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百貨店の日々
平年より10日早かったそうです、関東地方の今年の梅雨入り。
5月29日。1951年に統計を取り始めて以来、3番目に早い梅雨入りだそうです。
当初はフライングじゃないの、とも言われましたが、
6月も半ばになってきっちりジメッとモワッとしてきました。
海の向こうでも、オクラホマの巨大竜巻は史上最大級、
パリは162年ぶりの寒い春とか、
世界中のあちらこちらで記録を塗り替えるような異常気象が続いています。異常も続けば、いつか日常になります。
そんなような意味のことをうまく表現した名言だか、ことわざだかがあった気がしますが、
思い出せません。ググる気もありません。
湿度や熱気で、頭の中に黴が生えているようです。
からだが錆びていくようです。梅雨のせいだけではないのかもしれません。傘をさすのが嫌いだし、かといって雨に濡れるのも嫌なので、
新宿駅から地下道を通って、久しぶりに伊勢丹に入ってみました。
長い不況で苦戦を強いられている百貨店業界の中でもひとり勝ちの伊勢丹新宿店。
かつては毎週のように通っていた、いっそここに住みたいとさえ思った、
お買いものの殿堂は静かにわたくしを拒否していました。
いや、何のことはない、リニューアルしたフロアにさっぱりついていけず、
道に迷い、目的のブランドに辿りつくのに右往左往しただけです。
自分の中で、迷うことさえ、買いものの楽しみのひとつだった時代は去りました。
あの頃誰が想像したでしょう。
赤坂プリンスが消え、有楽町西武がルミネに変わり、つい先だってはテアトル銀座も閉館し、
伊勢丹のiカードが三越でも使えるようになるなんて。春休みに母の実家があった東京に出てくるたびに、
伊勢丹で妹とお揃いのワンピースを買ってもらいました。
そのワンピースを着て上った地元の駅前の百貨店・天満屋の屋上には観覧車がありました。
その頃はまだ、駅前の百貨店よりも高い建物なんてありませんでした。
1周わずか5分ぐらいの観覧車は子どもの頃のデパート体験のメインイベント、
いやメインエベントです。
大食堂で食べたのは、パスタでなくスパゲッティだった頃の話です。
カルボナーラもペペロンチーノも聞いたこともありませんでした。
あの日に帰りたいわけではありませんが、
気候に体調が左右されるようになった今となっては、
湿度も紫外線とも無関係に走り回っていたあの頃が
「地球か、何もかもみな懐かしい」だけです©沖田艦長。アマーソニック盛り上がってましたね。
レディオガガと弥生さんの昭和歌謡ショーは
どこかの動画サイトにアップされてないでしょうか。
『潮騒のメモリー』が歌えるカラオケボックスがあったら教えてください。
「あまちゃん」がはじまる前の天気予報で、その日の服装ややる気が決まります。
最近、目が覚める時間がどんどん早くなっているような気がします。 -
朝の日々
この4月から、家を出る前の朝のルーティンが少し変わりました。
顔を洗ったり、朝食を食べたり、といった合間に
時刻や天気予報を確かめるのにつけていたテレビのチャンネルは
MCが岸部シローだろうが、峰竜太だろうが、大和田獏だろうが、みのもんただろうが、
薬丸だろうが、小倉だろうが、加藤浩次だろうが(以下略)、
ずっとずっと民放でした。
しかし、高校の時の「なっちゃんの写真館」以来に、NHKに合わせる習慣がついたのです。
そうです、「あまちゃん」です。宮藤官九郎です。長年しみこんだ習慣は容易には動かせず、しばらくはテリー伊藤に合わせたままで、
途中で気がついて敗北感を味わったりしていましたが、
やっとからだになじみました。
毎日、母のような気持ちで主人公のアキをとりまく物語を見ています。
