いぬのきもち飼い主知らず

今更感満載ですが、あけましておめでとうございます。
年賀状をくださったみなさま、ありがとうございます。

 

自分では出さないくせに来るとうれしい年賀状です。
デザイナーの描くさまざまな「いぬ」を拝見し、
興味深く思うとともに、柴犬の少なさに驚きました。
少ないどころか、ほとんど柴犬はいなかったのではないだろうか。
ゴールデンレトリバー一人勝ち、いや一頭勝ちだった気がします。
柴犬、どうしていなかったのだろう。
なんだか「いぬらしすぎる」と思われたのかも。
だって柴犬、見るからにいぬじゃないですか。
いぬ、でしかないじゃないですか。
いぬ内での人気格差に思いをはせつつ、
今年もよろしくお願いします。

 

わたしが最も「いぬ」に恋していたのは、小学生の頃でした。
よく遊ぶ近所の年下の子が、いぬを何頭も飼っていたのです。
その子の家には屋上にいぬ小屋があり、元気な子犬たちが駆け回っていました。
わが家では母の「だれが面倒を見るの?」という強大な封印の呪文があり、
いぬへの想いはいつもその呪文の前に敗れ去っていました。
往生際の悪いわたしは母に連れられていく本屋で
これ見よがしにペットコーナーへ赴き、いぬの飼い方を熟読。
母は知ってか知らずか、こちらに寄ってきません。
しびれを切らしたわたしはさまざまないぬが載っている本を手に取り、
ベロを垂らした愛くるしい姿でこちらを見つめるパグのページを
飽きもせず眺めていました。
それから、ようやく本屋での自分の用事を済ませた母、出現。
「飼ったら、だれが面倒を見るの?」
とどめのいちげき! びゅーてぃーは ひんしのだめーじをおった!
またも敗れ去る名もなき勇者…いぬへの道のりはかくも険しいものか。

 

わたしはトカゲ好きな少女、でもありました。
カナヘビ、というトカゲのなかまも好きで、飼ったこともあります。
母は露骨に嫌そうな顔をしていました。
いまはその気持ち、よくわかります……。
それに、わたしは飼うのはいいものの、
掃除や餌やりといった世話を忘れる無責任な子供だったので、
いぬでも同じことが繰り返されるのでは、
という危惧が母にはあったに違いありません。
自分のめんどうくさがりな性格をなんとなく理解していたわたしは、
母の「飼ったら、だれが面倒を見るの?」が、
「この前飼ったトカゲも全然世話をしなかった」という怒りの鉄槌に
だんだん変わっていく様子を間近で見、いぬを飼うことはあきらめました。

 

結婚した姉が小さないぬを飼い始めた、と聞いたときはだからひどく驚いたものです。
キャンキャンと鳴き、飛び跳ねる子犬。
フローリングの床で滑り、よくよく壁に激突しながら、
平気な顔でまた走る人間よりずっと小さな、暖かい生き物。
タイピング上級者のように早く脈打つ鼓動や
お菓子についてくるおもちゃのようなピンクの舌に、
わたしは理解が追いつきませんでした。
普段、似たような背格好の人間を見慣れているからでしょうか。
動物園にいる動物たちのスケールにびっくりするあの感覚を、
姉が飼った小さないぬにも感じました。
命は人間だけのものではなく、命のかたちは一つではない。
そんな当たり前のことを、彼らは気づかせてくれます。

 

そうですね、いつかインスタグラムに
おしゃれな感じでいぬの画像をアップしたいです。インスタ映えです。
その時はみなさま、いいいぬね!略していいね!をお願いしますね。

 

今年最初のトレースはめざましい活躍を見せる14歳の張本選手。
彼おなじみの「チョレイ」をぜひ生で聞いてみたいものです。