• 後楽園でぼくと握手!(3/3)

    【前回までのあらすじ】前回からだいず時間空いてしまったけんど、お届けしまず。大澤真幸にせっつかれながら『恋愛の不可能性について』を引用したわたし。しかし、その社会学論考をも骨抜きにする最近のマンガ『君に届け』。あのマンガでは恋愛は恋愛というより純愛っつーかもうね!ってなわけで、最終回。

     

    わたしは、気がついたら
    誰もいない部屋にひとりで立っていた。
    あれ、椅子男性a.k.a大澤真幸は・・・?

     

    もじゃっとした頭。
    白いシャツに、ぴったりとしたブルージーンズ。
    さっきまで不機嫌そうな顔で、
    わたしが本を引用するのを聞いていた
    椅子男性a.k.a大澤真幸。

     

    もうそこには誰もいない。
    椅子もない。

     

    ああっ
    最後なんかめちゃ態度悪くなかった!?
    つーか読みかけなのに出てくるほうが悪くない!?
    速読術あるわけじゃないからそんなに速く読めないよ!
    だってあの本・・・超絶眠いしさ。

     

    誰もいない四角い部屋。
    わたしは、ふと思い立って、ほんの数秒前まで
    椅子男性a.k.a大澤真幸がいたであろう
    場所までゆっくり歩いた。

     

    本が落ちていた。
    『恋愛の不可能性について』大澤真幸著 ちくま学芸文庫。
    カラーのふせんが貼ってある。
    なんだわたしの本か。

     

    ページをめくる。
    カバーを外し、著者近影を見る。
    静止画に戻った椅子男性a.k.a大澤真幸は、
    もう椅子が超絶似合う椅子男性a.k.a大澤真幸ではなくなっていた。
    この本の著者である大澤真幸の顔をしていた。

     

    わたしはその、
    著者近影をずいぶん長い間ながめていたと思う。
    有名人に会うとこんなふうに違和感を感じたかなぁ。
    昔、ジーコに会ったときも、
    小学生のわたしから見てもジーコが痩せていて小柄で驚いた。
    握手したのに目が泳いでいた気がする。
    次に会ったのは蛭子能収だった。
    蛭子さんのことをよくわからないまま握手をしてもらった。
    握手してもらったのに、あんまりうれしくなかった。

     

    握手の感覚で唯一、肌で覚えているのは、
    オランダでお世話になった医師のシュミットだ。
    シュミットは、『ザ・シンプソンズ』の登場人物のような外見だった。
    美しいピーナッツ型の頭には、ぜったいに
    天文学的な量の医学の知識や、患者のカルテや
    今日や明日のオペのスケジュールやなんやかんやが、詰め込まれているはずだ。
    彼は医師らしく理性的で、オランダ人らしく寛容だった。
    すごく忙しそうだった。

     

    別れ際、そんなシュミットと握手したとき
    わたしは、脳天をかち割られるくらいの衝撃を受けた。

     

    シュミットの手は、人の手と思えないほど
    それこそ綿のようにふっくらとしていて、あたたかく、
    それでいて驚くほど繊細だった。
    天使と握手するとこんな感じなのかな。
    シュミットはぎゅっと握るわけでもなく、
    ただ、わたしを安心させるようにそっと、手で手を包んだ、という感じだった。
    握手で感動したのは、あれが最初で最後だと思う。
    わたしはシュミットの、人生を少しだけ感じた気がした。

     

    きっと手は、その人がなにをどう扱ってきたのかを、
    ダイレクトに相手に伝えてしまう。
    シュミットがその手で触れてきたものは、
    がさつなわたしなんかが扱ったら一瞬にして
    壊れてしまうような、極めて繊細ななにかだったのだ。

     

    ひととあまり握手をする機会はないけれど、
    もっとみんな握手すべきだと思う。
    自分と違う年齢、違う職業のひと。
    母でも父でも、親戚のおじさんでも、近所のおじいちゃんでも。
    きっと、すごくびっくりするはずだ。
    その人がひとりで背負ってきたものが垣間見えるから。

     

    後楽園でぼくと握手!というCMを子供のころ見たけど、
    あの赤レンジャーと握手したら、
    バイトで疲弊した青年の人生を感じられたのかもしれない。

     

    椅子男性a.k.a大澤真幸と握手すればよかった。
    そうしたら、もうちょっと話題も広がったのかもな。

     

    わたしは、その場に寝転がった。
    しんしんと冷えた床に、寝転んだ。
    こんなに寒い部屋だったっけ、ここ。
    本を読んでいるときはいつもそうだ。
    いつもの世界は、まるで飛び出す絵本の背景のように後ろへしまわれて、
    本を持つ手だけが、かろうじて自分の存在を思い出させる。
    真っ白な床を、ごろごろ転がってみる。ごーろごろ。
    自分の体温がなじんでいくまで、がゆっくり寒い。

     