そうです、アキの母、春子役の小泉今日子の目線です。
いろいろおこがましいのは承知の上ですが、
ほぼ同世代のKYON2が、
都会に疲れ、娘を連れて田舎に戻ってきたやさぐれた母親役なんですから、
共感するなという方が無理です。もともとやさぐれるのは得意な方です。
もう自分は主人公(青春時代)ではないけれど、
母親(家族)との確執もいろいろあるけれど、
まだ杉本哲太(自分に憧れてくれている高校の同級生)もいるようだし、
何より娘(自分自身を投影できて、もしかしたらできなかったことをやってくれるかもしれない存在)は
元気でかわいいし、とまあ、
アラフォーというか、美魔女というか、
雑誌「VERY」世代をどっぷり共感させてくれるわけですよ。そもそもタイトルからして秀逸な「あまちゃん」、
もともと彼の書くドラマは見習うべきネーミングセンスにもあふれているわけで。
今のところ個人的には片桐はいり演じる海女の役名 “あんべちゃん”に尽きますが、
小泉今日子が勤めるお店の名前が“梨明日(リアス)”とか、
古くは「木更津キャッツアイ」の“モー子”、
「池袋ウエストゲートパーク」の“キング”、
「タイガー&ドラゴン」の“チビT”など、
なんか現実にいそうでいない、しかし自分のまわりの誰かにつけたくなる、
滋味にあふれたネーミングなわけです。録画して何度も見たくなる小ネタ満載、
大人計画の役者はもちろん、渡辺えりや木野花や、電気グルーブまで、
小劇場やサブカルがNHKの朝を席巻している、
しかも視聴率もいい、クドカン恐るべし。
「じぇじぇじぇ」は流行語大賞になるかもしれないし、
そんなにおいしくなさそうな郷土料理まめぶにも俄然興味が沸くし、
アキとユイちゃんのアイドルVS構造はどうなるのか、
いやそもそも小泉今日子とアキの新旧アイドル対決の行方は?、
「アウトレイジ ビヨンド」であんなに強面だった塩見三省が琥珀堀りののん気なおじさん、
しかしいつか突然キレて人を殺すんじゃないかとか、
今後の展開に興味がつきません。
そして設定されている時間軸からして、
宮城県出身の宮藤官九郎が震災をどう描くのか、とにかく興味がつきません。先ごろ芸能界を引退することを発表した
“ツッパることが男のたったひとつの勲章だった”嶋大輔は、
毎朝「あまちゃん」を見ているでしょうか。
銀蠅一家で同じ釜の飯を食った “紅麗威甦”だった杉本哲太や、
厚木のツッパリだった(と言われている)小泉今日子の活躍を見ているでしょうか。
政治家に転身するらしいとも言われていますが、
もし当選した暁にはぜひとも北三陸の町おこしに力を貸してほしいものです。
甘ちゃんだったなあ、と後悔することになるかもしれないですが。 -
カメラの日々
この前新年のあいさつをしたばかりなのに、
ちょっとあったかくなったと思ったら、フライング気味に桜が咲きはじめ、
え、まだ3月じゃん、花見どうすんだ、いつ集まるんだ、と右往左往しているうちに
どんどん開花して、おかげで甥の小学校の卒業式には満開で、
それはそれでめでたくてよかったけれど、
4月になったらどんどん散り始めて、
花見が葉桜見になって、ふらふらと酔っているひまもなく、
新入社員も入ってくるし、
ダンジョンと化した渋谷の地下では、目的の出口も見つからないし、
もう東京に何十年もいるのに、新人のように右往左往して、
気がついたら中華街で飲茶をするはずが、森林公園でサイクリングをしているし、
爆弾低気圧は発達するわ、火消しは飛んでくるわ、半鐘は鳴るわ、
何が何やらなんだかあわただしい新学期なのであります。このままだと5月には梅雨入りをし、7月にはお月見で、
11月にはサンタクロースがやってくるはずです。
どんどんスケジュール前倒し。
プレゼンしたばかりなのに、もう入稿?、え、下版?ってなもんです。いやしかし。
