タメ口推奨(あと、ことばのこと)

わたしの愛する宝塚も公演中止に追い込まれてしまった今日この頃、

みなさんいかがお過ごしでしょうか。

なんとなく戦時中(経験したことはないですが)みたいな

ものものしさがあって、いやだなと思っています。

 

向田邦子という昭和の(!)すばらしい作家が書いたドラマのなかで、

「ぜいたくは敵だ」という看板がでてきます。

日本が戦時していた頃のスローガンですね。

ドラマのなかで主人公の女性はその看板を見て、一字、書き足しました。

 

「ぜいたくは敵だ」と。

 

劇場から、美術館から、街から、

人がいなくなっていくのはやっぱりどこか異様に感じます。

でも、私たちは、はじめ異様だと思ったことも、不自由に感じたことも、

なんとなく慣れていってしまう。

そんななかで、向田邦子という作家は、

ことばを生業とする、ことばを生きたものとして使うこの作家は、

敵を「素敵」にして、その空気に抗おうとしました。

向田邦子の気概を、いま、わたしも持っていたいです。

 

高校生の頃の話をします。

わたしは、いわゆる体育会系の運動部に入っていました。

1年生がすべての雑用を担う、年功序列の最たる組織。

たとえば、先生や卒業生が体育館に現れたら、

コートの半分を仕切るネットをダッシュで開けにいくのも1年生の仕事。

ネットがそのままだと、

先生や卒業生が頭を下げながらコートに入らなければならないからです。

気がつくのが遅いと、先輩に「ネット!」と一喝されました。

さらに問題なのは、先輩がダッシュでネットを開けにいってしまうこと。

べつに誰が開けてもいいネット、

べつに誰もが頭をさげて入ればいいコートです。

そういうおかしなルールが、体育会系の部にはいくつか存在しました。

 

そんなバリバリ体育会系1年生の頃、

ひとつ上の2年生の先輩に、仲のいい人がいました。

その先輩は体も大きくテクニックもあり、とても優秀なセンターでした。

わたしはというと、背が高いわけでもないのに走るのが嫌で

センターというポジションを希望した、ただの“スラムダンク憧れ”。

バスケットボールは5人対5人のスポーツで、

コート上ではポジションが同じ人と1on1の関係になります。

わたしは、同じポジションということで練習中にその先輩と1on1することが多く、

さらに今では考えられないことですが、

始発で(!)いつも一番乗りして自主練する頑張り屋さんだったので、

同じく朝練に来ていた先輩とよく会いました。

 

「朝早くから、すごく練習してるね」

 

先輩がそう言ってくれて、嬉しかったのを覚えています。

生意気な後輩だったからだと思いますが、

先輩が優しいのをいいことに、わたしはいつからかタメ口をききはじめました。

 

ここでみなさんに質問が。

タメ口って、いいものでしょうか? それとも、わるいもの?

いいもわるいもない、その人同士の関係が決めることじゃん。

そうですね。

それだけのことです。

 

だからまぁここまで書いてきて、あ、これって、

書くほどのトピックではないのかな!?とあわてているのですが

ま、タメ口って、友達のように親しく話すということで、

最低限のマナーをわきまえないとか、

失礼な物言いをすることではないんですよね。

 

後輩が先輩にタメ口をきくことは、

運動部の上下関係ではイレギュラーだったかもしれませんが、

人と人として、お互いが敬愛の念をちゃんと持っている仲であれば、

べつになんでもないですよね。

敬語を使っていても、人間関係として最悪な場合だってありますし。

 

その先輩が引退するとき、

「あなたのことばがいつも嬉しかったし、楽しかった。ありがとう」

と手紙に書いてくれました。

 

気持ちが伝わるって、いいな。

ことばが温度を持つって、いいな。

そう感じた思い出です。

 

あ、わたし自身は、

後輩にめちゃくちゃ慕われるお姉さんタイプではないのですが……(笑)

 

さて、次回なんと最終回のコピペ。

みんながどんな内容を書くのか、今から楽しみです。