    わたしはもう、恋愛が可能でも不可能でもどっちでもいいような気がしていた。
    どうでもいい、というのではなくて、
    恋愛は恋愛というものの周辺にあるそれこそうんざりするような、
    膨大な時間や、気遣いや、ケンカや、話し合いや、仲直りや、
    あらゆることが自分の人生の何割かに直結していて、
    それを抱えて生きていて、だからすごく現実だ。
    だから「恋愛」を遠くから眺めるだけでは、不可能にしか見えない。
    だって超絶たいへんそうに見えるし、実際、そうだ。
    でも、眺めるんじゃなく、飛び込んで、大ケガするくらいが人生おもしろい。

     

    つーか!うわっこの文章ブログっぽい!無駄に女子のブログっぽい!
    ついでに言うと、『君に届け』は、もちろん、届いちゃうんだよ!
    だってマンガだから! いいじゃないか!
    『君に届け』で、その気持ち届きませんでした、は切なすぎるだろ!

     

    そして結局、
    『恋愛の不可能性について』を読み終えるのは、まだまだ先なのだった。

  • つーかそんな消去法的な感じなの!?   (2/3)

    【前回までのあらすじ】
    真ん中のドアを選んだわたしは、通勤電車内で眠りながら読んでいる本の作者、大澤真幸と出会う。突然あらわれた大澤真幸。椅子がすごく似合っていたので、椅子男性a.k.a大澤真幸とわたしは呼ぶ。そして、『恋愛の不可能性について』をめぐるちょっぴり異常な物語がはじまるのだった・・・

     

    わたしは、向かい合っていた。手に汗にぎって。
    椅子男性a.k.a大澤真幸と。
    もじゃっとした頭。
    白いシャツに、ぴったりとしたブルージーンズ。

     

    ―きっと、内容を全くわかってないと思ったので、出てきました

     

    いや、わかるような気がする部分もあるんですよ。
    グッとくる部分っていうかね。
    難しい本だって、日本語なんだから。

     

    ―例えばそれはどこですか

     

    不審そうな、小馬鹿にするような
    なんとなく鼻につく感じの言い方で、
    椅子男性a.k.a大澤真幸はわたしに聞いた。

     

    えーとね、ちょっと待って。
    わたしはなぜか自分のポケットを探した。
    ない。そりゃそうだ。
    わたしは文庫本をポケットに入れるなんて
    無頼なことはしない。
    あのう、今持ってないです。

     

    ―はいどうぞ

     

    ああどうもすみません。
    椅子男性a.k.a大澤真幸は、
    わたしに『恋愛の不可能性について』を差し出した。
    意外にやさしいじゃん。
    カラーの細いふせんが貼ってある。
    なんだよわたしの本じゃん。

     

    ―どこですか。そのグッとくる箇所は。早く引用してください

     

    急かすなよ、椅子男性a.k.a大澤真幸。
    わたしは自分で貼ったふせんをたどりながら、
    そこより少し前にさかのぼったあたりから、
    声に出して読み始めた。
    こういう音読はとても久しぶりだ。

     

    ~『恋愛の不可能性について』からの引用①~
    ――サンドラとウォルターは、一緒に暮らしている。
    ウォルターは、サンドラを愛していると言っているし、
    愛にふさわしい行動も示している。しかし、にもかかわらず、
    サンドラは不安をもち、ウォルターに問う、
    「あなたは私を本当に愛しているのか?」と。――

     

    サンドラは、何を懐疑しているのか?
    ウォルターが、サンドラの美点(性質)を記述し、
    それに対する彼の評価を表明することによって、
    言わば「愛する理由」を列挙したとしても、サンドラは決して満足しない。
    たとえば、サンドラが美しいこと、サンドラが聡明であること、
    こういったことをウォルターがいくら強調しても、
    サンドラは決して満足しないだろうし、それどころか怒ってしまうかもしれない。

     

    サンドラが問うているのは、
    ウォルターにとってサンドラが唯一的であるか、ということだ。
    すなわち、ウォルターにとってサンドラが
    他によって代替不可能で、かけがえのない者であるか、ということである。
    たとえば、サンドラの美しさという理由は、
    この問いに対しては、まったく的はずれである。
    というのも、「美しい人」という一般的なカテゴリーの中で、
    サンドラは決して唯一的・単一的なものとしては現れないからである。
    実際、スージーだって、キャロルだって美しい。(P32)
    ~引用終わり~

     

    ―ふうん。そこですか。へえ

     

    わ、悪いか。
    だってハッとしたから。あるあるあるって思ったから。
    わたし自身のことを言われているようで
    まるでわたしがサンドラのようで、ドキマギしたから。

     

