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カタカナの日々
“あっ”という間に1月が終わり、節分も過ぎてしまいました。
この調子であと11カ月も過ぎていくのでしょう。
わたしはこのたび初めて、スマホの速度制限、という刑を受けました。
ネットばかり見ていたのです。動画ばかり見ていたのです。
気になることがありすぎて。もう忘れていませんか。某お笑いコンビの片割れが、学校に忍び込み、
20年以上も女子高生の制服を窃盗し続けていた罪で逮捕されたのは、
まだ昨年の暮れのことです。
年が明けてからは、
今も世間を騒がせているゲス&ベッキーの不倫騒動、
いつの間にか誰も何も言わなくなったことが却って怖いSMAP解散危機、
お似合いのカップルだけど幸せな話題は意外と長続きしない
DAIGOと北川景子の結婚、
大学の時に横浜スタジアムまでコンサートに行ったデビッド・ボウイ死去、
ほぼ同世代なので結構こたえているジャーナリスト竹田圭吾さんの訃報、
死者15人を出した軽井沢のスキーバス転落事故、
金銭授受疑惑でお騒がせだった甘利大臣の辞任、
絵に描いたような転落ぶりの清原覚醒剤逮捕…、
そうです、この1ヶ月あまり、世間を騒がせる事件があまりに多すぎました。
気になることが多すぎました。
もう2016年を締めくくってもいいほどの、大ネタばかりが続きました。
そりゃあ、情報を漁りすぎて、速度制限も受けるってもんです。スマホばかりいじっていたせいか、視力の低下が著しいです。
近視なのか、乱視なのか、老眼なのか、そのすべてなのか。
ベッキーがペッキーになり、スマップと打つつもりがスマッブになっていたり、
濁点と半濁点の区別がつきづらくなっています。
主人とのLINEで「明日の朝はパンだから」と打つところを「パンたから」と打ち、
謎のアジア人と化してしまうこともしばしば。
文字を書くことを生業としているのに、この体たらく。
もし、センテンススプリングにわたしたちのLINEが流出しても
“痛いオカンメール”扱いが関の山でしょう。それにしても今年の流行語大賞を受賞してほしいセンテンススプリング、
ちょっとした英語を覚えたばかりの小学校高学年の頃、
自分の名前を英語化、カタカナ化して遊んだことを思い出します。
わたしなら“レッドパイン”、同級生の三木さんは“スリーウッド”でした。
ベッキーも彼氏のことを“リバーバレーくん”とか何とか呼んでれば、
休業に追い込まれなかったかもしれません。そんな問題ではありませんが。
しかし、センテンススプリングが話題になった号の
週刊文春は完売だったそうです。わたしも何年かぶりに入手しました。
出版不況と言われて久しい昨今、それは光明なのかもしれませんが、
どんなにゲスいことをしても売れればいい、
たとえ人様のLINEを流出させても、
というスタンスはいかがなものでしょうか。
もちろんわたしは嫌いではありません。
それが見たい知りたいわたしたちこそ、ゲス極まれり、なのですから。そしてセンテンススプリングの次はディーン・フジオカでしょうか。
SMAPがゴタゴタしている隙き間に入り込んだ、新しいカタカナ。
イケメン界のニューカマー、
イケメンというのは無尽蔵にいるものだと感心します。今回、本当はSMAPとメリーズ事務所について語りたかったのですが、
例の生放送の後、
もうマスコミはあまりそのことに触れなくなってしまいました。
『SMAP×SMAP』を見ながら、この収録はいつだったんだろう、と、
下衆の勘繰りをするのが関の山。
下手なことを書いてわたしが芸能界を干されてしまうとマズいので、
知っていることは墓場まで持っていくことにします。 -
Sの日々
また新しい年が始まってしまいました。
2016年、平成28年、申年です。
新年早々、ちょっとした書類に日付を記入する時に既に間違ってしまいました。
みなさんも、気をつけてください。
ちなみに昭和だと91年、大正だと105年、明治だと149年だそうです。わたしが学生の頃、バイト先なんかに出す
市販の手書きの履歴書の生年月日の欄には
まだM・T・Sのアルファベットが並んでいて、
該当するいずれかに○をつけてから自分の誕生日を書き入れていました。
もちろん平成のHはまだありませんでした。
ちなみにMは明治、Tは大正、Sは昭和の頭文字です。
明治生まれの人がものすごくお年寄りに見えたように、
いつかはS・H・○、になって、
昭和生まれのわたしたちがものすごくお年寄りになってしまうのでしょう。年末年始は寝正月を決め込み、テレビばかりを見て過ごしました。
平成も27年が終わろうとする「紅白歌合戦」のオープニングが郷ひろみで、
