため、
ワイドショーの街頭インタビューで
「ショック」だと口を揃える女性たちのテンションを面白く見ていました。ヅカ的に言えば「贔屓の退団」と少し似ているかもしれません。
新しいステージにいってしまうんだ、ということのどことない寂しさ。
本来は祝福されるべきことですが、 「別れ」を切り出されたような一抹のフラれ感。彼女だが結婚相手だかに求める7箇条のようなものを見ましたが、
・・・多いよ!!
せめて3個くらいにしてよ!!でもあの条件をクリアできる、とてもよくできた一般女性の方が現れたことがすごい。
ちまたでは「プロ彼女」とか呼ばれているみたいですが、
「プロ彼氏」は存在するのでしょうか。
プロ彼氏ってもはや二次元かヅカの男役かって気がするのですが・・・
プロ彼氏の登場、待ってます。そして、たかみな卒業。
AKBグループは気がついたら「総監督」という肩書きができていました。
そしていつできたのかすらわかりませんが、
たかみなの卒業を発表したときの言葉を読んで、うっかり涙ぐみました。
卒業したたかみなはどうなっていくのでしょう。
幸せになってほしいなと思います。
女の子には、幸せになってほしい。
(男の子は、そうですね・・・プロ彼女を見つけるべくがんばってください)さて。
最近よく夢を見るのですが、
それが以前見ていた夢と少し趣が違うような気がしています。前に見ていた夢が水彩画だとすると、今見る夢は油彩画なのです。
以前より夢の中の手触りがごつごつしていて、立体的に感じる。だから目が覚めたあとも夢を少し引きずってしまうんです。
体に少しだけ夢のかけらが残ってしまうような。宝塚が舞台になっている夢、というのはあまり見ません。
でも、好きな男役さんや娘役さんが登場することはあります。なぜかお悩み相談をされたり、
次回公演のお衣装を着ているところをわたしが見たりする定番のやつです。
定番かどうかはわからないけど!昔見た夢で今でも鮮明に覚えているのが、学校の夢です。
それも、学校が戦場になる夢。
バトルロワイヤルみたいですね。RPGの要素とバトルロワイヤルの要素がごった煮されていて、
とにかく命を狙われていて、隠れたり、逃げたりするんです。
仲間は次々に倒れ、敵がもうそこまで来ている・・・!というところで、
自分で自分を撃つ、という夢でした。なかなか壮絶。
おそらく、バトルロワイヤルが流行った頃に見たんだと思うのですが、
あまりにも衝撃的だったので、起きてからすぐに、母親に夢の内容を話しました。母親は困惑して「いやだわ」と言っていました。
そりゃそうだ。自分で自分を撃つ経験が初めてだったのですが(当たり前だ)、
夢の中では銃弾がお腹を貫通する具合になっており、
夢ながら「こんなにゆっくり貫通していくんだなぁ」と思いました。まぁこんなふうに客観的な目線がある時点で、
夢からほぼ覚めているわけですが。ベッドから落ちたことはありません。
寝相はね、いいんですよね。空を飛ぶ夢。
これはかなり見てみたいのですが、
高いところから尖塔に向かって降下する(危険)という夢しか見たことがないのです。見ようと思って見られないのが夢。
だから平安時代には、
自分の中に出てくる人物が自分に好意があると解釈していたりしましたね。夢の中は治外法権で、何が起きても不思議ではありません。
そこにタブーはないのです。突然出てくる敵。
理不尽に追いかけられ、逃げようと走っても、
なぜか牛歩の歩みでしか進めない。
まるでプールの中を歩くときのように。「エクササイズしてる場合じゃないんです!」と訴えたところで、
誰にも聞こえず、一人孤独に目覚める。エクササイズ必要だろ。という内なる声が聞こえたり聞こえなかったり。
夢日記をつけたいなぁと思うのは、なにも夢診断がしたわけではなくて、
『夢十夜』などの小説に代表されるように、
夢の不可思議さは、とりとめがないようで非常に物語的で面白いからです。目が覚めているこの今の世界と、
夜に扉がひらく夢の世界。私たちは、2つの世界を行き来しながら生きているのかもしれません。
2倍の人生を楽しんでいると思えば、寝るのも楽しくなりますね。夢の世界では、わたしもプロ彼女かもしれませんし。
今年も残りわずかです。
あっという間の一年間でした。みなさんそれでは、よい夢を。
そして、よいお年をお迎えください。