    「どうしてその人が好きなの?」
    よくある質問だ。
    「やさしいから」「センスがいいところ」「顔」「趣味が合う」
    いろんな答があるけど、どれもパッとしない。どれも違うような気がする。
    「やさしい」「センス」「顔」「趣味」などの一般的なカテゴリーの中にあてはまるのは、
    “その人”だけじゃない。A君も、Bさんも、ほかにも無数にいる。
    「〇〇に勤めてる」から?
    でも、〇〇に勤めてなかったらその人を好きじゃないとしたら、
    それをわたしたちは、「本当に愛している」と感じるだろうか。
    きっと「そんなの本当の愛じゃない」と言うだろう。
    つまりわたしたちは、「やさしさ」や「センス」や「〇〇勤務」ということ以外のなにかによって、
    “その人”を好きだというとき、「本当に愛している」と感じるのだ。

     

    「ねねねね、わたしのどこが好きなの?」
    「んー。綾瀬は〇るかみたいなところに決まってんジャンバラヤ」

     

    一瞬いい気分にはなりかけるが、ちょっと待ってそうじゃないの!
    そういうことじゃないの。
    ちがうんだ、わたしが聞きたいのは。
    なんていうか、そういうことじゃないのさ!

     

    ドラマやマンガでよくある、
    「オレが好きなのは・・・おまえなんだよっ・・・!」的な展開。
    きっと世界的に胸キュンのはずのシーンを思い浮かべてみよう。
    そこで、“オレ”は“おまえ”の好きな理由をいちいち挙げているだろうか?
    そんなことない。
    どんなドラマもマンガも、“オレ”にとって、“おまえ”が、
    他によって代替不可能で、かけがえのない者であるということを、
    それだけを伝えているはずだ。
    とにかく好きなんだ、って言う。それだけで成立する。
    むしろ、キムタクだったら、「ちょ 待てよ!」だけでいい。

     

    最近だったらダントツ、『君に届け』ね。
    例えばこんなシーン。

     

    りゅうという男の子と、主人公のさわこがしゃべっている。
    さわこは、りゅうが、幼なじみのちづるを好きなのだと聞かされる。
    そこで、
    いつから、どうして、とくべつってわかったのかとさわこが聞くと、
    りゅうは、さわこにこう聞き返す。

     

    「それって、理屈で答えねーとだめなの?」

     

    ハイハイハイきたね、この感じ。
    そう、りゅうはちづるを愛する理由を理屈では答えられない。
    けれど、りゅうは、ちづるのことを「とくべつ」で「ほかと比べられねー」と口にする。
    それも笑顔でな!!
    どーすかこの感じ。きてるねやばいね。
    「気づいたらもうずっととくべつだった」んだってYO!
    きゃー!

     

    ごめんなさい!生きててごめんなさい!
    みんな!『君に届け』を買え!読め!そして泣け!

     

    でも・・・それで有頂天になっちゃう
    無邪気なティーンの時代はとっくに終わってるッス!

     

    わたしの劇団ひとり一喜一憂を、
    椅子男性a.k.a大澤真幸は
    特別なんの興味もなさそうに、ぼんやりと見ていた。

     

    ―いいから、もう少し先を読んでください

     

    ~『恋愛の不可能性について』からの引用②~
    つまり、ウォルターがサンドラを愛しているということは、
    ウォルターの感情の原因として、
    サンドラが唯一的に指定されうる、ということである。
    しかし、ここには
    奇妙な想定が伏在していることに気づくべきだ。
    愛の対象としてのサンドラの唯一性が確認されるためには、
    反事実的な仮定が必要となる。
    たとえば、スージ-だったら、あるいはキャロルだったら、
    私が愛する対象となりうるだろうか、と。
    このような代替の可能性が排除されるとき、
    愛の唯一性が示される。
    しかし、代替についての仮定は、他なる選択肢を、
    現実には排除されるとはいえ、可能性としてはありえたものとして、
    確保することを要請するだろう。(P33)
    ~引用終わり~

     

    「代替の可能性が排除されるとき、愛の唯一性が示される」って、
    つまりこういうこと?

     

    ぼくはAやBやCを愛することもできたけど愛していない。だから君だけが好きだ。

     

    だから、の前がすごく嫌なんですけど。
    つーかそんな消去法的な感じなの!?

     

    ああそうか。わたしはなんとなく腑に落ちた。
    ドラマやマンガは、現実に似ていて、現実じゃない。
    せめて、愛の唯一性を信じさせてくれる場所であってほしい。
    恋愛の可能性を。「君だけが好きだ」を。
    そこで、ドラマやマンガは、考えた。
    「ぼくはAやBやCを愛することもできたけど愛していない。」部分は、
    ジャマなので、トルツメして、見せないことにしました。

     

    そのトルツメが最も「今っぽく」すてきにうまくいっている物語。
    それが、『君に届け』なんでぃ!てやんでぃ!
    りゅうがちづるを好きだと、さわこに告げるあのシーンが
    すばらしく、そしてまた驚異的なのは、
    そのトルツメ作業を、超絶さわやかな青春にみごとに変身させているところだ。
    りゅうのセリフをもう一度思い出そう。

     

    「気づいたら、もうずっととくべつだったよ」

     

