• RWCの日々

    9月も半ばを迎えた頃、なんとなく街角や電車の中に、

    これまでのインバウンドな人々とは明らかに違う、

    体格のいい外国人が目に留まるなあ、と思っていたら、

    見たこともない色柄のユニフォーム着た集団がいるなあ、と思っていたら

    そうか、ラグビーのワールドカップが始まるんだ、と気がつきました。

    ジャイアンツのリーグ優勝も決まり、

    うちのカープは自力でCSにも行けない体たらくで、

    ちょうどプロ野球を観ることに興味を失っていた時期に始まったRWC2019、

    RWCをRGBに空目したぐらいには広告屋の性分が染みついている自分としては、

    消費税増税を目前に控えた9月30日現在、

    ラグビーをこんなにおもしろいと思えるとは意外でした。

     

    わたしの住む街は「ラグビーのまち 府中」として

    去年あたりからさまざまなイベントを開催していて、それまで何の興味もなかった

    わたしのような者でも、街角に掲げられるフラッグやポスターなどが増えていくにつれ、

    なんとなく意識をしてはいました。

    開幕直前まで、TBSではラグビーをテーマにした

    池井戸潤原作の「ノーサイド・ゲーム」というドラマも放映されていたりして

    (このドラマも舞台は府中市)、

    街を上げてRWCを盛り上げてるなあ、と思いながら見ていました。

     

    とは言っても、わたしの持っているラグビーの知識は、今から30年以上前の

    80年代の大映テレビドラマ「スクールウォーズ」の、

    熱血教師役の山下真司の泣き顔と、麻倉未稀の歌う主題歌「ヒーロー」の

    これでもかという圧の強い歌いっぷりがすべて。

    つまり何もないも同然です。

     

    9月20日金曜日の開幕の日、地元の駅前では朝からイベントがあり、

    わたしたちがそれまで味の素スタジアム・通称味スタと呼んでいた競技場は、

    世界に向けて(と、あとスポンサーの関係という大人の事情で)、

    東京スタジアムと名前を変えていました。

    そのスタジアムで行われた開会式で、歌舞伎役者の市川右團次とその息子右近くんが、

    親子で連獅子を舞うのを観て、

    大会のマスコットの「レンジー」というキャラクターが、

    連獅子に由来するものであることが腑に落ちたり、

    そもそも右近くんが「ノーサイド・ゲーム」に

    主演の大泉洋の息子役で出演していたことも、

    この晴れ舞台のための布石であったのかと納得しました。

    それはなんだか、普段は電車でしか通らない東京の街を、

    たまに車や徒歩で移動してみると、

    街と街は駅と駅という点と点ではなく、

    平面なんだ、つながっているんだ、ということがわかる感じに似ていて、

    この大会が俄然おもしろそうなものに思えてきたのです。

     

    開幕戦でロシアに勝利した翌日の土曜日、

    わたしたち夫婦はフランス対アルゼンチンの試合が開催される、

    東京スタジアムに出かけてみました。チケットも持っていないのに。

    最寄駅の飛田給駅はこれまでに見たこともないほどの人数の

    さまざまな国籍の外国人であふれていて、それぞれのコスチュームも見応えがあり、

    どこか海外のスタジアムにいるような高揚感に包まれました。

    ワールドカップを自国で開催することの楽しさを肌で感じると同時に、

    なぜチケットを購入しなかったのかという後悔も。

    そして調子に乗ったわたしたちは、

    そのままファンゾーンと呼ばれるパブリックビューイングの会場に赴き、

    ハイネケンを片手にフランス対アルゼンチン、

    そして続くニュージーランド対南アフリカの試合まで観戦しました。

     

    そして、にわかファンなりのラグビー熱は、

    その1週間後の9月28日、日本対アイルランド戦の試合を観るために、

    地元にあるこれまで1度も行ったことのなかったスポーツバーで、

    本気のラグビーファンの見知らぬ人々とともに、

    歴史的勝利をリアルタイムで目撃し、歓喜のハイタッチをするまでに高まりました。

     

    20代の頃、誰かに連れられて大学ラグビーを観戦して、

    ルールもわからないし、寒いしで、まったく楽しむことができなかった

    あの時のわたしが今のわたしを見たらなんと言うでしょうか。

    ボールを前に落としてはダメ、

    という基本的なルールを知ったばかりで、

    熱を上げているわたしのことをどう思うでしょうか。

     

