• ドラマの日々

    始まる前は確か『校閲ガール』というタイトルだったのに、
    スタートしたら『地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子』という、
    トッピング全部乗せみたいなタイトルに変わっていました。
    校閲ガール、だけでは弱い、というスタッフの判断なのでしょう。
    このドラマが高視聴率を叩き出し、
    空前の校閲ブームが起こって、世の中に校閲者を目指す若者が増えて、
    弊社にも校閲部ができればいいのに、
    と思っていましたが杞憂でした。
    結局スゴくもなく、地味なままだったようです。
    石原さとみがかわいいだけでした。
    我々は、また粛々と校正作業を重ねていきます。

     

    同じクールのドラマでは『逃げるは恥だが役に立つ』、
    通称『逃げ恥』が圧勝のようで、
    巷ではガッキーと星野源が織りなす物語の行く末にやきもきしている人が、
    エンディングの恋ダンスを踊りまくっているらしいです(一部誇張)。
    年をとったのでしょうか、わたしはこのドラマにハマれず、
    36歳童貞という設定の星野源の優柔不断さを
    「平匡(役名です)、なにやってんだ」としか思えません。
    ガッキーのことは「みくり(役名です)、そんな男ほっとけ」としか思えません。
    もうわたしのような者は民放のドラマのターゲットではないのかもしれません。
    残念です。

     

    と、いうわけで自ずとNHKにチャンネルを合わせる頻度が高くなりました。
    それが年をとるということでしょう。
    子どもの頃にNHKばかり観ている親に文句を言っていたのに、
    今なら親の気持ちがよくわかります。
    時計代わりに朝ドラを見ながら出社の支度をし、
    平日の夜にはニュースなどにも合わせ、
    土曜日には『ブラタモリ』で旅情をかきたてられ、
    日曜日には『真田丸』でまったく興味のなかった戦国時代に思いを馳せ、
    そして時にはBSプレミアムだって観ます。
    また、いい番組をやってたりするんです。『The Covers』とかね。

     

    そんなすっかりNHK世代になったわたしに、朗報が飛び込んできました。
    それは2019年、
    3年後の大河ドラマの脚本を宮藤官九郎が手がける、というもの。
    『あまちゃん』の大ヒットで、みなさまのNHKにも認められた
    クドカンが手がける大河ドラマに期待しないわけにはいきません。
    しかも取り上げるのは戦国武将でも、天下人でも、幕末の志士でもなく、
    2020年の東京開催を控えた「オリンピック」史のようなもの、らしいです。
    もうこれだけで、わたしのアタマの中は妄想だらけです。
    阿部サダヲを主役に、その息子を菅田将暉が演じ、
    後は古田新太とか星野源とかピエール瀧とかそこら辺、
    それから歌舞伎界からも誰か若手を起用、
    大体5人ぐらいを主軸にして、
    タイトルは『五輪ジャー(仮)』でどうでしょうか。
    例の騒動で海外に逃亡したという噂のある成宮寛貴さんにも
    どさくさにまぎれて戻っていきてもらい、
    主人公を癒す2丁目のママかなんかで出演してもらいたいですが。
    ダメですか。才能ないですね。

     

    ともかく。さすがに先の東京オリンピックは覚えていませんが、
    わたしにとっての最初のオリンピックの記憶は、
    1972年の札幌冬季オリンピックです。
    妖精、と呼ばれたフィギュアスケーター ジャネット・リンの年です。
    お若い方はお父さんかお母さんに聞いてみてください。
    その時につくられた大会のテーマソングが
    トワ・エ・モアというデュオが歌う
    『虹と雪のバラード』という美しい曲でした。
    興味のある方は検索してみてください。
    今でも大体そらで歌えるくらいには覚えているのですが、その一番の歌詞に
    “あふれる旗 叫び そして唄”という箇所があります。
    こうして文字にしてみると、オリンピック会場である札幌の街に、
    世界中の国旗があふれ、人々の歓声が響き、さまざまな国歌や応援歌が流れ、
    という高揚した情景が浮かびますが、子どもの頃のわたしには
    耳で覚えただけの歌詞の意味がよくわかりませんでした。
    はたさけび、って何だ?とずっと思っていました。
    泣き叫ぶ、のような動詞だと思い、高揚、というよりは狂乱、をイメージして
    オリンピックっていうのは国家の威信をかけた激しい闘い、
    負けたチームが悔しさのあまり“はたさけんでいるんだ”、
    というようなことを子どもの頭で漠然と思っていました。

