大和の日々

2019年5月1日、元号が平成から令和に変わったその日、

わたしは自宅ではなく実家にいました。

初めての10連休という触れ込みのゴールデンウィークを

実家のある広島で過ごしていたのです。

午前中から山間の日帰り入浴施設にいたわたしは、居合わせた入浴客とともに、

施設内の大型テレビで中継を見ていました。

そして即位後朝見の儀にご出席になるため、

東宮御所から皇居に向かわれる雅子さまを見て、

なぜか今までに感じたことのない思いにとらわれました。

黒塗りの車の窓から、沿道ににこやかに手を振られる雅子さま、

その姿に心から「頑張ってー」、というエールを送っていました。

不敬かもしれませんが。

外務省勤務のバリキャリ(死語ですが)だった小和田雅子さんが

皇太子妃になり、それまでの環境とはある意味真逆の皇室に入られ、

心身の不調なども取沙汰されるなか、26年の時を経て、皇后陛下になられた。

あの時のティアラにローブ・モンタントは美しい戦闘服のようにも見え、

わたしの脳内にはなぜか「宇宙戦艦ヤマト」のテーマが鳴り響いていました。

不敬かもしれませんが。

 

時は前後しますが、平成最後の4月の月末、

わたしたち夫婦は奈良県にいました。

世界遺産・薬師寺の大講堂の前でオーケストラをバックに開催される

玉置浩二のコンサートのためです。

通常のホールでのコンサートとは違って、完全な屋外、

しかもそこは1300年の歴史を持つ名刹。

平成の最後を過ごすのに、これ以上ふさわしい舞台があるでしょうか。

コンサートはまだ陽のあるうちに始まり、

時間の経過とともに次第に暗くなっていく境内では、

風の音や鳥のさえずりまでもが演出です。

屋外であることにまったくハンデのない、オーケストラと一体となった歌声は、

西ノ京の空にこだまし、吸い込まれ、

時空を超えて平安貴族の雅びな歌会にいるような気になりました。

いや、大げさでなく。

 

思えば修学旅行以来に奈良を訪れたのは、もう15年以上前、

平成の中頃のことでしょうか。

その時も思いましたが、710年の平城京遷都から始まった土地は、

空が広く、高く、非常にプリミティブな心の落ち着く場所でした。

確かに日本のルーツがここにあったのだとDNAで感じるような大和でした。

よく言われることですが、

小中学生の修学旅行で訪れた奈良や京都の神社仏閣のことは

多分ほとんどの人が記憶にないでしょう。

友だちと好きな異性の話をした夜や

班行動で食べたスイーツの味の方が鮮明で。

もちろんそのことは一生の素晴らしい思い出です。

しかし古いものの魅力や大切さは年をとってからわかります。

そしてそれはラジオ体操と似ています。

体育の時間や夏休みに、しぶしぶやらされたラジオ体操は、

からだも柔らかく筋肉もしなやかで、

どこにも痛みのない子どもには大した効果もありません。

しかし、この年になった今、肩を上げ下げしたり、屈伸をしたり、

首をぐるぐる回したり、ふくらはぎを伸ばすことの重要性を

ひしひしと感じています。奈良は、ラジオ体操です。

大人になってこそ必要な場所、と感じました。

 

コンサートの翌日には、橿原神宮、飛鳥寺、石舞台古墳、と、

さらに時代を遡り、奈良時代から古代史まで、駆け足で巡りました。

1年中人が多く、少し街としての敷居の高い京都よりも、

わたしは奈良をお勧めします。

 

とはいえ、平成から令和へ、とあわただしかった日々も、

終わってしまえば結局はただの地続きで、また毎日は淡々と過ぎています。

次は2020年、大和の国で行われる、

オリンピックのチケットを入手しなければなりません。

開会式の一番高額な席、1枚30万円。

この前神保町の駅で、乗り換えについて尋ねられ、

ついでだからとホームまで案内した老婦人が、身寄りのない大富豪で、

「あの時、親切にしてくれた女性に全財産を譲る」と

遺言状を書いていてくれないかと妄想しながら、令和の世も粛々と働きます。