今年は早咲きだったにも関わらず、いや早咲きだったからこそ、
かえって例年よりたくさんの桜が目にとまりました。
見とかなきゃ、という気持ちが強かったのかもしれません。
当たり前ですが、いわゆる名所に行かなくても、近所を散歩しているだけで、
思わぬ大木を発見したり、並木道に出会ったり。
ケータイやデジカメを取り出して写真を撮っているのも、年配の方が目にとまりました。
自分も含めてですが、
なんだかんだ年をとると桜のはかなさに我が身を重ねたくなるのかもしれません。はじめて自分のカメラを買ってもらったのは小学6年生の時でした。
コンパクトカメラ、というジャンル(もちろんコンパクトデジカメではない)の
長方体のカメラ。
フィルムを買って装填して、撮影して、
また商店街のカメラ屋さんに持って行って現像を頼んで、何日かして取りに行くわけです。
うれしくて何でも撮っていたら、
父に「フィルムだって現像だって、お金がかかるんだから、よく考えて撮りなさい」と、
言われたこと。
絹目か光沢か選んだこと、
無料でくれるアルバムの柄を選ぶのに迷ったこと、
貯まったサービス券で折りたたみ傘をもらったこと、
あんまり関係ないけれど覚えています。
その後、自分が関わったカメラはポラロイドになり、デジカメになり、
もう別にケータイのカメラだけでいいんじゃない、になり、
あとは胃カメラぐらいでしょうか。健康第一です。桜だったり、
東横線の渋谷駅だったり、小田急線の下北沢の踏切だったり、
阿佐ヶ谷住宅だったり、
銀座シネパトスだったり、新しくなった歌舞伎座だったり、
散りゆくもの、消えてゆくもの、そして反対に生まれたもの、
いつもよりいろいろとカメラに収めておきたい春だったかもしれません。
でもなぜでしょう、データの中の桜はあんまり綺麗じゃありませんでした。 -
弁当の日々
弥生3月になり、一気に気温が上がっていますが、
個人的には春の予感も恋の予感もまだ感じられません。
会社内のどこかは冬でどこかは夏、というファンタジーのような空調システムのおかげで、
この冬はなんと1枚もニットを購入しないまま過ぎていきました。
薄手のカットソーに、ダウン仕様のコート、という
中の暑さにも外の寒さにも耐えやすい
陽気なアメリカ人のようなコーディネートで冬を乗り切ろうとしています。
こうして私のステータス画面の「女子力」は年々着実に減っています。外は寒かったし、装備も弱いので、
レベル上げの旅に出てもスライム一匹倒すこともできません。
仕方がないのでなるべくHPを消費しないよう社内にとどまって、
昼もおとなしくお弁当を食べたりします。
たまに持参するお弁当の中身は大体決まっていて、
おかずは肉と卵ともうひとつ何か、の3品です。
ごはんはぎゅうっと詰め込んだ白ごはん。
気が向けばふりかけをかけたり、梅干しをのせたりする程度。
自分のためにつくるのなんてせいぜいこんなもんです。
レンジではあたためません、お弁当のあの冷めて蒸れたごはんが大好きなのです。中学と高校の頃はお弁当でした。
母のつくるそれは醤油色のおかずばかりでビジュアルはさえませんでしたが、
出来合いの総菜を嫌った、今思えば手の込んだお弁当だったと思います。
それでも友だちの持ってくる小さなジャムの空きビンに入ったドレッシングや
ラップで巻いたサンドイッチ、
当時出はじめの冷凍食品の小エビのフライみたいなやつ(海老フライではなく)なんかが、
きれいでおいしそうで、うらやましかったこともよく覚えています。
キャラ弁全盛の今だったら、いたたまれなくてひとりで隠れて食べていたかもしれません。そしてその頃、父もなぜか私たち姉妹がうらやましかったようで、
ある日母に、自分にも弁当をつくってくれ、と言い出しました。