レベッカが“フレンズ”を歌い、
トリでマッチこと近藤真彦が“ギンギラギンにさりげなく”を
松田聖子が“赤いスイートピー”を歌うなんて、
黒柳徹子が司会をするなんて、どこの「ザ・ベストテン」でしょうか。
もういっそ久米宏も呼べばよかったのに。
ちなみに初登場で話題を呼んだ星野源は、
“ルビーの指環”を売っていた、いや歌っていた頃の寺尾聰と
同じくらいの年齢だそうです。
『正月は田舎になんか帰らない、友だちと東京で過ごすから』、
と親からの電話(もちろん携帯電話ではありません)に生意気に答えていた、
昭和60年代のわたしに、デロリアンに乗って行って、
平成27年の紅白のことを教えてやりたい。きっと信じないと思います。そして食っちゃ寝ばかりだった、正月休み最後の日、
『このままだらだらしていては明日から出社できない、
もう電車にも乗れないかもしれない』、と、重い腰をあげて外出し、
フォースを覚醒させるべく映画館に行きました。
そうです、SはSでも、「STAR WARS」を観てきました。
1977年、今から39年前に公開されたいわゆるエピソード4は、
今回以上に大きな話題になり、
公開時に家族で映画館に観に行きました。そういう世代です。
しかし、今ひとつその世界観にはハマりきれず、
STAR WARSあるあるのようなものは語れません。
男の子のもの、という印象が強いです。
でも、ほぼ40年の時を経た2016年、
スクリーンにハン・ソロとレイア姫が登場した時の
“待ってました感”には、胸が熱くなりました。
これも40年前のわたしに、デロリアンに乗って行って………以下略。昭和はよかった、とばかり言っている懐古趣味にはなりたくないですが、
Sである昭和は、やはり長かった分、強く熱く、
今でも残るコンテンツを多く生み出すことができたのだと思います。
時代、と言ってしまえばそれまでですが。これまではずっと実家に帰省していましたが、
この正月休みは、10年以上ぶりに東京で過ごしました。
昨年、主人の母を見送ったことで、
わたしたち夫婦にはどちらも両親がいなくなりました。
そして子どももいないので、ひっそりと、それでも穏やかに新年を迎えました。
これからこんな日々が続いていくのでしょうか。
Hの次のアルファベットになっても続いていくのでしょうか。
しかし普段は芸能ニュースなどにあまり食いつかない主人が
新年早々ゲス&ベッキーの件に興味を示し、
「あのLINEはどうやって流出したんだ」と、尋ねてきました。
何かやましいことでもあるんでしょうか。
Hの次のアルファベットまで続かないかもしれません。今年もよろしくお願いします。さまざまな意味で、ドSで行きます。
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数字の日々
今年のカレンダーがあと1枚になる直前、
我が家にも“マイナンバー”が届けられました。
「来た?」、「昨日来た」、「うちはまだ来ない」、「○○区は届いたらしい」、
「不在通知が入ってたんで郵便局まで取りに行ってきた」から始まり、
「管理能力のない人から先に届くらしいよ」といった届かない人の、
謎の負け惜しみまで、既にいたずらに国民をザワつかせてくれています。
そしてそこに記載されていた12桁の個人番号を見つめていても、まったく頭に入りません。
わたしという戦うボディの中にある、データ容量はいっぱいです。
i Cloudもありません。
このままではいつかきっとマイナンバー詐欺に遭ってしまうことでしょう。マイナンバー詐欺に遭って金銭をだまし取られても困らないように、
今年も年末ジャンボ宝くじを買ってしまいました。
毎年“ジャンボ”と名のつくさまざまな宝くじを買っては、
「1等3億円(金額はその都度違いますが)が当たったら、会社を辞める」と
言い続けていますが、未だ勤続年数を重ねています。
第一「辞める、辞める」と言っている人は辞めません。
本気の人は寡黙です。ある日突然辞表を出しています。購入した宝くじを眺めていたら、
オモテ面に“宝くじ70th Anniversary”と記載されていました。
戦後70年の今年に宝くじが発売70周年を迎えたことに、
きっと正しい相関関係はあるのでしょう。特に調べはしませんが。年をとると、何だか“周年”という節目が気にかかるようになります。
わたしが今年出かけたコンサートや買ったCDにも
“○○周年記念”という看板を掲げたものがいくつかありました。
中でも白眉だったのが、この夏2日間だけ行なわれた
“松本隆作詞活動四十五周年記念「風街レジェンド」”というものでした。
つい先日BSでも放送されたのを観た人もいるかもしれません。