     

    2019年のクドカン大河から、
    2020年東京オリンピックへの流れはとても楽しみです。
    2016年も暮れようとしている今、
    巷を騒がせている会場問題などもきちんと片付き、
    日本も正しく高揚しているといいと思います。
    その時はわたしもどこかで旗を振って応援したいと思います。
    ひょっとしたら、はたさけんでいるかもしれませんが。

  • 趣味の日々

    2016年11月9日、
    第45代アメリカ合衆国大統領にドナルド・トランプ氏が選出されましたが、
    わたしはこれに関して何も語れませんので、
    相変わらずいつものようなブログを書きます。

     

    北海道日本ハムファイターズ、10年ぶり3度目の日本一おめでとうございます。
    我が広島東洋カープは、
    32年ぶりの日本一の胴上げをすることはできませんでした。
    シリーズ中、二度も満塁ホームランをくらっていては勝てません。
    第6戦で日ハムの主砲レアードに満塁弾を放たれた時は、
    広島の方から大きなため息が東京まで聞こえました。
    少なくともわたしには聞こえました。
    もう2度とシャウエッセンは食べません。嘘です。
    大好きです、シャウエッセン。
    しかし、生まれて初めてくらいに真剣に日本シリーズを観戦した結果、
    大谷と中田翔と監督の栗山ぐらいしか知らなかった日ハムに、
    個人的に好みのタイプのしゅっとしたイケメン選手が
    何人かいたことを報告しておきます。その数はカープより多いです。
    発見です。

     

    今期限りで引退を発表した黒田と、165kmを投げた大谷が闘うはずだった
    第7戦が幻に終わってしまった日曜日、
    暇を持て余したわたしはひとりで映画館に行きました。
    朝井リョウの原作が好きで2度も読んだ「何者」という映画を観ました。
    映画自体には賛否あるようですが、わたしは好きです。
    就活やSNSにまつわる、
    今どきの若者のひりひりするような生態を、
    今の若手俳優の中でもデキる人たちが演じています。
    佐藤健の役は、鬼ちゃんこと菅田将暉の役と入れ替わったバージョンでも
    観たかった。
    二階堂ふみの役は、有村架純の役と入れ替わったバージョンでも観たかった。
    みんな芝居がうまいなあ、と素直に思ったので。
    興味がある方はぜひ映画館へ足を運んでください。

     

    作中でES、エントリーシートを書いているシーンがありました。
    わたしはESを書いたことがないので、ネットで検索してみると、
    そこには多様なフォーマットがあり、まあ履歴書の前段階のようなもの、
    と理解しました。
    今どきですから「受かるエントリーシートの書き方」などの項目で
    さまざまなノウハウが指南されており、便利ではあるけれど、
    逆に個性を出すのは大変だなあ、と感じました。
    その辺の葛藤も映画には上手く描かれています。

     

    その昔、わたしが手書きの履歴書を書いていた頃、
    一番頭を悩ませたのは「趣味」の欄でした。
    多分今なら、素直に読書、映画鑑賞、観劇、と書けるでしょう。
    実際に本も読みますし、「何者」を観たように映画もDVDでなく、
    映画館で観る派です。
    舞台やライブにも月に何本かは通っています。
    しかし学生だった頃や就職活動をしていた頃、読書や映画鑑賞と書くのは
    あまりにも当たり前の面白みのない解答のような気がして、
    趣味欄に書ける見栄えのいい趣味を持っている人を
    うらやましいと思ったものです。海外旅行、とか。
    また実際にそう書けるほど、
    当時は本も読んでないし、映画館にも通っていなかった。
    お金がなかった、というのもありますが。