    後にR1と称されるであろう令和元年にRWC2019の日本開催にいたったのは

    偶然でしょうが、自分史的には2019年をラグビー元年と定めることにします。

    モール、ノックオン、コンバージョンキック、

    にわかなりに、最近これらの用語を口にするようになりました。

    では、今月もノーサイドで。

  • 3の日々

    長梅雨が明けたと思ったら、酷暑。

    各地で最高気温の記録を更新するような日々が続き、

    来年のオリンピックはどうなるんだ、

    そもそも夏の高校野球も時期を改めた方がいいんじゃないのか、

    とかなんとか言ってるうちに、オリンピックのチケットのはずれた人救済の

    二次募集にエントリーしたり、甲子園の履正社の優勝を見届けていたら、

    なんとなく気温も落ち着いてきて、蜩なんかも鳴きはじめ、秋の気配。

    結局、夏も終わっていくんだなあ、と毎年思います。

     

    「涼しい午前のうちに宿題を済ませてしまいましょう」。

    小学生の頃に1か月半もあった夏休みは、特にどこかに連れていってもらわなくても、

    毎日いくらでもやることがあって、そこらじゅうを飛びまわっていました。

    今のように朝から気温が30℃を超えるなんてこともなかったので、

    午前中にちょっと宿題に手をつければ、

    お昼にそうめんを食べてから、午後は自由時間。

    学校のプールや近所の夏祭りに出かけたりしているうちに、

    あっという間に2学期を迎えていました。

     

    自分の年齢を3で割ると、今、人生なら何時頃にいるのかがわかる、

    という遊びがあります。

    たとえば夏休みの小学6年生12歳÷3は4、

    午前中どころかまだラジオ体操も始まらない午前4時です。

    目覚めてもいないので、1日はたっぷりあります。うらやましい限り。

     

    この夏は長い夏休みを取って遠出することもなく、

    ちょこちょこと細切れに休んでは、相変わらずどこかの劇場や映画館、

    ライブ会場に出かけていました。

    ちなみに2019 年8月の個人的ベストパフォーマンスは、

    中野サンプラザの山下達郎と、歌舞伎座の八月納涼歌舞伎第二部「東海道中膝栗毛」です。

    高い交通費を使わなくてもさまざまなエンタメをライブで観られるという、

    都会にいるメリットのひとつを、

    気力と体力と経済力が続く限り活用しようと考えているので、

    有料の衛星放送チャンネルや動画配信サイトには加入していません。

    これ以上、さまざまなコンテンツに触れるには、もう時間が足りない、目が足りないから。

     

    なのに、今まで禁じていたNetflixやWOWOWが、

    この夏、あの手この手で「課金しろ」と手招きしてきます。

    Netflixのオリジナルドラマ「全裸監督」が観たいです。

    ドラマの舞台は1980年代のAV業界。

    主役の村西とおるを演じるのは、若手実力派から、

    今や怪優と呼べるくらい風格も凄みも増した山田孝之。

    AV界の革命児と呼ばれた村西とおるが世に現れた頃のことはよく覚えています。

    ビデオメーカー・クリスタル映像を立ち上げて、

    数々の名作?や奇作と呼ばれるAVを監督。

    なかでも当時国立大学生だった黒木香をAVに出演させたことは、

    彼女の個性的なキャラクターとも相まって、大いに話題になりました。

    誰かが持っていた彼女のビデオテープを、

    誰かのアパートで何人かで観たことを覚えています。

    テープもデッキも高価で、当時誰もが持っていたというわけではありませんでしたから。

    そんな彼の風雲録が映像化されていて、評判も高い、となれば、

    いよいよNetflixにも入らなければばらないか、と思っています。

    ビデオデッキの普及に一役買ったのが全裸のAV監督だとしたら、

    Netflixの普及に貢献するのも「全裸監督」。

    それはなかなか“ナイスですね”なことだと思いますが。

     

    80年代、当時のわたしの年齢を3で割っても、それはまだまだ午前中でした。

    そして現在のわたしはもはや人生の夕暮れ時。

    太陽が輝く時間は終わっていて、そろそろ晩ごはんでも食べようかなあ、という頃です。

    まあ、そう思うと少し寂しい気もします。

    そんな夏の終わりの夕暮れ時、夏休みの宿題に「全裸監督」の感想文でも書きますか。

     

     

     

     

  • ジャニーズの日々

    7月も後半になるというのに、梅雨に入ったまま明ける気配がありません。

    連日、雨、もしくは曇り。気温も上がらず、

    子どもたちは夏休みを迎えたのに、プールにも入れない。

    なんとなく街全体が鬱々としている気がします。

    なんでもこの7月の東京の日照時間は観測史上最も少ないとか。

    去年の今頃は毎日30度超えの真夏日で息も絶え絶えだったことを思えば,

    過ごしやすいとも言えますが、やはり人間にも光合成は必要。

    太陽を浴びて外で遊んでビールなんか飲んで、

    夜は洗い立てのカラッと乾いたシーツで眠りたいものです。

     