松本隆が詞を書いた名曲やヒット曲の数々を、
その曲を歌った歌手達が次々に登場して披露する、という
わたしたち世代には夢のようなイベントです。
ステージに次々と現れる綺羅星のようなスターたちのオーラにやられ、
一曲も歌っていないのに、観ているこっちの方が喉がカラカラになりました。
子どもの頃に親たちが石原裕次郎や美空ひばりを“懐メロ”として楽しんでいたように、
わたしも松本隆が作詞した珠玉の作品を、同じようなノスタルジーとともに
見聞きする年頃になったということです。
若い方は“松本隆”という名前を聞いてもわからないのかもしれません。
「この前コンサート行ったんだけどさあ」「誰のですか?」
「松本隆って知ってる?」「えーっと、B’zの人でしたっけ」
と、いう会話がわたしと同僚との間で交わされました。少し淋しいと思いました。
でも、きっと彼女も彼が手がけた曲を耳にしたことがあるはずです。終戦直後の8月に生まれ、戦後70年である今年、同じく70歳、
古稀を迎えたタモリと、ちょうど10歳違いで今年還暦だった明石家さんま。
後者の60歳を祝うテレビ番組は数々放送されましたが、
タモリを祝福するような特別な番組はなかったように記憶しています。
両者のキャラクターの違いかもしれませんが、
冠番組など作らず、淡々と年を重ねているタモリに惹かれます。
長年続いたお昼のレギュラー番組がなくなって自由になり、
NHKの「ブラタモリ」で水戸黄門のように諸国を漫遊しているタモリを見ていると、
こちらも旅情をかきたてられ、いつも
“タモリのようなおばさんになりたい”と強く思うのです。松本隆のコンサートの終わり、
この日のために再結成されたはっぴいえんどの盟友・細野晴臣と
「50周年もやりたいね」という会話が交わされました。
45周年なんて半端だなあ、と思っていたけれど、
年をとると10年、という区切りは長いです。
5年後の自分を思い描ける、健康体でいたいし、いてほしいと思います。
“マイナンバー”よりももっと、心に留めておきたい数字がいくつもあるのです。 -
映画の日々
一向に信じられませんが、もう11月だそうです。
全く季節の移り変わりについていけず、
今日は暑いのか寒いのか、アマタツに聞いてもよくわからず、
何を着ればいいのか毎日迷っていたら、
ハロウィンなどという西洋の祭りがすっかり日本にも定着したようで、
いっそ何かのコスプレをして出社すればいいのか、と自棄になっているうちに
2015年も2枚綴りのカレンダーだとあと1枚になってしまいました。そのアマタツの出ている朝のワイドショーを見ていたら、
昨今のハロウィンの盛り上がりについて、とあるコメンテーターが
「下手したら、イベントとしてはクリスマスやバレンタインよりも
盛り上がってるんじゃないか。なぜなら前者はどうしても恋愛がからむけど、
ハロウィンは彼氏や彼女がいなくても参加できる。
そういう意味でのハードルが低いから、
受け入れやすいし、日本人が好きな集団行動にも合っている」、
という主旨の発言をしていました。
その分析はとても腑に落ちたのですが、ハロウィンの週末、
わたしはコスプレの集団に合わないように、
できるだけ繁華街に立ち寄らないようにした、実はカボチャの化身です。コスプレをしなくてもカボチャの化身であるわたしが、
人ごみにまぎれて何をしていたかというと「映画バクマン。」を観ていました。
平成の「まんが道」とも言われるこの原作を、わたしは全く読んでいません。
しかし2時間の上映時間中、画面に釘付けでした。
それこそマンガのページをめくるように、夢中になっていました。主役の二人はもちろん、脇を固める役者陣が素晴らしい。
漫画家の先輩であるおじさん、二人を支える編集者、ライバルの漫画家たち、
あこがれの美少女、すべての役柄がぴたりとハマっていて、
誰を主役にしてもスピンオフがつくれるほど。
ひとつでも多くの情報を集めて、そこから試行錯誤して
本当に必要なエピソードだけをつないだ結果、
素晴らしく凝縮された映像がスクリーンに炸裂していました。
全く過不足がなくおもしろい。
その疾走感こそが、青春そのものなのかもしれません。
絵心が全くなく、棒人間しか書けないわたしのような人間をも圧倒した
この映画の魅力は、マンガに限らず、何か「作品」というものをつくろうと
試みたことのある人には伝わると思います。
そして個人的には映画史上に残ると思う、あのエンドロール。
まあ、スクリーンで観てください。
ジャンプコミックを1冊でも読んだことのある人なら、
ニヤリとしたあと、ちょっと泣きそうになるはずです。そしてわたしはこの冬、
どうしてももう1本スクリーンで観たい映画があります。