    りゅうは、ちづる以外を愛することもできたけど愛していない、と言うかわりに、
    ほかの子と比べられない、と言うだけだ。
    比べられない、それは「ちづる以外」を想定することへの拒絶だ。
    比べものにならない、じゃないの。それ比べてるから。比べられない、だ。
    愛の唯一性を証明するためには、ほんとうは、
    「ちづる以外のだれかを愛することができるか」という想定が、不可欠だ。
    その上で、「ちづる以外のだれも愛することができない」=「ちづるだけがとくべつ」という
    結果が導かれるのだから。
    でも、りゅうはそんなのガン無視。そんなステップ踏む気なし。
    さわやかな笑顔で少し照れながら、「とくべつ」って言うだけ。
    でもいい!それでいいYO!
    だれも、りゅうのちづるへの一途な愛、愛の唯一性を疑わないYO!
    おそろしいマンガ!『君に届け』おそるべし!

     

    『君に届け』内では、恋愛は不可能じゃないみたいっす。
    ハマったんですねわたし・・・完全に。

     

    ―とにかく、ちゃんと最後まで読んでください。途中だけじゃ私の真意が伝わらない

     

    なにが癇に障ったのか、
    椅子男性a.k.a大澤真幸はそう言ったっきり、
    ふん、とそっぽを向いて黙ってしまった。

     

    しまった、りゅうじゃなくてかぜはやの話のほうがよかったのかな・・・。

     

    最終回へつづく

  • わたしだったら真ん中だ。(1/3)

    なんの特徴もない真っ白なドアが5つあって、
    真っ白なノブがついていて、
    見た目はそう、どこでもドアみたいなドア。
    あなたはどのドアでもいいとしたら
    あなたはその5つのいったいどのドアを開けますか。

     

    わたしだったら真ん中だ。
    だって端のドアは、ちょっと怖そうだったから。
    端から2番目のドアは、ちょっと冷ややかそうだったから。
    本当は、違いはまったくなかったのだけれど、
    人は、なぜそれを選んだかを
    のちのち理由づけしてみたくなるものだ。

     

    高校時代に教わった生物の森田先生は、
    とてもとてもおもしろい人だった。
    「カレーライスとラーメンで迷った時」の話。
    カレーライスか、ラーメンか、ものすごく迷うとする。
    迷って迷ってとてつもなく時間をかけて、決めた。
    カレーライス。
    でも、食べたときに「ラーメンにすればよかった」と思う。
    森田先生いわく、
    「どちらか迷った時、どちらを選んでも“これじゃなかった”と後悔する人と、どちらを選んでも自分が食べたかったのは“これだ”と思う人がいるんです」
    自分がどちらのタイプなのかわかっていれば、
    迷う必要はない、と。

     

    たしかに。
    わたしは、食事に関しては後者だが、今回は前者のようだ。
    真ん中のドアを選んだことを、後悔しはじめている自分がいた。

     

    でも、もう引き返せない。
    なぜそう思うのかはわからないけれど、
    強く引っ張られるようにしてドアの前まできてしまった。

     

    ドアのノブに手をかける時、ピリッとした感触が手に伝わる。
    静電気だったのか、気のせいなのかよくわからなかった。
    緊張して手が湿っていたから、静電気のはずないか。

     

    覚悟を決め、思い切ってからだ全体でドアを押しあける。

     

    そこには
    見たこともないような幻想的な景色は
    別に広がっていなくて、
    ただ、どこかで見たことのある男性が
    ちょこんと椅子にすわっていた。

     

    そこは空間があった。
    その空間は正方形だと、わたしは思った。

     

    こんな場所に閉じ込められて血しぶきが飛んだり
    人がバラバラにされたり、時限爆弾が仕掛けられたりする
    ホラー映画があったのを思い出して、
    そして、わたしは思い出したことを後悔した。
    ホラー映画なんて好きな人の気がしれない。
    怖い話や映像を思い出すのはたいてい一人のときだ。
    だれかがいれば笑ってすませられるけど、
    記憶は時に自分を裏切って、
    こんにちは~ヤクルトです~というくらい、
    ある種の親しささえにじませながら明るく、
    怖い映像やら怖い話を勝手に視覚化して
    絶叫ものの映像にフィニッシュして目にガンガン映写してくる。

     

    ホントやめてほしいよ脳。怖いんだって。
    人間のほうがよっぽどおそろしいのさ。
    よくしたり顔でそんなことを口にする人がいるけど、
    わたしに言わせたら幽霊のほうが無理。

     

    友人で、
    幽霊がいるかもしれない、
    いないでほしいと思うと怖いから、
    むしろ、もうそこにいるもんだと思って
    時候の挨拶とか交わしながら
    生活しているという子がいた。

     

    その手があったか・・・と思い、一時期
    「幽霊もうそこにいる想定」で生活してみたが、
    ずっと幽霊のことを意識しているせいで
    余計怖くなったのでやめた。

     

    だからわたしは、
    そんな怖い記憶を頭から追い出すために、
    目の前の空間を見つめることに集中した。

     

