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帰省の日々
ついこの前まで、何年かに一度の異常気象で、「猛暑」だの「酷暑」だの騒いでいましたよね。
Tシャツ1枚で“暑い。まじやべー”、“暑い。ウケるんですけど”、
とふうふう言いながら暮らしていましたよね。
だのになぜ、もう年末です。12月です。師走です。忘年会です。年賀状です。
だのになぜ、歯をくいしばり、君は行くのか、そんなにしてまで♪です。
いい感じの秋もなく、あっという間に冬。
バンクーバーオリンピックも、W杯も、AKB48も、ゲゲゲも、海老蔵も、水嶋ヒロも、
うかうかしていると、あっという間に、今は昔、です。年をとればとるほど、月日の流れを早く感じる…。
その理由には諸説あるようですが、
ひとつには10才の子どもにとっての1年は、今まで生きてきた月日の10分の1、
40才の大人にとってのそれは、40分の1。70才にとっては70分の1…。
年齢を重ねるほど分母が増えて、体感的に短く感じる、というもの。
確かに何となく納得できる気がします。
しかし、それにしても今年の早さといったら…。年末は、東京駅から新幹線に乗って西の方の街へ帰省します。
学生の頃から、「のぞみ」が開通する前から、
もう数え切れないほど新幹線に乗ってきました。
どうしても東京で過ごしたいから、と帰らなかった年があります。
交通費がないから、と情けない理由を話した年には、お金が送られてきたこともありました。
1年がまだ20分の1ぐらいで、
真夏だってエアコンをつけてなくてもぐっすり眠れていた頃。そうやって年に一度帰るか帰らないかだった場所に、
いつしか頻繁に帰省するようになりました。
まず同級生がひとり、ふたりと結婚し、
祖父や祖母の元気がなくなり、
結婚した同級生に子どもが生まれ、
自分よりずっと小さかったいとこたちもまた結婚したり、
父や母でさえ具合が悪くなったりして…。
まあ、そういった理由で、です。
物理的な距離は変わらないけれど、
心理的にはいつも頭の片隅にちらついているようになるのです。とはいえ、その滞在日数はそう長くもないので、さまざまなことに限りが生じます。
たとえば、食事。
家族は家で食べろとうるさいし、もちろん友だちにも会いたい。
その合間に、やれ国道沿いに新しくできた店に行こうとか、
それ駅で焼き立てのパンを買ってきたとか、
あれこれと食べ物の世話ばかりやかれます。
そんな隙間ない食スケジュールの中に、
「“五十番”の若鶏炒め定食」と「“もりせん”の焼き豚」と
「“朱さん”のラーメン」と「“白十字”のエクレア」という、
私自身が絶対にはずせないメモリアルフードも組み込まなければならないのです。帰省の準備は済みましたか。 実家で何を食べますか。
なぜティッシュを買わずにはいられないのか、触れていないままですが、
引っ張るほどの話ではないような気もしています。
今年もお世話になりました。よいお年をお迎えください。
そして来年こそ。 -
違和感の日々
突然ですが、ティッシュペーパーは好きですか?
私は好きです。
1日に1度はそのことを考える、といっても決しておおげさな話ではありません。
ですから深夜の緊急時に「げっ、買い置きがない」とコンビニに走ったり、
ましてや「買いに行くのめんどくせー」と、トイレットペーパーで代用する
一人暮らし男子のようなことはありません。
というか、ありえません。
なぜなら我が家にはよくスーパーや薬局の店頭で見かける5箱入りティッシュが
少なくとも5組はあるからです。
そう、5箱入り×5組で25箱はあるでしょう。
いや、もっとあるかもしれません。
見知らぬ書店のブックカバーをほしがるように、ティッシュペーパーを買わずにはいられないのです。
なぜ?つい先日も地元の駅前の薬局で、5箱入りティッシュを買ってしまいました。
もちろん、家にある、のにです。
しかも店頭にあった198円のお買い得品ではなく、店内にあった348円の高いほうです。
なぜ?ところで、今は薬局のこと、「薬局」って言わないんですか?
「ドラッグストア」?
あ、店名で言うのか。「マツキヨ寄ってく?」とか。そんな感じ?