     

    あなたの趣味は何ですか。
    趣味は野球という方、
    あの時なぜ緒方監督がピッチャーを交代しなかったのか語れる方、
    ただいま個人的に「広島東洋カープ応援ありがとうキャンペーン」を
    実施しておりますので、声をかけてください。ビールぐらいおごります。
    次のリーグ優勝がまた25年後だとしたら、
    わたしは観ることができないかもしれません。
    生きてるうちにお願いします。

  • ヒロシマの日々

    広島東洋カープ25年ぶりのリーグ優勝おめでとうございます。
    ありがとうございます。
    無事にCSも勝ち上がり、あとは32年ぶりの日本一を待つばかりになりました。
    それにしても、立ちはだかるのは日ハム大谷。
    正直勝敗の行方はわかりませんが、10月も終わろうとするこの時期まで
    プロ野球が観られる喜びにひたっています。

     

    地上波でのプロ野球中継がすっかり少なくなってしまった現在ですが、
    いわゆるリーグ優勝が決まった2016年9月10日は土曜日で、
    幸いなことに夕方からの試合はNHKで放送されていました。
    仕事が休みの人も多く、たくさんの人が家でゆっくりしながら
    中継を見ることができたようで、関東でも視聴率はそこそこ、
    こと広島県に限って言えば60%!越えを記録したそうです。
    あんなに真っ赤になった東京ドームのスタンドは初めて見ました。

     

    紆余曲折を経て古巣に戻ってきた、
    ピッチャー黒田博樹41歳、内野手新井貴浩39歳。
    優勝が決まった直後の、二人の抱擁や男泣きにぐっときたのは、
    何もカープファンに限らないはず。
    万年Bクラスを優勝に導いた2人のカリスマの姿、
    同じ年代の社会人にとっても、
    さまざまな思いが去来した瞬間だったと思います。もちろんわたしも。

     

    2016年は広島県にとっては特別な年として刻まれます。
    5月、平和記念公園でのオバマ大統領のスピーチには胸を打たれました。
    いろいろな意見もあるでしょうが、
    1945年8月6日、原子爆弾が投下され、
    広島からヒロシマになった街に、アメリカの現職の大統領が訪問したのは
    歴史上初めてのことなのですから。
    スピーチ全文の英文書き起こしがネットに上げられていますが、
    中高の英語の教科書に載せればいいと思います。
    そしてカープの25年ぶりの優勝が、
    この歴史的な出来事と無関係だとは思えません。

     

    優勝からおよそ1週間後のシルバーウィークに、広島に帰省しました。
    わたしが育った街は県内とはいえ、
    広島市からは車で1時間半ぐらい離れているので、
    実はあまり訪れたこともないのですが、
    今年は優勝に沸く広島の街をどうしても見たいと思いました。
    さすがに全国区でも報道されたような喧噪は落ち着いていましたが、
    それでもあちこちでエンドレスに応援歌が流れ、
    手描きも印刷物もまじったたくさんの「優勝おめでとう」のポスターが貼られ、
    デパートでは店員がユニフォームを着て接客していました。
    それも無理矢理着せられたのではなく、
    明らかに自前の、思い思いにカスタマイズされたスタイルで。
    真っ赤に染まった広島の街を歩くのは楽しいものでした。
    何年かぶりに平和記念公園や原爆ドームにも行きました。

     

    朝から行列に並んで、優勝記念Tシャツを買ったのを皮切りに、
    カープグッズを買いあさりました。
    市民球団であるカープは地元の企業によって支えられている部分が大きいので、
    いわゆるレプリカユニフォームやキャップ、
    メガホンなどのよくある応援用のアイテム以外にも
    お菓子、アルコール、米、味噌、漬け物からティッシュ、ラップにいたるまで、
    さまざまなアイテムでカープ坊やが微笑んでいました。
    帰省でこんなにカープグッズを購入したのは初めてです。

     