    まず、椅子がある。
    椅子は、その男性にとてもよく似合っていて、
    似合っていてというのは、
    ものすごくおさまりがいいという意味だけど、
    だから「氏名:椅子男性」というべき雰囲気があり、
    椅子とその男性とがもはや運命共同体であることを
    わたしに強く印象付けた。

     

    ―やあ

     

    わたしは自分が勝手につけた「椅子男性」という名前で
    この人を呼ぶことに決めた。

     

    椅子男性は、もじゃもじゃした頭をしていた。
    そういえば会社に似たような髪型の人が・・・。
    椅子男性は、細身で、白いシャツにブルージーンズという
    いたってシンプルないでたちだった。
    そういえば会社に似たような服装の人が・・・。

     

    椅子男性は、椅子と同化している。
    わたしのことを熱心に見ているようでもあり、
    特に見ていないようでもあった。

     

    ―そう変な、おでんくんみたいな顔しないでください

     

    おい。
    初対面の人間に向かっておでんくんはないだろ。
    つーか何でわたしがひそかにおでんくんって
    呼ばれてること知ってるのさ。
    フッ、でも情報のアップデートがなってないな。
    最近は綾〇はるかで通ってますけど!?

     

    ―ぼくの本を読んでくれましたね

     

    え?

     

    ―電車の中で、眠りながら読んでくれてますちょね

     

    ちょね?
    やばい。なんかおかしいこの人。
    こんなおかしい人の本読んでたっけ。

     

    ・・・ああ!
    わたしの脳内検索エンジンがたったひとつの
    これです!という検索結果をヒットした。
    ああ、大澤真幸だ。

     

    ―そうです。あなたが居眠りしながら読んでいるマサチです

     

    だって超絶眠いんだこの人の本。
    難しくて、何回も同じところを読んじゃって
    それでも眠くてGood nightしちゃう。

     

    ―まだ3章あたりじゃないですか。がんばってくださいよ

     

    ハイすみません・・・。
    大澤真幸は社会学者だ。
    でも、今目の前にいる椅子男性a.k.a大澤真幸は、
    大澤真幸というより、
    大澤真幸を忠実に模した別人のように見えた。

     

    わたしは大澤真幸の著者近影しか見たことがなかった。
    教科書に小さく載っているくらいのサイズしか。
    静止画と動画はやっぱり違う。
    奈良の大仏も、実物は写真で見るよりデカイもんね。

     

    予想と微妙に違ったので、わたしはやっぱり、
    この人を、椅子男性a.k.a大澤真幸と呼ぶことにした。

     

    わたしはこの人の『恋愛の不可能性について』という
    超絶眠くなる文庫本を読んでいた。

     

    この世界において恋愛が不可能であることが、
    この本に論理的に書かれている、はずだ。

     

    でも、超絶眠いの。だからまだ3章なの。
    数年前買ったっきり、ほったらかしにしておいたけど
    その前に読んでいた本が
    ある日こつ然と姿を消してしまったので、
    重い腰をあげて読むことにしたのだ。

     

    ―遅いんですよ。本腰入れるのが

     

    椅子男性a.k.a大澤真幸は、不機嫌そうな声で言った。

     

    ハイその通りです・・・。
    しかも本腰入れても寝ちゃう始末。

     

    この人の本は、社会学と言われるおカタイ本の中でも
    なかなか読みやすくて刺激的だと
    大学時代なんとなく知っていた。知っていたけど、
    読みたい本はわたしの前にそれこそ無数に存在して
    大澤真幸はだんだんわたしの眼前から遠ざかっていった。

     

    待って!大澤真幸!わたしがんばるから!
    心の声もむなしく、大澤真幸は
    『タイタニック』のラストシーンのディカプリオみたいに、
    積み重なる本の底へと沈んでいって見えなくなった。

     

    ああ・・・もう二度と会えないのね・・・。
    わたしあなたなしでも生きていくわ!
    と、わたしの中の消しゴムによって晴れやかに忘れ去っていたけど、
    ある日ベッドの脇の本棚を漁っていたらあっけなく再会。

     

    この年で一冊も大澤真幸を読んでないなんて
    マジどうかしてるぅ~という声がどこからか聞こえた気がしたので、
    幻聴!?と思いながらも、寝る前に少しだけ読んだ。
    すぐ寝た。

     

    それが、大澤真幸との数少ない思い出だった。
    いまや大澤真幸は、椅子男性a.k.a大澤真幸となって
    わたしの目の前にあらわれた。

     

    わたしは、緊張していた。
    手に汗がにじむ。

     

    つづく

  • 異常な自己紹介あるいは情熱大陸(妄想)は3回を予定していますがそれが何か?  感動の最終回

    われわれの取材はとうとう、最終日となった。

     

    取材史上、こんなにも尺が足りなかったことはない。
    マズい。これでは番組にならない。
    しかも、広告の話を一度もしていない。
    われわれは焦った。
    カメラさんだって、
    サングラスの陰できっと泣いてる。(かけてないけど)
    もういい、ロングインタビューだ。ロングするしかない。

     

    ―あのう、実は、
    ―オッケー!

