• 少女漫画の回

    突然夏が終わりを告げてしまったような涼しさ。
    残暑を覚悟していたのもつかの間、肌寒ささえ感じます。

     

    最近、ある少女漫画を貸してもらって読んでいるのですが、
    その漫画が掲載されていた雑誌が『りぼん』。

     

    わたしは姉がいるのですが、小学校の時の薄い記憶をたぐり寄せると、
    姉は『りぼん』ではなく『なかよし』派だった気がします。

     

    近所にいとこの兄が住んでいて、その兄はわたしたち姉妹より年上だったので、
    『ジャンプ』派でした。

     

    わたしは小学校の頃、「女の子的なもの」が苦手でした。
    ピンクが嫌いだったり、それこそスカートやワンピースなんて着ませんでした。

     

    だから『りぼん』や『なかよし』という少女漫画雑誌を読みあさることなしに
    自分は成長したのだと、今、借りた少女漫画を読んでみてわかりました。

     

    わたしは『ジャンプ』をよく読んでいたので、
    超能力で敵を倒したり、龍の玉を集めるため冒険に出たり、
    幽霊になってケンカしたり、逆刃刀を抜刀したり、
    宙返りしながらサッカーしたりしたいと思って過ごしていたんです。

     

    いとこの兄に『ジャンプ』を買ってこいと言われた日がありました。
    その頃『ジャンプ』は180円ほどでしたが、増刊号や特別号は190円になります。
    いとこの兄から180円を持たされましたが、その時は困ったことに増刊号でした。
    10円足らなかったので戻り、そのことを告げると、
    「180円で買ってこい」と。まったく人でなしですね。

     

    そんな理不尽な少年漫画的世界を生きていたので、
    悲しいことに少女漫画のゆめゆめしさとは無縁でした。

     

    ただ、小中学生の頃は「セーラームーン」全盛期だったので、
    カテゴライズするとすれば、わたしはセーラームーン世代です。
    アニメが好きだったので、漫画のほうは3年前くらい(!)に新装版を買って読みました。
    (ちなみにセーラームーンは『なかよし』掲載)
    セーラームーンは、変身して悪と戦うことが大きなテーマ。
    基本的には、普通の女の子として学生生活を送るオフの中で、
    戦士として人類支配を企む悪と戦うオンに切り替わる、この繰り返しです。

     

    ジャンプ的感性で育ってきたわたしにとって、
    「女の子が戦う物語」はとても新鮮で面白かった。

    ただ、グッズにはあまり興味がなかったんですよね。
    少女漫画の雑誌には「ふろく」が必ずあります。
    ノートやらペンやらおもちゃのようなペンダントやら…。
    わたしは好きな漫画やアニメの主人公が身につける何かを
    自分も欲しいー!とは思わないクールな子どもだったのです。

     

    大学生になって、岡崎京子や萩尾望都を読むようになりましたが、
    それはもうすでに確立された文化として摂取する感じだったので、
    少女時代の青春に影響するような体験とは少し違っていました。

     

    今、80年代に「りぼん」に連載されていた漫画を読むと、
    懐かしさを感じつつ、テーマの普遍性に驚きます。
    「A、B、C」とか、ああ言ってた…みんな言ってた…(笑)みたいな。
    「壁ドン」も、もうこの頃から既にあるんですね。

     

    王道の少女漫画に見られる、男の子が女の子に突然近づいて
    女の子はドキッとするけど男の子は全然その気がなくてスカされる、
    というお決まりの展開がありますよね。
    少し前に『ちゃお』という少女漫画雑誌での同シチュエーションが
    SNSで広く拡散されていたのを見ましたが、

     

    「髪に芋けんぴついてるぜ☆」

     

    は、一周まわって(何周まわっても)衝撃的でした。
    芋けんぴは!確かに!ベタベタしているが!髪には!つかないのでは!?