    2016年がそういう年だったからか、
    わたしがそういう年齢になったからかはわかりませんが、
    自分の中で広島愛が加速しています。
    20代、30代の頃は、あんな田舎には帰らなくていい、と思っていたのに。
    地元に帰って、中学や高校時代の友人と昔話やカープの話を、
    ゴリゴリの備後弁で話していると落ち着きます。
    日本シリーズも、できれば地元で、みんなでわいわい言いながら観戦したい。
    もう一度夏休みを、広島の日々をください。

  • SMAPの日々

    あれからぼくたちは何かを信じてこれたかな♪
    あの頃の未来にぼくらは立っているのかな♪
    名曲ですよ、スガシカオ作詞。
    もう夜空ノムコウ側を結構遠くまで来てしまったような気がします。

     

    早いもので、
    この「コピペ」というブログがスタートしてからもう6年になります。
    冒頭の4行は、わたしがその5回目に書いた文章とまったく同じです。
    その回のタイトルは“あの頃の日々”、というものでしたが、
    文字通りあの頃はこの曲を歌っているSMAPがこんなことになるなんて
    思ってもみませんでした。
    あの頃の未来に立ってない、思ってたのと違う、
    なんていう実感はきっと誰しもあるでしょう。
    そして今それを強く感じているのは誰よりも彼ら自身かもしれません。

     

    わたしは彼らのことが好きでした。過去形です。
    その理由はいろいろありますが、
    そのひとつに結成25周年とも28年とも言われる彼らの活動の歴史と
    わたしの社歴がほぼ同じ、ということがあります。
    ブレイクする前の6人組だった頃の彼らが、
    アシスタント的に出演していたバラエティ番組に
    「音松くん」というコーナーがありました。
    6人それぞれに色+松という役名がついていて、
    木村拓哉は「赤松」と名乗って、コントを演じていました。
    親近感を覚えたわたしは彼を意識しました。
    見ているうちに、10代の、少年から青年になる特有の輝きに惹かれ、
    ファンになりました。
    多分その頃彼はまだキムタクとは呼ばれていません。
    そしてこのエピソードが、色のついた名前という考え方が、
    のちの村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』に
    大きな影響を与えたのです。嘘です。
    ともあれ、1960年代に連載が始まった赤塚不二夫「おそ松くん」と
    現在ブレイク中の「おそ松さん」の間には
    「音松くん」があったことを覚えておいて損はないでしょう。
    得もありませんが。

     

    そしてそこから木村拓哉はドラマに出演して人気を得、
    他のメンバーより一足先に知名度を上げ、キムタクになり、
    SMAPの絶対的エースとして、一見の客を呼び込み、他のメンバーを牽引し、
    結果的にSMAP全体のステイタスを上げました。
    国民的アイドルになった彼らですが、
    昭和の時代に一世を風靡した、ザ・ドリフターズにはなれませんでした。
    ただ一点、解散という結果においてですが。
    たとえ楽屋では目を合わせないほどこじれていたとしても、
    ファンの前ではにっこり笑って歌って踊っていてほしかった。
    今年のはじめの生放送での騒動に対する謝罪会見で、
    わたしたちはどんなに繕っても画面からにじみ出る不仲を目撃しました。
    アイドル、という仮面がとれた瞬間を目撃しました。
    そして事態は鎮静化したかに見えたのに、
    結局先日のリオオリンピックの最中の解散発表です。

     

    それからは堰を切ったように、ジャニーズ事務所のお家騒動が報道され、
    これまではよほどの芸能事情通でなければ知らなかった、
    マネージャーの名前や事務所のシステムなどが次々と白日のもとに。
    芸能人が夢を売る仕事だとしたら、
    きらきらとしたステージの裏側を見せるのは得策ではないでしょう。
    事務所が誰かを守るためにそれを許しているのだとしたら、
    終わりの始まり、にならなければいいと思います。

     

    2016年をもって解散するSMAPは、
    結果的に平成を生きたアイドルということになってしまいました。
    滅多なことは言えませんが、天皇陛下の生前退位の問題など、
    平成、という時代が終わりを告げようとしているのかもしれません。
    解散、しなければならないのかもしれません。
    今年もあとわずか4ヶ月、SMAPとともに、考えることがありそうです。