「シネマの天使」という、
多分東京では1週間ぐらいしか公開予定のない映画です。
なぜこの映画が撮られることになったのか、経緯はわかりませんが、
この映画はわたしの育った街の、先日閉館になった映画館が舞台です。
“大黒座”というその映画館で、わたしが最後に観たのは2013年のお正月の「レ・ミゼラブル」でした。
父と二人で過ごしていた正月休み、何だかヒマをもてあまして、
ひとりでその映画を観に行きました。
家に帰って、そのことを報告すると、「なんだ、パパも観たかったな」と
父は言いました。
その時は、何も考えずに「じゃあ、また今度何か観に行こうよ」とやり過ごしました。
そして、その年の夏に父は急死しました。
この夏、実家に帰ったら大黒座の跡地には、
少し広めのコンビニが建っていました。
何かを後悔しても、わたしにはもうどうすることもできません。でも「ギャラクシー街道」は観ないと思います。
そしてそれを後悔することもないと思います。
“トリック or トリート”と言いながら、
仮装をしてもいいのは子どもたちだけではないのでしょうか。
コスプレ、というか扮装だらけのこの映画で、
観客が監督をトリートすることもないのでは、と思います。 -
神社仏閣の日々
国分太一、千原ジュニア、そしてしんがりに控えていた大物・福山雅治。
と、思っていたら爆笑問題の田中まで。
天の配剤、スーパームーンの影響でしょうか、
アラフォー独身男性たちの結婚ラッシュ。
特に福山雅治については、普段あまり連絡を取り合わない同世代の友人から
メールがきたほどです。
「別にそんなに好きじゃないんだけど…」、の枕詞付きで。
別にそんなに好きじゃないけど気になる、
わたしにとっても福山雅治は、
そんな誰かのお土産のまんじゅうのような存在です。
なんかちょっと置いてあると食べてしまう。
小粒ではありますが、彼とリリー・フランキーとの友人関係は、
平成のタモリと井上陽水だと思います。
インテリの匂いがするお笑い系とミュージシャン、そして4人とも九州人。
妄想ですが、この4人は絶対一緒に飲んだことがある。
うらやましい。それがわたしの福山雅治観のすべてです。8月、何十年かぶりに伊勢神宮に参拝しました。
たまたま泊まった宿が朝6時からの早朝参拝を行なっていて、夫婦で参加。
人のいない、静まり返った内宮の厳かな雰囲気に、汚れた心を洗われ、
記念にと、生まれて初めて朱印帳を購入することに。
そこからわたしたちは集印に目覚め、
神社仏閣を巡る旅に出るようになったのです。9月のシルバーウィークには、広島の実家に帰る夏休み旅。
その旅程に、島根と京都を組み込み、
まずは出雲大社に、これも何十年ぶりかに訪れました。
伊勢の時のように早朝参拝というわけにもいかず、大勢の人でごった返すなか、
参道を進み、参拝し、朱印をいただきました。
日付も入っているので、よい記念になります。
といっても、そんなスタンプラリーのような軽々しいものではなく、
本来は写経をして奉納した証としていただくそうですが。そして東京に帰る途中で、京都にも立ち寄りました。
これまでにも何度か訪れたことはありますが、
宿をとって泊まったのは、高校の修学旅行ぶり。
何となく敷居が高いような気がして、勝手に避けていた千年の古都。
しかしさすが京都、大した下調べもなく街を歩いても、そこかしこに
国宝だの重要文化財だのが点在し、いちいち感動しきり。
今回目的と定めたのは、北西の右京区にある、
石庭で有名な龍安寺、徒然草にも出てくる仁和寺でしたが、
いずれも素晴らしい景観で、
多分この年になったからこそ心に響くものがあるんだろうと実感しました。
あちこちで修学旅行生を目にしましたが、自分のことを思い返しても、
ただ友達と旅行に行くのが楽しいだけで、
神社仏閣や景色のことはあまり覚えていません。
もったいないことですが、あの頃はそんなもん。
そして朱印の数も増えました。今更ですが、京都奥深し。
もちろん一泊したぐらいではまったく時間が足りないので、
再訪を誓いました。
わたしもすでに老境に入ったのかもしれません、
これからは細々と朱印を集めて暮らします。ざっくりと芸能ネタということでくくるなら、
福山雅治が結婚することより、川島なお美が亡くなったことの方が、
ずっと気になっています。
わたしはちょうどその二人の間ぐらいの世代、
京都へ修学旅行に行った小学生の頃から、現在までなんて、
本当にあっと言う間だと思えます。
最近は天災も多いし、いろいろときな臭いこともある。
残念ではありますが、
わたしももうこれまでの倍の人生を生きることはないでしょう。
なるべくやりたいことをやって、頑張っていこうと思う秋もまた深し。