喫茶店じゃなく、「カフェ」だしね。「カフェでスイーツ」だしね。
じゃ美容院は? 「サロン」?
うちの母親は「パーマ屋」って言ってたわ、そういえば。そういえばこの前美容院だか、サロンだか、でのこと。
「久しぶりにパーマとかかけてみたいんだけど」と、
いつも担当してくれる美容師さん(男性・推定30代後半)に話していたら、
「そうですね、やってみましょうか、パーマ」とのお返事。
うーん、なんか違和感が。
たとえてみると、私のパーマは「豪華」とか「ローマ」で、彼のパーマは「牢屋」とか「保谷」でした。
イントネーションが、です。
そのあとも「“保谷”かけると、手入れがラクになりますよ」。
「この前“保谷”かけたのは、えーっと半年以上前ですね」。
「そ、そうですか。じゃあ、そんな感じの“ローマ”お願いします。いや、“保谷”」、
となじめないまま「ローマ」と「保谷」の間を行ったり来たりしてみました。
そして小一時間後、サロンのぴかぴかに磨き上げられた鏡の中には、
何年か前に親戚の法事で会った遠縁の叔母がいました。
要するにその仕上がりはまあ、なんというか「保谷」だったわけです。「ローマ」に行きたかったのに、「保谷」とは…
(ちなみに「保谷」は西東京市にある西武池袋線の駅名です、念のため)。
違和感だらけです。ティッシュの話がしたかったのに、とんだ脱線です。
知りたいですか。なぜティッシュを買わずにはいられないのか。
次回こそその話をします。してもいいですか。 -
本屋の日々
本を買う。
頑張って読んではいるものの、買うペースの方が断然速く
会社のデスクや部屋のベッドサイドにじわじわと積み上がっていて、
ただでさえ片づけられない女なのに、何か余計に面倒くさいことになっている。
すぐに読みもしない本を次々と買う理由、
それは本屋のブックカバー。散歩で出かけた吉祥寺で、
打ち合わせで降りた赤坂見附で、
スカイツリーの下の商店街で、
那覇のショッピングセンターで、
帰省した実家で、
夏休みの奈良で、
書店を探して入り、とにかく何か買う。何か買いたい。
ブックカバーかけてほしいから。
たとえ話題の本や好きな作家の新刊がなくても、
気になる文庫の一冊や二冊は必ずあるから、買う本には困らない。
だから昼休みに会社のそばのタレントがよくサイン会をする書店に寄っても、
帰宅途中に自宅の最寄り駅にある沿線では大手の店を一周しても、
気になるタイトルをなんとなくチェックするだけ。
二度と手に入らなそうな本でも見つからない限り、レジには行かない。
それらの店のブックカバーならもう山ほどあるから。
チェックだけしておいて、
頭の中の「この次どこかの本屋で買うリスト」にメモしておく。iPad登場で世の中電子書籍ばっかりになったらどうしよう。
既にいわゆる駅前書店的な小さな本屋も少なくなってるし。
それにしても何で本屋のブックカバーの紙は茶紙ばっかりなんでしょうか。
やっぱり経費の関係なんでしょうね。
それだけにたまに4色刷りだったり、
イラストが書いてあったりする個性的なカバーに出会うと、
レアものゲット!な感じがしてひそかに気分があがります。
反対に本屋さんオリジナルカバーでなかったりすると、結構がっかりします。
それが買わなくてもいい本をカバーほしさに無理矢理買った時だったりすると、
その場で返品したくなるぐらいに。同じような感覚で、今は無きパスネット(パスモ導入以前に流通していた地下鉄や私鉄に乗るためのプリペイドカードです、念のため)を
集めていたこともあります。
見たことのないデザインのパスネットほしさに、
全く乗る用のない北総鉄道の駅に出かけたこともありました。本、なんてその気になればアマゾンでいくらでも手に入ります。
いながらにして何でも手に入る時代だからこそ、
「出かけて、買う」に燃えるのかもしれません。
ちょっとした思い出とともに記憶の中にも積み上がっていくし。あまり共感されないかもしれませんが、
そんな感じでうろうろしながら日々のあれこれをまわしています。集めている、というか買わずにはいられないものは他にもあります。
次回はその話をします。させてください。