     

    これからの少女漫画の進化が楽しみですね。

     

    わたしが好きな宝塚も、懐かしさと普遍性を備えています。
    『ベルサイユのばら』に顕著ですが、
    もともと少女漫画と親和性の高いジャンルなんですね。

     

    「股ドン」も「袖クル」も、
    ひょっとして過去の宝塚歌劇で上演済みかもしれません。
    100年もの歴史の中では何をしていても不思議ではありませんから。

     

    さて、続きを読みます。
    失われた少女時代を取り戻すのです!(大げさ)

  • 日傘の回

    暑いです。
    夏だからです。

     

    常夏トロピカル的なウキウキ要素はなく、
    ただひたすらに暑い。
    会社に来るまでも暑い。
    会社に来て冷えるまでも暑い。
    会社の外に出たらめっちゃ暑い。
    暑い暑いの大セールです。

     

    そこで問題になるのが日差しですね。
    直射ですね。
    まんべんなく直射されますね。

     

    直射と闘う球児たちの熱い夏も終わってしまいました。
    甲子園が終わると夏が終わったのだなと、不思議とそう思います。
    まだむんむん暑いですが。

    今では男性用の日傘があるくらいだそうで。
    日傘を買ったことも持ったこともないわたしからすると、
    そんな時代になったのかと驚いてしまいます。
    清宮くんは日傘ささない派ですねわかります。

     

    雨の日に傘をさすのも億劫なのに、
    晴れの日にも日傘をさしはじめたら、
    一年中365日傘をさす人生になってしまうと思うのですが、
    それはいいのでしょうか。

     

    いいんですねきっと。

     

    世の女性(と最近の男性)は、
    日傘をさす人生と日傘をささない人生に分かれるでしょう。

     

    そこで重要なポイントとなるのは「荷物の量」ということです。

     

    わたしは昔からカバンの中身の重い人間でした。

     

    小学校の頃、ランドセルを卒業しリュックに乗り替えたとき、
    デカいリュックにあらゆる教科の本とノートを詰め込み、
    薪を背負っているのかと思うくらいの重さを感じたと思ったら
    「ビリッ」
    リュックの肩のところが破けました。

     

    大学生になってからは第二外国語の辞書や
    分厚い参考文献を持ち歩いていたので
    いつもカバンがははちきれんばかりに重かったです。

     

    まだGoogle先生が、そこまでメジャーではなかったのですね。
    スマホでサクサクなんてことは成立しませんでした。

     

    社会人になってからも、「何が入ってるの?」と
    毎回聞かれるほどわたしのバッグは重いのです。

     

    そんな中に、日傘を入れられるでしょうか?
    折りたたみ傘でさえギリギリアウトです。重量感的に。

     

    日傘なしでも充分すぎる重量のあるバッグに、
    日傘を入れる/日傘を持つことになったら、
    この世のすべてを呪いたくなるほどの荷物量になるでしょう。

     

    日傘は「女子力」のバロメーターにされることも多く、
    女子力のある女子はたいてい日傘を持参しています。
    彼女たちの荷物は非常によくまとまっています。
    必要なものがすべてコンパクトに収納されており、さすがです。
    そんな小さいバッグによくまとめたものだと感心してしまいます。
    素晴らしいです。

     

    でも、わたしには無理なのです。
    大きいバッグに入るだけ入れてしまう。
    そんな重い人生を歩んできたわたしに、
    そろそろ肩の荷を降ろしたらどうですかと
    たとえ蘭寿とむさん(大好き)から言われても…ちょっと考えますが…できません!
    オコエくんから言われてもできません!

     

    女子力、というワードは本当に魔物です。
    ここ数年で出てきたワードだと思いますが、
    まだ廃れる気配がありません。

     

    女子力には、相反する使い方ができるからなのかもしれませんね。
    それが高いことを良しとするフィールド(主にFacebook)と、
    その高さを逆に揶揄するフィールド(主にTwitter)が同時に発生し、
    大きなエネルギーが生まれるから、なのかもしれません。
    活発なエネルギーが渦巻く場所は、古びないものです。

     

    日光に直射されながら道を歩いているとき、
    そしてどこにも救いの日陰のないとき、
    「日傘」という言葉を悪魔がわたしに囁きます。

     

    「ヒヒヒ、買っちゃえよ日傘」

     

    ふと街を見れば、悪魔の化身たちがみな日傘をさして歩いています。
    百貨店でも、悪魔たちが悪魔的な良心価格で日傘を売っています。

     

    8月21日現在、まだ誘惑に負けていません。

     