  • ゲームの日々

    「One more time,One more chance」、という曲をご存知ですか。
    何かの理由で別れた男女、男性の方はまだ彼女に未練があって、
    いつも二人で訪れた街角を歩いていると、
    ついつい彼女がいるんじゃないかときょろきょろと捜してしまう、
    という切なさ全開、山崎まさよし初期の名曲なんですが。

     

    この曲には、こんな歌詞があります。
    “いつでも捜しているよ どっかに君の姿を
    向いのホーム 路地裏の窓 こんなとこにいるはずもないのに”。
    そう、こんなとこにいるはずもないのに、わたしもいつでも捜しているんです。
    ポケモンを。

     

    しばらく手を出さないでいようと思っていたのに、
    日本配信の初日にダウンロードしてしまい、すっかりハマってしまいました。
    何が楽しいって、普段は滅多にスマホのカメラを向けることのない、
    駅の構内を行き交う人の後ろ姿に、電車で向かいに座った酔っぱらいの寝顔に
    リビングで腹を掻きながらテレビを見ているダンナに、
    ちらかった会社のデスクに…、
    とにかくARをオンにした状態の画面の中にポケモンが現れ、
    それを捕まえるのが楽しい。単純だけど楽しい。
    ARはオフにした方が捕まえやすいようですが、オフにする人の気持ちがわかりません。
    あの画面の中にポケモンがいるのを見るのが楽しいのに。
    オフにするぐらいなら、わたしはポケモンを捕まえに行くこともないでしょう。

     

    このアプリのおかげでわたしたち夫婦は確実に会話が増えました。
    「近所のポケストに撒かれてる」、「うちの近所、コラッタしかいねー」、
    「ポッポもういらない」、「卵からピカチュウが孵った」、
    「新宿御苑で入場料200円払って、ピカチュウ捕まえてきた」、
    「今レベルいくつ?」「ちょっと近所散歩してくるわ」…。
    いい大人がモンスターの名前を口にしているなんて、
    バカっぽいとは思いますが。
    夫婦でゲームについて話すなんて、実に「ドラクエ2」以来です。
    いつの時代だよ、とお思いでしょうが、まだバックアップができず、
    復活の呪文を手書きで書いていた頃、以来です。昭和です。
    天皇陛下が生前退位をなさったら、
    新しい元号から数えて2つも前になってしまう昭和以来です。

     

    歩きスマホの問題、夜間に出歩く危険性など、
    いろいろとご批判もありましょうが、
    わたしたちのような中高年までも巻き込んでしまったこのポケモン捜しは、
    久しぶりに世代を越えた流行、社会現象です。
    それこそ昭和の頃を思い出すような、
    世代間のコミュニケーションも生まれているのではないでしょうか。
    昔の歌謡曲といっしょです。
    「ザ・ベストテン」の時代は、
    おじいちゃんも、お母さんも、お兄さんも、ぼくも、わたしも、
    みんなが知っている、みんなが歌える歌が毎日テレビから流れていました。
    ポケモン探しが、ちょっとそれと似た役割を果たしているような気がします。
    そしてそれはそんなに悪いことでもないと思うのです。
    「ポケモンGO」と「シン・ゴジラ」と「SMAP解散」の夏、
    と今年は記憶されるのではないでしょうか。

     

    時期はちょうど夏休み、お父さんのスマホを操作しながら、
    ポケモン捜しの旅に出ている親子も多いと思います。
    今どきですから、自由研究のテーマにもいいでしょう。
    わたしは8月16日現在、レベル22、集めたポケモンは90です。
    このゲームのゴールがどこなのかはわかっていませんが、
    今日も地道に図鑑を埋めていきます。
    しかしオリンピックもあるし、高校野球も、カープは今年こそ優勝だ、
    「シン・ゴジラ」の2回目も観たい、「角川映画祭」も行かなきゃ…。
    大人のわたしにも1カ月くらいの夏休みをください。