     

    即答。あんたエスパーか。
    尋常じゃねえ。インタビューだってわかったのか。

     

    夕方、いきつけの居酒屋があるから、と外へ。

     

    ―ここへはよく?
    ―いえいえ、初めてですよ
    ―え? あれ、いきつけじゃないんですか?
    ―いきつけじゃないですよ、むしろ気をつけの姿勢!ビューティーですから!

     

    気をつけの姿勢って?
    っていうかビューティーって言えばいいと思ってるな・・・。
    このままペースを持っていかれたら終わりだ。
    何でもいい。何か話題をこっちから出すんだ。
    そこから広告の話へ広げていくしかない。

     

    ―そ、そうですか。じゃあ気を取り直して。今どんなことに興味があります?
    ―そうですね、やっぱり、食べても食べても太らない薬とかマジで開発したいなっていうのはありますよね

     

    ・・・マジなのか?いやマジだな。
    でもその太らない薬とやら、広告とオール無関係だけど!?

     

    ―太らない薬ですか
    ―そう。マラドーナとか太ってますよね。あ、個室お願いします。それと、みなさん飲まれます?あ飲まないですか。じゃあわたしジンジャエールで。あとウーロン茶を何個か。はいシクヨロ~。首ない感じですもんねマラドーナ。あと曙やら小錦やら、太っちゃってますよね。でも最近ね、よく考えるんです、どこからがデブなのかって

     

    ―デブの境界線?
    ―そうです。DEBU BORDER(デブボーダー)。100キロあったらデブかっていうと、デブ界では、100キロのデブでも、110キロのデブから「ちょっおまえ痩せてんなデブ~」みたいないちゃもん、つけられることあると思うんです。120キロのデブから、110キロのデブに向かって「おまえこそ顔ガリガリじゃんデブ~」とかいう誹謗中傷。じゅうぶんあり得ますよね、デブの中での「痩せてる疑惑」。起こり得ますよね、デブ界の血で血を洗う「痩せてる騒動」・・・

     

    ~衝撃スクープ!痩せてるアイツ!~
    デa:おいデブ
    デb:なんデブ?
    デa:おまえ最近痩せたなデブ~?
    デb:なっデデデデタラメ言うんじゃないデブ~!
    デa:ボクにはお見通しデブ~!5重顎あったのが4.5重顎になってしまっているデブ~!
    デb:ここれには深いワケがあるんデブ・・・
    デa:笑止!おまえはもうデブとは言えんデブ!
    デb:キャー!そんなの横暴デブ~!ひどいデブ~!
    デa:おまえはもう・・・痩せている・・・
    デb:イヤーーーーーーーーーーーーーーーーー

     

    これをわたしは、「デブによるデブ性の否定」と名付けます。だから、結局デブって相対化でしかないから、絶対的なデブはいないんですよね。世界で一番のデブも確かにいると思うんですけど重さ的に、つまりギネス的に。でも世界で一番デブ、つまりキングオブデブから見たら、みんな「非デブ」つまり「ガリ」なわけですよね。そうしたら「自分以外はデブと認めないデブ~」って言いますよねキングは。絶対そういうプライドありますよ、キングオブデブはね。「自分より軽い者はデブと名乗ることを禁ず!byキング」って。だから、わたし「デブ」ってほんとのほんとは憧れの対象だっていう、「裏の裏を返せばデブは勝ち組説」を主張します!

     

    ―デブは負け組どころか、人生の勝ち組である、と
    ―そう!

     

    ―具体的に言うと・・・
    ―つまり食べなきゃ増えない、食べられるのは豊かさの象徴。太るほど食べられるのは豊かな中でも最高ランクに豊か!と言えるわけです。だから「ガリ」は嫉妬してるんです、デブに。みんなそれをひた隠しにしてるけど、わたしにはわかります。そうこんなふうに・・・

     

    ~デーブとガーリものがたり~
    ガ:すごーい。わたしそんなに食べられなーい
    デ:そうデブ?
    ガ:もうムリ。苦しー
    デ:そうデブ?
    ガ:残飯処理マジたすかるー!
    デ:そうデブ?

     

    ほらね。ガリ側のジェラシー半端ないでしょ。でもそれを隠して平静を装ってる。たすかるー!とか言って負け惜しみですからね。ちょっぴりふくよかな人も、キングオブデブには遠く及ばない。自分は中途半端じゃないか!と悩みますよね。なんてダメな人間なんだ!と自暴自棄に。つまり、自動的に「キングオブデブ一人勝ち状態」です!

     

    ―かなり思い切った新説ですね・・・
    ―マラドーナ太っちゃってますけど、でもアルゼンチンでは神様なんです。でもやっぱりサッカーの神様ってジーコかも。それにしてもアルシンド見かけませんね。まだカッパでツルツルなんでしょうか。なぜ坊主にしなかったんでしょうかね。ポリシーですかねやっぱり。もしかして・・・わたしたちが闘莉王だと思ってた人がアルシンドだったんでしょうか?

