映画の日々

一向に信じられませんが、もう11月だそうです。
全く季節の移り変わりについていけず、
今日は暑いのか寒いのか、アマタツに聞いてもよくわからず、
何を着ればいいのか毎日迷っていたら、
ハロウィンなどという西洋の祭りがすっかり日本にも定着したようで、
いっそ何かのコスプレをして出社すればいいのか、と自棄になっているうちに
2015年も2枚綴りのカレンダーだとあと1枚になってしまいました。

 

そのアマタツの出ている朝のワイドショーを見ていたら、
昨今のハロウィンの盛り上がりについて、とあるコメンテーターが
「下手したら、イベントとしてはクリスマスやバレンタインよりも
盛り上がってるんじゃないか。なぜなら前者はどうしても恋愛がからむけど、
ハロウィンは彼氏や彼女がいなくても参加できる。
そういう意味でのハードルが低いから、
受け入れやすいし、日本人が好きな集団行動にも合っている」、
という主旨の発言をしていました。
その分析はとても腑に落ちたのですが、ハロウィンの週末、
わたしはコスプレの集団に合わないように、
できるだけ繁華街に立ち寄らないようにした、実はカボチャの化身です。

 

コスプレをしなくてもカボチャの化身であるわたしが、
人ごみにまぎれて何をしていたかというと「映画バクマン。」を観ていました。
平成の「まんが道」とも言われるこの原作を、わたしは全く読んでいません。
しかし2時間の上映時間中、画面に釘付けでした。
それこそマンガのページをめくるように、夢中になっていました。

 

主役の二人はもちろん、脇を固める役者陣が素晴らしい。
漫画家の先輩であるおじさん、二人を支える編集者、ライバルの漫画家たち、
あこがれの美少女、すべての役柄がぴたりとハマっていて、
誰を主役にしてもスピンオフがつくれるほど。
ひとつでも多くの情報を集めて、そこから試行錯誤して
本当に必要なエピソードだけをつないだ結果、
素晴らしく凝縮された映像がスクリーンに炸裂していました。
全く過不足がなくおもしろい。
その疾走感こそが、青春そのものなのかもしれません。
絵心が全くなく、棒人間しか書けないわたしのような人間をも圧倒した
この映画の魅力は、マンガに限らず、何か「作品」というものをつくろうと
試みたことのある人には伝わると思います。
そして個人的には映画史上に残ると思う、あのエンドロール。
まあ、スクリーンで観てください。
ジャンプコミックを1冊でも読んだことのある人なら、
ニヤリとしたあと、ちょっと泣きそうになるはずです。

 

そしてわたしはこの冬、
どうしてももう1本スクリーンで観たい映画があります。
「シネマの天使」という、
多分東京では1週間ぐらいしか公開予定のない映画です。
なぜこの映画が撮られることになったのか、経緯はわかりませんが、
この映画はわたしの育った街の、先日閉館になった映画館が舞台です。
“大黒座”というその映画館で、わたしが最後に観たのは2013年のお正月の「レ・ミゼラブル」でした。
父と二人で過ごしていた正月休み、何だかヒマをもてあまして、
ひとりでその映画を観に行きました。
家に帰って、そのことを報告すると、「なんだ、パパも観たかったな」と
父は言いました。
その時は、何も考えずに「じゃあ、また今度何か観に行こうよ」とやり過ごしました。
そして、その年の夏に父は急死しました。
この夏、実家に帰ったら大黒座の跡地には、
少し広めのコンビニが建っていました。
何かを後悔しても、わたしにはもうどうすることもできません。

 

でも「ギャラクシー街道」は観ないと思います。
そしてそれを後悔することもないと思います。
“トリック or トリート”と言いながら、
仮装をしてもいいのは子どもたちだけではないのでしょうか。
コスプレ、というか扮装だらけのこの映画で、
観客が監督をトリートすることもないのでは、と思います。