アカデミー賞の回

3月、春ですね。
まだまだ寒い日が続きますが、暦の上では確実に春が近づいています。

 

つい先日、アカデミー賞の授賞式が行われました。
リアルタイムではもちろん見られなくて、
WOWWOW未加入ということもあり
NHKで放送された総集編を見たわけですが。

 

いやーなんでしょうね、あの面白さは。
映画界のそうそうたる著名人が客席に勢揃いする夢の祭典。

 

司会者であるニール・パトリック・ハリスの軽妙洒脱なこと!
圧巻だったのはオープニング。
ニール・パトリック・ハリスが、今年のアカデミー賞へようこそ、と
ハリウッドが誇る名作・名優・印象的なシーンを織り交ぜた映像に合わせて歌います。
皮肉やアメリカン・ジョークだって超クール。
もうこのオープニングだけでも何万回もリピートできるほどのクオリティ。

 

それぞれの部門でのオスカーを発表するのは前年のオスカー受賞者なのですが、
その人たちが語る小話も機知に富む素晴らしいものばかり。
いやはやなんでしょうね〜、あのウィットは。そういう文化なんでしょうね。素敵です。

 

笑ったのは、助演女優賞の発表の際にプレゼンターを務めた
昨年助演男優賞に輝いたジャレッド・レトが、
「オスカーは、カリフォルニア州の条例によりメリル・ストリープに」と挨拶したこと。

 

もうね、会場ドッカンくるわけですよ。
当のメリル・ストリープも爆笑。

 

ジャレッド・レトも「ウケてよかったよ」と笑ってました。

 

ハリウッドの重鎮である彼女をイジるこのような気の利いたジョークも、
アカデミー賞という祝祭空間をよりいっそう華やかにします。

パトリシア・アークエットのスピーチは、
アメリカの全女性の賃金平等を訴えるというものでした。

 

また、公民権運動を描いた『セルマ』の「Glory」という歌が主題歌賞を獲ったりと、
現代アメリカに根強く残る差別という問題もクローズアップされた授賞式でした。

 

約1時間ほどの総集編でしたが、
授賞式それ自体もリッチなエンターテイメントにするという
ハリウッドのショービジネスのプライドとクオリティを垣間見てとても楽しかったです。

 

司会のニール・パトリック・ハリスから紹介されていましたが、
クリント・イーストウッド監督の『アメリカン・スナイパー』の興行収入は3億ドル。
今年の作品賞にノミネートされた全8作品の興行収入の半分だそうです。

 

そんな超ドル箱作品を、先日観てまいりました。
その日は雨でしたが、映画の日ということで客席は満員。

 

様々な年代のお客さんがいました。
前の列にがっしりした体格のゲイの方が座っていたのですが、
映画の中でとても胸に迫る場面があり、
そのときちょうど映画の中の光で、席に座っているその方が見えて、
そっと涙をぬぐっていたのが印象的でした。

 

映画は実在のアメリカ人兵士をモデルにした
実話の映画化ということでしたが、
時勢的にも今観ておくべき映画だったなと思いました。

 

主人公はイラク戦争へ志願した若い男性で、
彼はのちに「伝説」と讃えられる凄腕のスナイパーになります。
4回のイラク派遣によってPTSDを発症し、
家族のもとへ戻ることになるのですが・・・というようなお話。

 

映画の中で描かれる「戦争」は、もちろんフィクションです。
イラクで殺し殺されを繰り広げる相手はアルカイダ。
そちら側にもスナイパーがいて、
もちろん映画ですから、アルカイダ側のスナイパーの視点も挿入されます。

 

わたしは戦争地域に行ったことがないので、
クリント・イーストウッド監督が描く銃撃戦のリアリティの程は
わかりませんが、とにかく、そこに、確かに「銃撃戦」が現れるのです。

 

その映像の中に監督自身のメッセージや、
戦争とはいかなるものであるかという説明はまったく含まれていません。

 

ただ、そこに銃撃戦が発生し、人が頭を撃たれ、肉体は死んでいきました。
ある意味では、それが戦争のありのままの姿なのです。

 

わたしはこれが映画でなければ耐えられないと思うのと同じくらい強く、
これは映画ではないのだと絶えず意識させられ、感じさせられました。

 

現実ではなく、映画であったらどんなにいいかと思いました。
しかし、現実はこれ以上の、この何万倍もの死が飛び散っているのです。

 

2時間を超える大作でしたが、
わたしは現実の死の重さを叩き付けられ、
そのあまりの重量に、体がふらふらしました。

 

あの映画の中には、アメリカ人のヒーローがいました。
でも、彼はイラク人を殺し、イラク人に仲間を殺され、
そして傷つき、疲弊し、蝕まれていました。

 

目を背けても、決してぬぐいきれない残虐な場面も描かれています。
苦しく、つらい映画でした。

 

戦争がしたくなる映画、戦争賛美の映画では決してありませんでした。

 

映画の中で生みだされる死は、それでも幕の中で終わることができます。
出演者は誰も実際に死んではいない。
そんなことは当たり前ですが、それを確認せずにはいられないのです。
そしてそれが確認できたことで、まったく心が休まらないこの感覚。

 

人が人を撃つ、という極限状態に置かれたとき、
そこでなにが、その人に渦巻いているのか。
その人は、何を信じ、何をよすがに、何と戦っているのか。

 

今年、最も重要な映画だと思います。
現実を感じるためにも、映画館でこの映画を見ることをおすすめします。