     

    ―いやいや!闘莉王は闘莉王です!アルシンドはアルシンドですよ!
    ―そうですよね・・・わたしったら世迷い言を。そうそう、こないだテレビで見たんですけどね太田光って爆笑問題の人。あの人は高校生の時、友達が0人でした。それでどうなったかというと、「飯がまずい」ってとこまでいっちゃったんです。基本ごはんってものは美味しい食べ物ですよね。なのに「おいしくない」「味がしない」っていう状態。おそろしい!おそろしい娘!おそろしい光!それでわたし、ハッとしたんです。人間はご飯を食べることで・・・

     

    いやな予感がする・・・。

     

    ―・・・ご飯を食べることで?
    ―生きているんだって

     

    予感的中!
    はげしく意味わからん!

     

    ―え?
    ―驚きですよね。そんなことかと。そんな単純なことが真実つまりtrueだったのかと。だから今のわたしの言葉、ノーベル賞一歩手前かなって。その意味ではもはや、わたし=村上春樹かなって。彼のすごさって、エンターテイメントと文学の境界?そのギリギリの?ラインを?突いてきてる?ってことに尽きる?と思うんですよね?

     

    ―あのすみません、ちょっと話が・・・
    ―ああソーリー。わたし夢中になると周りが全然見えなくなっちゃうことがあって。ハッハッハッハッーそれがガガのキュート・ポイントじゃないかって、マムとダディからはエブリデイ言われるんですけど☆

     

    待て待て待って待って待って待ってったら!
    おかしい。おかしいぞ。
    変だ。いつの間にか完全にペースを握られた。
    さっきまでデブの話してなかったっけ?
    何で今ガガの話になってるんだ?
    飛んだのか?ぶっ飛んだのか?

     

    ―ガガですか?
    ―ええ、ガガですよ。彼女は今世紀最大級に偉大ですよね。しかも性格いい。本物のお嬢様ですから。でもストリッパーとして生計立ててた過去があったり。あのパフォーマンス、すごく作り込んでるでしょ。見世物っていうか。やりすぎでしょ。過剰ですよね。でもそこがカッコイイでしょ。21世紀では誰もマネできないんじゃないですか。狂ってるのがクール!っていう。しかもちゃんとメインストリームにいる。受賞式かなにかでピアノ弾いて歌ってましたけど、曲がクライマックスになって、鍵盤の上にいきなりね、片足乗せたんですよ。こう、ドーン!と

     

    彼女は真っピンクのタイツを履いた片足をぐっとあげてみせた。
    そして、そのまま静止してその時のガガを再現。
    BAAAAAAAAAAD ROMANCE!BADすぎる!
    でたなMonster!こ、これがThe Fame Monster!?
    危険だ!生放送だったら放送事故レベルだ!
    やめさせよう。やめさせるんだ!
    いや警察か!?警察にTelephoneか!?
    今すぐやめ・・・ってまだ意気揚々と話し続けてるぅ!フゥー!

     

    ―もう、ここしかないっていう。足ドーン!はそこ!っていうタイミングなんですよ。かかとがバカ高いヒール履いてて、真っ白の。足あげたまま、シャンパンひと口こう飲みます。ピアノをジャーン弾いて、熱唱。終わり。めっちゃかっけえ!!って半狂乱アルねわたし。エリザベス女王に謁見してましたけど、さすが女王は肝が据わってましたね。「よろしくねガガ」みたいな。ガガもお嬢様だから、礼儀正しく「こちらこそ女王陛下」みたいな。ガガの曲は渋谷とかでガンガン流れちゃう曲で、そこも好きですね。ベタなのにスケールデカくって。ほんと好き。一言で言うとね、もうほんと好き

     

    ダメだ!限界だ!テープ残量もヤバい!
    カメラさんの殺気がカメラ越しに刺さって痛っ!
    わわわわかりました!痛い!殺気混じりの視線痛い!
    このままじゃ殺られる!やります!やりますって!
    させます!広告の話させます!だから殺さないで!
    不本意だが強引に!広告の話を!ここでズバっと!