    そんな湿度の高い令和元年の夏に、芸能界の大物の訃報が飛び込んできました。

    ジャニー喜多川氏、享年87。

    言わずとしれたジャニーズ事務所の社長である、ジャニーさんです。

    流行りのTikTokが、もしもわたしの中高生時代に存在したなら、

    当時の放課後毎日のように教室の片隅でみんなで踊っていたフォーリーブスの

    「ブルドッグ」をアップします。

    歌って踊る男性4人組のグループのはしり、フォーリーブスのその曲は

    サビの部分の“にっちもさっちもどうにもブルドッグ”という

    まったくわけのわからない歌詞と、

    ゴムチューブを足で踏んで両手に持ち、びよんびよんさせながら歌うという

    これまた意味不明なパフォーマンスで、わたしたちをくぎ付けにしました。

    去年流行ったDA PUMPの「U.S.A.」並みに、

    当時の子どもたちの間で流行りました。

    それがわたしとジャニーズ事務所の出会いです。

     

    それから数十年、わたしが筋金入りの芸能ミーハーになったのは、

    結果的にはジャニーさんのせい、いやおかげなのかもしれません。

     

    フォーリーブスの後、ジャニーさんに見いだされた福岡出身の原武裕美少年が、

    「郷ひろみ」と名前を変え、弟分としてデビューしました。

    わたしは現在のジャニーズの繁栄があるのは、

    ルックス、キャラクター、歌、ダンス、すべてがキラキラしていた

    郷ひろみがいたからだと思っています。

    それからなんだかんだあって「2億4千万の瞳」が流行ったおかげで

    若い世代からヒロミ・ゴー、ジャパーン、

    などと半笑いで扱われることもありますが、

    還暦を過ぎた今でも太りもせず、抜けもせず、

    いろいとメンテナンスしてはいるんでしょうが、見た目を保ち、

    アイドルをやっていることは尊敬に値します。

    でも、彼はわずか3、4年しかジャニーズ事務所にはいなかったんですが。

     

    郷ひろみがいなくなってから、ジャニーズ事務所は低迷します。

    タレントはいたものの、誰もが知る人気者は生まれませんでした。

    80年代に、田原俊彦、近藤真彦、野村義男の3人、

    通称たのきんトリオが現れるまでは。

    武田鉄矢が先生役で人気を集めた学園ドラマ「3年B組金八先生」の生徒役で

    デビューした3人は、ドラマの人気も相まって、

    あっという間にスターになっていきました。

    その様をリアルタイムで体験していたわたしたち世代、

    クラスはトシちゃん派かマッチ派に別れ、

    変わり者がヨッちゃんに流れていました。

    そして満を持してレコードデビューも果たした

    トシちゃんもマッチも爆発的に売れ、ジャニーズ事務所ここにあり、を

    再び世間に知らしめることになったのです。

    その後も事務所に残ったマッチは、この時の功績により、

    今でも後輩から“マッチさん”と呼ばれる大幹部になり、

    多分これからも安泰です。

    トシちゃん派だったわたしは、

    今でもたまにテレビに出ては後輩たちにちやほやされている

    近藤真彦を見るたびに、“マッチのくせに”、という思いと、

    “継続は力なり”という格言が浮かびます。

     

    昭和、平成、令和を生きたジャニーさん追悼の意味を込めて、

    その功績を振り返るとともに、わたし自身の芸能史を綴るつもりでしたが、

    たのきんの時点で文字数が…。

    まだシブがき隊にも、少年隊にも、光GENJIにも、SMAPにも、TOKIOにも、

    V6にも、Kinki Kidsにも嵐にも言及してないのに。

    キンプリのことだって、がんばれば語れるのに。

    「クラスで人気あったジャニーズ誰?」と聞くと、好き嫌いはともかく、

    それぞれの世代に答えがあって、その人の年齢が大体わかります。

    それは結構大した足跡だと思うのです。

     

    ジャニー喜多川を失ったジャニーズの行く末を

    わたしが憂いてもしようがありませんが、

    ジャニタレたちの魅力のひとつに、ダサさとかっこよさの絶妙なブレンド、が

    あると思います。

    ブルドッグの振り付け、グループ名のネーミングセンス、

    デビュー当時のSMAPや嵐の衣装、

    それは一歩間違えば一発屋で終わっていたかもしれないギリギリの線。

    そのブレンドの配合は企業秘密、ジャニーさんにしかわからない、

    老舗のうなぎのタレのようなもの。

    そのタレの味を果たしてタッキーは受け継いでいるのか。

    しかし、先日テレビで観た滝沢秀明演出の

    “筋肉太鼓”なるパフォーマンスに、その妙味は感じました。

     