    悪魔と言えば、みなさん某ピーチインピーチは召し上がりましたか。
    あれこそ悪魔の食べ物です!
    危険過ぎます。
    もし間違って買ってしまったらすぐわたしにください。

  • シンデレラの回

    梅雨ですね。
    紫陽花がきれいに咲いています。

     

    遅まきながら『シンデレラ』を観たわけですが。
    途中、魔法使いの妖精さんが知人に似ていて、
    もうその知人Oさん(仮名)にしか見えなくなってしまって、
    わ〜Oさんだ〜目が大きい〜と思いながら楽しく観ていました。

     

    シンデレラは「灰かぶりのエラ」が縮まって
    ついた名前ということになっており、
    それは意地悪な継母の二人の娘たちからつけられた、いわば蔑称でした。

     

    蔑称という泥のレッテルをつけられたシンデレラは、
    森の中で王子様と出会います。

     

    この出会いが運命的なもので、
    シンデレラストーリーという言葉で表現されるように、
    王子様とシンデレラはあっという間に結ばれて
    幸せに暮らすことになります。

     

    ディズニー映画は必ず、
    プロローグとエピローグにシンデレラ城が出てきます。
    日本風に言えば役割としては
    「昔々〜めでたしめでたし」くらいの意味合いだと思いますが、
    作品によってはそこがゴシックホラーになっていたり、
    色々と遊びが生まれるボーナストラック場面です。

     

    映画『シンデレラ』のそれは、あぁここに
    あの二人が幸せに暮らしているのかという感慨も勝手にわきました。

     

    映画を観ていて、シンデレラはただ継母や姉たちに
    「いじめられる」わけではないのだと改めて思いました。
    「いじめ」の中身は、やってもやっても終わらない膨大な家事労働、
    パワーハラスメント、ネグレクト、
    劣悪な生活環境での寝起きなど多岐にわたっています。

     

    だから、シンデレラが王子様と出会って幸せになることは、
    長く辛い労苦の果てにつかんだ幸せなのであり、
    どんなにそれが幸運だとしても受け取って当然です。

     

    いじめられた代償として、
    裁判で継母や娘たちを相手取って訴訟を起こすことも、
    精神的ケアなどの現代的な治療も受けられない状況です。
    だから、いじめを上回る幸福を手にするべきなのです。

     

    そんなことを思いながら、シンデレラを観ていました。
    東宝シンデレラ、という名称も納得です。
    少女たちはそのタイトルを勝ち得るために、
    どれだけのものを犠牲にし、どれほど努力するでしょう。

     

    もちろん、「ラッキー」という意味合いが含まれるのはわかります。
    シンデレラは、年収200万以下の労働者ではなく、
    城を所有する一国の王子様と結ばれるわけですから。

     

    でも、大人になってから観る『シンデレラ』は、
    継母の悲哀なども少し理解できるような気がして、複雑な気持ちでした。

     

    もちろん悲哀があるからと言って、「いじめ」が許されるわけではありません。

     

    ディズニーが描きたいと思われる勧善懲悪な世界で、
    継母は悪賢く、冷酷で、シンデレラをいじめますが、
    彼女は悪魔ではなく人間として描かれていました。

     

    物語の中で、夫とその実娘シンデレラとの真の愛情のつながりを
    継母が垣間見るシーンがあるのですが、そのときの傷ついた表情は、
    彼女もまた人間なのだなと思わせるものでした。

     

    継母を演じたのは、美しきケイト・ブランシェット。
    決して女であることを諦めない、素晴らしく憎たらしい継母でした。

     

    女優として悪女を魅力的に見せるのはとても力量のいることであり、
    見事な演技だった彼女にケイト姉△〜〜!という賛辞を贈って、
    蔑んだ目で見られたいなと思いました。

     

    同時上映された「アナ雪」の短編も可愛くって、観てよかったです。
    やっぱり映画は映画館で観るに限ります。

     

    映画館を出たあと、わたしもシンデレラ城という名の我が家に帰りました。
    めでたし、めでたし。

  • ファンはやっぱりファンな回

    5月病になるヒマもなく6月になってしまったわけですが、
    いかがお過ごしでしょうか。

     

    先日、某事務所の方が出演する舞台を観に行ったのですが、
    その時のことを少しお話しようと思います。

     