自営だったのでお昼は家であたたかいごはんが食べられるのに、
わざわざお弁当を用意してもらっていた時期がありました。
朝のあわただしい時、
3つ並んだお弁当箱に父が自分でおかずを詰めていたこともありました。
なんで?と聞くと、「お弁当のごはんが好きなんだ」と。
私の冷や飯好きは父親ゆずりでした。
「冷や飯食いは出世しないんだ」と応じていた母。
だとしたら出世しないのも父親ゆずりでしょうか。あたたかくなったら、コートとか、スカートとか、
新しい装備をととのえて外に飛び出そうと思います。
豪華弁当を持って出かけるのもいいかもしれません。
町の外には倒すべきモンスターはいるでしょうか。
ちゃらららっちゃっちゃっちゃーん♪
これからもまだ、レベルアップすることはあるでしょうか。 -
方言の日々
もう2月も半ばだというのに、2013年にまだなじめません。
いつからか現実の時間の流れと、
体内を流れる時間が乖離してしまっているようです。
都内を西に延びる中央線と京王線のように、
最終的にどちらも八王子あたりには着くけれど、
もう途中で交わることはないのかもしれません。「私は泣いたことがない」という印象的な歌詞ではじまる名曲がありました。
女王のような気位の高さと
自分はここにいてもいいんだろうかという怯えた感じが絶妙に同居して、
奇跡のようなバランスを保っていた、
二十歳そこそこの美しい歌姫が歌っていました。
私はこの人のパフォーマンスが大好きでした。あれから二十年以上過ぎた今、「私は毎週泣いています」。
日曜9時のTBSのドラマ『とんび』を見て。
妻(息子にとっては母)を亡くした父と息子の物語、
男児好きとしてはこの設定だけでごはん3杯はいけますが、
直木賞作家の重松清が原作のこのドラマの舞台は、広島県備後市。
架空の都市ですが、どう考えても私が育った瀬戸内海の町なのです。
そこかしこにはさまれる方言を聞いているだけで、
内容以上にぐっと迫るものがあるわけです。帰省して友だちに会って喋っていると、
なぜか必要以上に泥臭い方言になってしまうことがあります。
「もう食べばーしょーたけえ、ぼれーこえてしもうたが」
「じゃけえゆうたが、ちーたーうごかんといけんよ」
「そんなんいたしいけえようせんわー」。
通訳すると
“食べてばっかりいたので、とても太ってしまいました”
“だから言ったでしょう。少しはからだを動かしなさいよ”
“そんなこと難しくてできないです”、とまあ、こんな感じ。
一方、傍らにいた友だちの子どもたちはWiiで『太鼓の達人』をやりながら、
「むずいー」だの「やばいー」だの言っていました。東京と同じです。
地方の駅前や幹線道路沿いにあるテナントがどんどん似てきているのと同じです。正月休みにラジオで
ダウンタウンの浜田雅功と息子のハマ・オカモトの対談を聴きました。
それまで公式には親子だと発表していなかった二人の
初めてのプライベートトークはとても興味深く、
お互いのちょっと引いた感じとか照れた感じも新鮮なものでした。
そして思ったのは、浜ちゃん、昔より大阪弁がキツくなってる…。
標準語を話す息子とのギャップもあったのかもしれませんが、
年をとるとあまりかっこつけたりしなくてもよくなるのでしょう。ちなみに私の高校の頃の一人称は「うち」でした。
「うちがするわー」=私がします、です。
今の10代の女子たちが「うちらはー、浦和でー」と言っているのを聞くと、
そのルーツはどこにあるのだろうと不思議に思います。
「うちは泣いたことないけー」という歌詞だったら、中森明菜じゃ歌えません。
「あんたら、飾りじゃないんよ涙は」と啖呵をきって極道の女たちになってしまいます、
せいぜいが『仁義なき戦い 広島死闘篇』といったところでしょうか。
「なめたらいかんぜよ」、これは高知ですが。