ジャニーズの日々

7月も後半になるというのに、梅雨に入ったまま明ける気配がありません。

連日、雨、もしくは曇り。気温も上がらず、

子どもたちは夏休みを迎えたのに、プールにも入れない。

なんとなく街全体が鬱々としている気がします。

なんでもこの7月の東京の日照時間は観測史上最も少ないとか。

去年の今頃は毎日30度超えの真夏日で息も絶え絶えだったことを思えば,

過ごしやすいとも言えますが、やはり人間にも光合成は必要。

太陽を浴びて外で遊んでビールなんか飲んで、

夜は洗い立てのカラッと乾いたシーツで眠りたいものです。

 

そんな湿度の高い令和元年の夏に、芸能界の大物の訃報が飛び込んできました。

ジャニー喜多川氏、享年87。

言わずとしれたジャニーズ事務所の社長である、ジャニーさんです。

流行りのTikTokが、もしもわたしの中高生時代に存在したなら、

当時の放課後毎日のように教室の片隅でみんなで踊っていたフォーリーブスの

「ブルドッグ」をアップします。

歌って踊る男性4人組のグループのはしり、フォーリーブスのその曲は

サビの部分の“にっちもさっちもどうにもブルドッグ”という

まったくわけのわからない歌詞と、

ゴムチューブを足で踏んで両手に持ち、びよんびよんさせながら歌うという

これまた意味不明なパフォーマンスで、わたしたちをくぎ付けにしました。

去年流行ったDA PUMPの「U.S.A.」並みに、

当時の子どもたちの間で流行りました。

それがわたしとジャニーズ事務所の出会いです。

 

それから数十年、わたしが筋金入りの芸能ミーハーになったのは、

結果的にはジャニーさんのせい、いやおかげなのかもしれません。

 

フォーリーブスの後、ジャニーさんに見いだされた福岡出身の原武裕美少年が、

「郷ひろみ」と名前を変え、弟分としてデビューしました。

わたしは現在のジャニーズの繁栄があるのは、

ルックス、キャラクター、歌、ダンス、すべてがキラキラしていた

郷ひろみがいたからだと思っています。

それからなんだかんだあって「2億4千万の瞳」が流行ったおかげで

若い世代からヒロミ・ゴー、ジャパーン、

などと半笑いで扱われることもありますが、

還暦を過ぎた今でも太りもせず、抜けもせず、

いろいとメンテナンスしてはいるんでしょうが、見た目を保ち、

アイドルをやっていることは尊敬に値します。

でも、彼はわずか3、4年しかジャニーズ事務所にはいなかったんですが。

 

郷ひろみがいなくなってから、ジャニーズ事務所は低迷します。

タレントはいたものの、誰もが知る人気者は生まれませんでした。

80年代に、田原俊彦、近藤真彦、野村義男の3人、

通称たのきんトリオが現れるまでは。

武田鉄矢が先生役で人気を集めた学園ドラマ「3年B組金八先生」の生徒役で

デビューした3人は、ドラマの人気も相まって、

あっという間にスターになっていきました。

その様をリアルタイムで体験していたわたしたち世代、

クラスはトシちゃん派かマッチ派に別れ、

変わり者がヨッちゃんに流れていました。

そして満を持してレコードデビューも果たした

トシちゃんもマッチも爆発的に売れ、ジャニーズ事務所ここにあり、を

再び世間に知らしめることになったのです。

その後も事務所に残ったマッチは、この時の功績により、

今でも後輩から“マッチさん”と呼ばれる大幹部になり、

多分これからも安泰です。

トシちゃん派だったわたしは、

今でもたまにテレビに出ては後輩たちにちやほやされている

近藤真彦を見るたびに、“マッチのくせに”、という思いと、

“継続は力なり”という格言が浮かびます。

 

昭和、平成、令和を生きたジャニーさん追悼の意味を込めて、

その功績を振り返るとともに、わたし自身の芸能史を綴るつもりでしたが、

たのきんの時点で文字数が…。

まだシブがき隊にも、少年隊にも、光GENJIにも、SMAPにも、TOKIOにも、

V6にも、Kinki Kidsにも嵐にも言及してないのに。

キンプリのことだって、がんばれば語れるのに。

「クラスで人気あったジャニーズ誰?」と聞くと、好き嫌いはともかく、

それぞれの世代に答えがあって、その人の年齢が大体わかります。

それは結構大した足跡だと思うのです。

 

ジャニー喜多川を失ったジャニーズの行く末を

わたしが憂いてもしようがありませんが、

ジャニタレたちの魅力のひとつに、ダサさとかっこよさの絶妙なブレンド、が

あると思います。

ブルドッグの振り付け、グループ名のネーミングセンス、

デビュー当時のSMAPや嵐の衣装、

それは一歩間違えば一発屋で終わっていたかもしれないギリギリの線。

そのブレンドの配合は企業秘密、ジャニーさんにしかわからない、

老舗のうなぎのタレのようなもの。

そのタレの味を果たしてタッキーは受け継いでいるのか。

しかし、先日テレビで観た滝沢秀明演出の

“筋肉太鼓”なるパフォーマンスに、その妙味は感じました。

 

タッキーが名付け親になって、

「令和」がグループ名に入るユニットは誕生するでしょうか。

2020TOKYOを視野に入れたグループはできるでしょうか。

それとも退所者や結婚組が続出し、分社化するなど、

屋台骨が揺らぐことになるでしょうか。

さようならジャニーさん。ありがとうジャニーさん。

カリスマのいなくなった企業の存続について、

わたしはこれからも目が離せません。

そして吉本興業の今後にも。


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