    まさかこの期におよんでヅカオタから某事務所オタに乗り換えたのか?と
    疑問をお持ちの方もそうでない方も、
    落ち着いてわたしの話を聞いてください。

     

    わたしは某事務所の男性アイドルのことについてほとんど無知です。

     

    前回でもお話したかと思いますが、
    アイドルグループのライブ映像を見させてもらって、
    そこに映るファンの子たちとヅカオタとの類似性を感じたり、
    アイドルの追っかけも大変だろうなぁなんてぼんやり思っていたのです。

     

    映像のライブ会場ではあまりわからなかったのですが、
    劇場となると規模が狭くなる分、ファンの層も判明し、
    やはり某事務所の男性アイドルのファンの子たちが
    おしなべて若いことがよくわかりました。

     

    対して、ヅカオタはなんというか…大人です!
    言葉を選んでしまったようですが、
    単純なファンの平均年齢的というだけで言えば某事務所のほうが若いでしょう。

     

    全国のライブ会場で何万人も動員できるアイドルが舞台に出る。
    これは、普段豆粒くらいのアイドルに声援を送るファンにとっては、鳥肌ものです。

     

    劇場は広いと言ってもせいぜい1500〜2000人のキャパですから、
    ライブよりも圧倒的に近さがあるわけですね。

     

    生足ミニスカートという若さスパークリングな若い女子たちを劇場前で見かけ、
    しがないヅカオタのわたしはひるみました。

     

    ジャンルの違うオタク同士が出会うあの緊張感。

     

    席に座ってしまえば、別にみんなお客さんですから、
    そこまで違いはわかりません。

     

    でも、主演をつとめるアイドルの若い男の子が
    客席の後方から現れ、通路を通ろうものなら、
    やはり身を乗り出してしまうのが心性。

     

    あ、この子はあの人のファンなのかと、そこでわかったりします。

     

    その逆もまたしかり。

     

    ヅカオタは、宝塚の舞台でスターに拍手を送ることは日常茶飯事なのですね。
    トップスターが出てきては拍手、2番手スターが出てきては拍手、
    歌い終わったら拍手、礼をしたら拍手、もはや何でも拍手です。

     

    とにかくスターさんに拍手を送りたくてしょうがない。
    だって素敵なんだもん〜。
    それがヅカオタの心性の一つです。

     

    その舞台には、わたしの愛する蘭寿とむさんが出演していたのですが、
    蘭寿さんがフライング(ロープを使っての空中アクション)で
    降りてきた瞬間にバーッと拍手があったんですね。

     

    ミュージカルでもコンサートでもなく、
    一般的にストレートプレイと呼ばれるお芝居のみの舞台では、
    普通、拍手は起こらないものなんです。

     

    でも蘭寿さんキターーーーーーーーーーって
    テンション上がってしまうヅカオタ心性を持つわたしは、
    思わず拍手してしまったのです。

     

    「躾(しつけ)」という言葉が浮かびました。

     

    やはり某事務所のアイドルの男の子が主演するということで、
    東京・大阪ともチケットは瞬殺でした。

     

    200万を超える電話での応募があったと聞き、
    その人気に震撼いたしました。

     

    宝塚はわたしにとって非常にメジャーな舞台ですが、
    某事務所のファンの人々にとっては、そこまで縁のない世界。

     

    蘭寿さんが「宝塚の人」とぼんやりした総称で呼ばれていて、新鮮でした。

     

    元男役トップスターだった方が、
    女優としてどんなふうに歩んでいかれるのか、
    これからの活躍を楽しみにしたいなと思いました。

     

    そして、舞台で共演したアイドルの子が出ている番組を
    早速チェックするようになり、「沼」という言葉が浮かびました。

     

    「沼」については、また次の場で詳しくお話したいと思いますが、
    要は、ハマったら抜け出せない趣味の世界を表した用語ですね。

     

    みなさんは何の「沼」にハマっているのでしょうか。
    「沼」に落ちた経緯も含めてぜひ伺いたいものです。

     

    さて、最後は、母から最近激プッシュされる
    女優さんを紹介して終わりたいと思います。

  • GWの回

    何を隠そう、ゴールデンウィークだったわけです。
    もう遠い昔のような気がしますが。

     