    タッキーが名付け親になって、

    「令和」がグループ名に入るユニットは誕生するでしょうか。

    2020TOKYOを視野に入れたグループはできるでしょうか。

    それとも退所者や結婚組が続出し、分社化するなど、

    屋台骨が揺らぐことになるでしょうか。

    さようならジャニーさん。ありがとうジャニーさん。

    カリスマのいなくなった企業の存続について、

    わたしはこれからも目が離せません。

    そして吉本興業の今後にも。


    Users who have LIKED this post:

    • avatar
  • 大和の日々

    2019年5月1日、元号が平成から令和に変わったその日、

    わたしは自宅ではなく実家にいました。

    初めての10連休という触れ込みのゴールデンウィークを

    実家のある広島で過ごしていたのです。

    午前中から山間の日帰り入浴施設にいたわたしは、居合わせた入浴客とともに、

    施設内の大型テレビで中継を見ていました。

    そして即位後朝見の儀にご出席になるため、

    東宮御所から皇居に向かわれる雅子さまを見て、

    なぜか今までに感じたことのない思いにとらわれました。

    黒塗りの車の窓から、沿道ににこやかに手を振られる雅子さま、

    その姿に心から「頑張ってー」、というエールを送っていました。

    不敬かもしれませんが。

    外務省勤務のバリキャリ(死語ですが)だった小和田雅子さんが

    皇太子妃になり、それまでの環境とはある意味真逆の皇室に入られ、

    心身の不調なども取沙汰されるなか、26年の時を経て、皇后陛下になられた。

    あの時のティアラにローブ・モンタントは美しい戦闘服のようにも見え、

    わたしの脳内にはなぜか「宇宙戦艦ヤマト」のテーマが鳴り響いていました。

    不敬かもしれませんが。

     

    時は前後しますが、平成最後の4月の月末、

    わたしたち夫婦は奈良県にいました。

    世界遺産・薬師寺の大講堂の前でオーケストラをバックに開催される

    玉置浩二のコンサートのためです。

    通常のホールでのコンサートとは違って、完全な屋外、

    しかもそこは1300年の歴史を持つ名刹。

    平成の最後を過ごすのに、これ以上ふさわしい舞台があるでしょうか。

    コンサートはまだ陽のあるうちに始まり、

    時間の経過とともに次第に暗くなっていく境内では、

    風の音や鳥のさえずりまでもが演出です。

    屋外であることにまったくハンデのない、オーケストラと一体となった歌声は、

    西ノ京の空にこだまし、吸い込まれ、

    時空を超えて平安貴族の雅びな歌会にいるような気になりました。

    いや、大げさでなく。

     

    思えば修学旅行以来に奈良を訪れたのは、もう15年以上前、

    平成の中頃のことでしょうか。

    その時も思いましたが、710年の平城京遷都から始まった土地は、

    空が広く、高く、非常にプリミティブな心の落ち着く場所でした。

    確かに日本のルーツがここにあったのだとDNAで感じるような大和でした。

    よく言われることですが、

    小中学生の修学旅行で訪れた奈良や京都の神社仏閣のことは

    多分ほとんどの人が記憶にないでしょう。

    友だちと好きな異性の話をした夜や

    班行動で食べたスイーツの味の方が鮮明で。

    もちろんそのことは一生の素晴らしい思い出です。

    しかし古いものの魅力や大切さは年をとってからわかります。

    そしてそれはラジオ体操と似ています。

    体育の時間や夏休みに、しぶしぶやらされたラジオ体操は、

    からだも柔らかく筋肉もしなやかで、

    どこにも痛みのない子どもには大した効果もありません。

    しかし、この年になった今、肩を上げ下げしたり、屈伸をしたり、

    首をぐるぐる回したり、ふくらはぎを伸ばすことの重要性を

    ひしひしと感じています。奈良は、ラジオ体操です。

    大人になってこそ必要な場所、と感じました。

     

    コンサートの翌日には、橿原神宮、飛鳥寺、石舞台古墳、と、

    さらに時代を遡り、奈良時代から古代史まで、駆け足で巡りました。

    1年中人が多く、少し街としての敷居の高い京都よりも、

    わたしは奈良をお勧めします。

     

