GWの回

何を隠そう、ゴールデンウィークだったわけです。
もう遠い昔のような気がしますが。

 

晴れやかなニュースも流れました。
イギリス王室にプリンセス誕生!
キャサリン妃も王女も健康とのことで安心ですね。

わたしはほとんど家で過ごしていたので、
乗車率200%超えとか待ち時間3時間とか何度も折り返す列とか
いわゆるゴールデンウィークらしい場面には立ち会いませんでした。

 

そんな中、詳しい解説ができる人を交えて、
某アイドルグループのコンサート映像を見た日があったのですが、
その時以来、なんだかそのアイドルグループと自分との距離が縮まってしまい、
「あ、これあの人たちだ」とか「へえ、冠番組持ってるんだ」とか
そういうちょっとした情報をなにげなくキャッチしている自分がいました。

 

それは某事務所のアイドルグループなのですが、
まずコンサート時のコンサート会場にいるファンの数がヤバい。

 

とんでもない人数がいます。

 

アイドルから遠く離れたスタンド席とすぐそばを通るアリーナ席があり、
何万という女性(0.0001%くらいの男性)がいます。

 

で、みんなウチワを持っている。
デカい。文字が書いてある。

 

詳しい人に聞いたところによると、
「手を振って」と書いてあるウチワを見つけると
手を振ってくれたりするんだとか。

 

実はこれ、すごい(経済)効果なんですね。
もちろん、アイドルに近いアリーナにいる
何千という女性が持っている何百というウチワの中で、

 

①自分のウチワがアイドルの目にとまり、
②その文字が読まれ、
③さらにアイドルの反応がある。

 

という三段階を経る中で、
半径10mくらいにいる全員が「to 私だ!」と思うわけです。
なんだ妄想の話かよと、あなどるなかれ。

 

この妄想で、すべて(経済活動)は動いているのです。

 

わたしも宝塚が好きなのでよくわかります。
現場の錯覚というのはわりと自分の中で尾を引いて、
ずっと心に残るものなんです。

 

アイドルオタクたちは、
自分が好きなアイドルのことを「◯◯担」と呼んだりするのですが、
それはヅカオタの世界にも浸透していて、
「花担(花組ファン)」とか「蘭寿担(蘭寿さんのファン)」とか言ったりするわけです。

 

そして特定のご贔屓を持つオタクは、オタクの連携のなかで
その錯覚を共有したり、増幅させたりして、より深い思い入れを持つことになります。

 

共有と増幅の法則ですね(適当)。
でも横のつながりができることで入ってくる情報も増え、
消費行動につながりやすいことも事実。
(「今日は◯◯のDVDの発売日だ!」みたいな情報を知ると買ってしまうなど)

 

オタクの財布を紐を緩めているのはオタク自身なわけです。

 

アイドルの使命は、いかに錯覚させられるか。
アイドル[idol]とは、もともと「偶像」という意味なんですね。

 

偶像とは、その人自身のことを指しているのではないんです。

 

ビューティーの偶像、と言うときは、
ビューティー自身を超えて、「イメージとしての」ビューティーを含みます。

 

つまり、Aというアイドルは、

 

Aの中の人が作り出すAという人物

Aのファンである私たちのイメージが結晶した人物

 

この総体なんですね。

 

だから、アイドルのファンは根が深いというか、
◯◯オタクというふうにカテゴライズされるんです。

 

自分たちのイメージを付加してアイドルを見ているということは、
もはやキャラ育成ゲーム的な、たまごっち(古)育てる的な、
「自分が関わっている」という感覚がとても強いんだと思います。

 

極めつけは、アイドルである彼ら(彼女たち)の
「ファンの皆さんがいるから、ここまでこられました」という最強呪文です。

 

その「ファンの皆さん」の不特定多数を指すだけの言葉の中に、
自分を見出すことができるかどうか。
見出せたなら、あなたは立派なオタクですおめでとうございます。

 

しかし、日本にはアイドルという名の多くの男の子や女の子がいて、
まさにアイドル群雄割拠、アイドル戦国時代です。

 

この流れに身を任せて、
わたしもライターアイドルを自称してもいいのではないかと思わされます。

 

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