    晴れやかなニュースも流れました。
    イギリス王室にプリンセス誕生!
    キャサリン妃も王女も健康とのことで安心ですね。

    わたしはほとんど家で過ごしていたので、
    乗車率200%超えとか待ち時間3時間とか何度も折り返す列とか
    いわゆるゴールデンウィークらしい場面には立ち会いませんでした。

     

    そんな中、詳しい解説ができる人を交えて、
    某アイドルグループのコンサート映像を見た日があったのですが、
    その時以来、なんだかそのアイドルグループと自分との距離が縮まってしまい、
    「あ、これあの人たちだ」とか「へえ、冠番組持ってるんだ」とか
    そういうちょっとした情報をなにげなくキャッチしている自分がいました。

     

    それは某事務所のアイドルグループなのですが、
    まずコンサート時のコンサート会場にいるファンの数がヤバい。

     

    とんでもない人数がいます。

     

    アイドルから遠く離れたスタンド席とすぐそばを通るアリーナ席があり、
    何万という女性(0.0001%くらいの男性)がいます。

     

    で、みんなウチワを持っている。
    デカい。文字が書いてある。

     

    詳しい人に聞いたところによると、
    「手を振って」と書いてあるウチワを見つけると
    手を振ってくれたりするんだとか。

     

    実はこれ、すごい(経済)効果なんですね。
    もちろん、アイドルに近いアリーナにいる
    何千という女性が持っている何百というウチワの中で、

     

    ①自分のウチワがアイドルの目にとまり、
    ②その文字が読まれ、
    ③さらにアイドルの反応がある。

     

    という三段階を経る中で、
    半径10mくらいにいる全員が「to 私だ!」と思うわけです。
    なんだ妄想の話かよと、あなどるなかれ。

     

    この妄想で、すべて(経済活動)は動いているのです。

     

    わたしも宝塚が好きなのでよくわかります。
    現場の錯覚というのはわりと自分の中で尾を引いて、
    ずっと心に残るものなんです。

     

    アイドルオタクたちは、
    自分が好きなアイドルのことを「◯◯担」と呼んだりするのですが、
    それはヅカオタの世界にも浸透していて、
    「花担(花組ファン)」とか「蘭寿担(蘭寿さんのファン)」とか言ったりするわけです。

     

    そして特定のご贔屓を持つオタクは、オタクの連携のなかで
    その錯覚を共有したり、増幅させたりして、より深い思い入れを持つことになります。

     

    共有と増幅の法則ですね(適当)。
    でも横のつながりができることで入ってくる情報も増え、
    消費行動につながりやすいことも事実。
    (「今日は◯◯のDVDの発売日だ!」みたいな情報を知ると買ってしまうなど)

     

    オタクの財布を紐を緩めているのはオタク自身なわけです。

     

    アイドルの使命は、いかに錯覚させられるか。
    アイドル[idol]とは、もともと「偶像」という意味なんですね。

     

    偶像とは、その人自身のことを指しているのではないんです。

     

    ビューティーの偶像、と言うときは、
    ビューティー自身を超えて、「イメージとしての」ビューティーを含みます。

     

    つまり、Aというアイドルは、

     

    Aの中の人が作り出すAという人物

    Aのファンである私たちのイメージが結晶した人物

     

    この総体なんですね。

     

    だから、アイドルのファンは根が深いというか、
    ◯◯オタクというふうにカテゴライズされるんです。

     

    自分たちのイメージを付加してアイドルを見ているということは、
    もはやキャラ育成ゲーム的な、たまごっち(古)育てる的な、
    「自分が関わっている」という感覚がとても強いんだと思います。

     

    極めつけは、アイドルである彼ら(彼女たち)の
    「ファンの皆さんがいるから、ここまでこられました」という最強呪文です。

     

    その「ファンの皆さん」の不特定多数を指すだけの言葉の中に、
    自分を見出すことができるかどうか。
    見出せたなら、あなたは立派なオタクですおめでとうございます。

     

    しかし、日本にはアイドルという名の多くの男の子や女の子がいて、
    まさにアイドル群雄割拠、アイドル戦国時代です。

     

    この流れに身を任せて、
    わたしもライターアイドルを自称してもいいのではないかと思わされます。

     

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