ゲームの日々

「One more time,One more chance」、という曲をご存知ですか。
何かの理由で別れた男女、男性の方はまだ彼女に未練があって、
いつも二人で訪れた街角を歩いていると、
ついつい彼女がいるんじゃないかときょろきょろと捜してしまう、
という切なさ全開、山崎まさよし初期の名曲なんですが。

 

この曲には、こんな歌詞があります。
“いつでも捜しているよ どっかに君の姿を
向いのホーム 路地裏の窓 こんなとこにいるはずもないのに”。
そう、こんなとこにいるはずもないのに、わたしもいつでも捜しているんです。
ポケモンを。

 

しばらく手を出さないでいようと思っていたのに、
日本配信の初日にダウンロードしてしまい、すっかりハマってしまいました。
何が楽しいって、普段は滅多にスマホのカメラを向けることのない、
駅の構内を行き交う人の後ろ姿に、電車で向かいに座った酔っぱらいの寝顔に
リビングで腹を掻きながらテレビを見ているダンナに、
ちらかった会社のデスクに…、
とにかくARをオンにした状態の画面の中にポケモンが現れ、
それを捕まえるのが楽しい。単純だけど楽しい。
ARはオフにした方が捕まえやすいようですが、オフにする人の気持ちがわかりません。
あの画面の中にポケモンがいるのを見るのが楽しいのに。
オフにするぐらいなら、わたしはポケモンを捕まえに行くこともないでしょう。

 

このアプリのおかげでわたしたち夫婦は確実に会話が増えました。
「近所のポケストに撒かれてる」、「うちの近所、コラッタしかいねー」、
「ポッポもういらない」、「卵からピカチュウが孵った」、
「新宿御苑で入場料200円払って、ピカチュウ捕まえてきた」、
「今レベルいくつ?」「ちょっと近所散歩してくるわ」…。
いい大人がモンスターの名前を口にしているなんて、
バカっぽいとは思いますが。
夫婦でゲームについて話すなんて、実に「ドラクエ2」以来です。
いつの時代だよ、とお思いでしょうが、まだバックアップができず、
復活の呪文を手書きで書いていた頃、以来です。昭和です。
天皇陛下が生前退位をなさったら、
新しい元号から数えて2つも前になってしまう昭和以来です。

 

歩きスマホの問題、夜間に出歩く危険性など、
いろいろとご批判もありましょうが、
わたしたちのような中高年までも巻き込んでしまったこのポケモン捜しは、
久しぶりに世代を越えた流行、社会現象です。
それこそ昭和の頃を思い出すような、
世代間のコミュニケーションも生まれているのではないでしょうか。
昔の歌謡曲といっしょです。
「ザ・ベストテン」の時代は、
おじいちゃんも、お母さんも、お兄さんも、ぼくも、わたしも、
みんなが知っている、みんなが歌える歌が毎日テレビから流れていました。
ポケモン探しが、ちょっとそれと似た役割を果たしているような気がします。
そしてそれはそんなに悪いことでもないと思うのです。
「ポケモンGO」と「シン・ゴジラ」と「SMAP解散」の夏、
と今年は記憶されるのではないでしょうか。

 

時期はちょうど夏休み、お父さんのスマホを操作しながら、
ポケモン捜しの旅に出ている親子も多いと思います。
今どきですから、自由研究のテーマにもいいでしょう。
わたしは8月16日現在、レベル22、集めたポケモンは90です。
このゲームのゴールがどこなのかはわかっていませんが、
今日も地道に図鑑を埋めていきます。
しかしオリンピックもあるし、高校野球も、カープは今年こそ優勝だ、
「シン・ゴジラ」の2回目も観たい、「角川映画祭」も行かなきゃ…。
大人のわたしにも1カ月くらいの夏休みをください。