     

    ―ええっと、じゃあそろそろね、宴もたけなわってるんで広告のお話を・・・
    ―広告って、奥が深い。それはほんとに思います

     

    ―奥が深い、ですか
    ―わたしが常に思うのは、ガガに見せて恥ずかしくないものを作りたい、それだけですね

     

    ―それだけ?
    ―それだけです

     

    ―ほんとに?
    ―ほんとに

     

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・短っ!!
    あの瞬間、その場に居合わせた全員がそう思った。
    追加の厚焼き玉子を運んできた店員だって、口あんぐりしてた。
    っていうか、何でピンクの足テーブルにのせたまま?
    てっきり明太マヨ的な何かかと錯覚したじゃないか。
    でもしょうがないだろ。
    彼女、誰よりも楽しそうだったしさ・・・(遠い目)。

     

    尺はとれた。きっととれたよ。
    取材になったのか。取材になったよ。これが情熱大陸だよ。
    気づけば明け方だった。

     

    ―今日のご予定は
    ―モグモグで、そこモグゴクググ、モグゴググモゴゴモグます

     

    最後まで、意味不明。

     

    そうしてビューティー、いやピンクのタイツは、
    朝日に照らされた銀座の街並みへ消えて行った。
    カメラさんがカメラを下ろした。
    ここで取材終了。総取材日数3日。

     

    でも、最後の朝日のシーンはちょっといい画だった。
    カメラさんもきっと、
    サングラスの陰で泣いてんだろうな。(かけてないけど)

     

    後日、内容全体にNGが出された。
    地上波で放送できると思ってんのかって。

     

    だから。
    そう、お蔵にお入りになったのだった。

     

  • 異常な自己紹介あるいは情熱大陸(妄想)は3回を予定していますがそれが何か?  その2

    取材2日目。
    今日こそは実り多き取材になりますように。

     

    9時には会社にいると聞き、
    われわれは彼女のデスクを訪ねた。

     

    いた。

     

    ―早いですね。それに今日はお化粧も
    ―ええ。注文した新しい顔、今朝届いたんで。やっぱり新しい顔っていいですね!焼きたてホカホカ!って感じで。おじさん、ありがとう!(カメラ目線)

     

    若干、カメラさんが後ずさりした気がした。
    いやいやまさかね。

     

    鏡に映った寝起きの自分以外、怖いものがないカメラさんだ。
    『シティーハンター』の海坊主並みのガタイを持つカメラさんだ。
    一人では解けない愛のパズルを抱いて~いるカメラさんだ。
    そうさ。

     

    後ずさりするわけない。
    ないないないそれはない。

     

    ―ああ、なるほど。それで今日はメリハリがすごく、ハッキリしてる
    ―ええ。凹凸ちゃんとだしてみたって。おじさん、ありがとう!(カメラ目線)

     

    ―凹凸もさることながら・・・ハイライトが・・・
    ―ええ。いわゆる「照り」ってやつですかね!おじさん、芸が細かい!(カメラ目線)

     

    ドン!と大きな音。カメラさんの引いた足が壁に当たった。
    今度ははっきり、カメラさんは体全体で後ずさりした。
    というより、のけぞった。
    どアップにしてたんだろうな、「照り」を。

     

    どれくらいの光量だったのかはカメラさんのみぞ知るけど、
    きっと、見たこともない「新しい顔」だったんだな。
    つまりこう、想像を絶するような・・・まばゆい・・・
    っていうかまぶしい・・・顔

     

    冷房のきいた社内で、カメラさんの首に汗がつたった。
    生唾をのみこむ音さえ、聞こえた気がした。

     

    ―あれ、腕に包帯されてますね?
    ―ああ。今朝階段から落ちて一回転して。間一髪でした。骨に異常なし!
    ―だだいじょうぶですか?
    ―だいじょうぶ!ビューティーですから!美顔が守れたんでOK!

     

    ひとしきり豪快に笑い、そのあとは黙々とパソコンへ向かう。
    肝心なことは何も見せない教えない。
    というより肝心なことがないのかもしれない。

     

    ―今回のクライアントは、難しいですか
    ―ジャイアントパンダ?

     

    ―いや、ジャイアントパンダではなくて、クライアント・・・
    ―なるほどエチゼンクラゲのことですか。あれはね、デカイですよ。ほんとデカい。ちょっとしたバランスボールか?ってくらいのやつ、ゴロゴロいますから

     

    ―あ、いや、エチゼンクラゲっていうか・・・
    ―もしかしてイリオモテヤマネコのお話でしたか。そうですよね。イリオモテヤマネコの話をしないなんて人間失格ですよね。うかつでした。ごめんなさい。イリオモテヤマネコね、じゃあ特別にわたしのアレお見せします

     

    と言って彼女はやおら席を立ち、「ハイ!」とかけ声を自分でかけ、
    イリオモテヤマネコ?のマネを披露。

     

    ハイ、微妙!!

     

    似てる似てないの2択なら、似てないよマサルさん!
    ツヨシ!しっかり見なさい!
    懐かしいな・・・ブタゴリラ。
    ああああ脳内懐かしアニメ情報が勝手に!
    落ち着け!だいじょうぶだ。たかがモノマネだ。
    でも、顔が真剣すぎやしないか。
    「似てないっす」と言ってやめてもらえる雰囲気じゃない。

     

    彼女はそのままイリオモテヤマネコ?のマネをし続けたので、
    われわれもカメラを回し続けた。

     

    この日はそれ以降のVTRがない。
    テープがなくなったのだ。

     

    どんだけ撮ったんだよ。

     

    われわれはがっくりと肩を落とし、2日目の取材を終えざるをえなかった。