    とはいえ、平成から令和へ、とあわただしかった日々も、

    終わってしまえば結局はただの地続きで、また毎日は淡々と過ぎています。

    次は2020年、大和の国で行われる、

    オリンピックのチケットを入手しなければなりません。

    開会式の一番高額な席、1枚30万円。

    この前神保町の駅で、乗り換えについて尋ねられ、

    ついでだからとホームまで案内した老婦人が、身寄りのない大富豪で、

    「あの時、親切にしてくれた女性に全財産を譲る」と

    遺言状を書いていてくれないかと妄想しながら、令和の世も粛々と働きます。

  • 新しい日々

    前回、大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』を猛プッシュしたら、

    出演者のピエール瀧が捕まってしまいました。なんかすいませんでした。

    主人公の金栗四三を支える足袋屋の主人という、重要な役で出ていたのに。

    これからもたくさんの出番があって、

    なんでもストックホルムオリンピックから帰ってきた四三は,

    足袋屋の2階に下宿する予定だったとかなんとか。

    結局、彼が一番”とつけむにゃあ”男だったようです、残念な意味で。

    代役も大人計画の役者であり、

    グループ魂のドラムでもある三宅弘城に決まったようですが、

    やはり今まで撮りためている幻のピエール瀧編が観たいです。

    そしてその昔、

    これとまったく似たような気持ちになったことがあるのを思い出しました。

     

    それは奇しくも1990年、今まさに終わろうとしている平成が、

    始まったばかりの平成2年のことでした。

    昭和の大物俳優が、今回のピエール瀧と同じような罪状で、

    マスコミに取沙汰されたのです。

    それは勝新こと、勝新太郎という人なんですが、

    彼については「勝新、パンツ、逮捕」などのワードで検索してみてください。

    何冊も本が書けるほどの情報があります。

    ピエール瀧が、『いだてん~東京オリムピック噺~』の出演シーンを

    幻にしてしまったように、

    この時の勝新は、大手ビールメーカーのCM1年分をふいにしました。

    映画にもなった「蒲田行進曲」などの著者、直木賞作家でもある

    演出家つかこうへいが手がけたCMは、1年間続くドラマ仕立てで、

    放映前から話題でした。

    当時、つかこうへいのファンであったわたしは、

    このCMを大いに楽しみにしていました。

    しかし勝新の起こした事件のせいで、

    既に1年分撮りためていたCMはわずか1回放映されただけで、お蔵入りに。

    わたしは今でもこのCMシリーズが、どうしても見たい。

    動画サイトでさまざまな過去の作品、

    なんなら自分が生まれる前の映像ですら見られる時代になっても、

    どこをどう検索しても「ラ党の人々。」とタイトルのついた、

    この映像は見ることがかないません。

     

    2019年5月から始まる、平成の次の元号が「令和」に決まりました。

    出典は万葉集だそうですが、響きも美しく、頭文字がRで始まる、というのも

    次世代感があって、とてもいいと思います。

    わたしも、

    これでどうやら昭和・平成・令和の三代を生きていくことになりそうですが、

    なんだか一気に年をとった気がします。

    子どもの頃、明治生まれの人っておばあちゃんだったじゃん、と思います。

    平成最後のコピペはこれで終わりますが、

    きっとこれからもいつまでも昭和の話を続けます。

    平成の方を長く生きてしまいましたが、

    わたしは確実に昭和の人間です。

     

    そして、まだ4月が残っているのに、

    急に「令和」のことをもてはやし始めた世間に嫉妬するように、

    「平成」はショーケンこと萩原健一まで、

    向こうに連れて行ってしまいました。

    「平成」が、“オレひとりでは終わりたくない”と、

    ラストスパートをかけているような気さえします。

    ショーケンも、勝新と同じように、

    私生活の騒動ばかりがクローズアップされがちですが、

    両者とも本当に魅力的な俳優で、

    芸能史に残るいくつもの名作に出演しています。

    とりあえず、勝新は「座頭市」のシリーズを、

    ショーケンは「前略おふくろ様」をおすすめします、

    ライブ映像もぜひ見てください。

     

    勝新太郎も萩原健一も、事件を起こした後も、

    本人の実力と人気で、芸能人としての復帰を果たしています。

    ピエール瀧の今後がどうなるのかはわかりませんが、

    代わりのきかない、必要とされる仕事についているとしたら、

    うらやましく思います。

     

    新元号も決まり、新年度も始まりました。

    新人のみなさんも、そして旧人のわたしたちも、

    自分にしかできない仕事が見つかるといいと思います。

    新しい時代もどうぞよろしくお願いします。