方言の日々

もう2月も半ばだというのに、2013年にまだなじめません。
いつからか現実の時間の流れと、
体内を流れる時間が乖離してしまっているようです。
都内を西に延びる中央線と京王線のように、
最終的にどちらも八王子あたりには着くけれど、
もう途中で交わることはないのかもしれません。

 

「私は泣いたことがない」という印象的な歌詞ではじまる名曲がありました。
女王のような気位の高さと
自分はここにいてもいいんだろうかという怯えた感じが絶妙に同居して、
奇跡のようなバランスを保っていた、
二十歳そこそこの美しい歌姫が歌っていました。
私はこの人のパフォーマンスが大好きでした。

 

あれから二十年以上過ぎた今、「私は毎週泣いています」。
日曜9時のTBSのドラマ『とんび』を見て。
妻(息子にとっては母)を亡くした父と息子の物語、
男児好きとしてはこの設定だけでごはん3杯はいけますが、
直木賞作家の重松清が原作のこのドラマの舞台は、広島県備後市。
架空の都市ですが、どう考えても私が育った瀬戸内海の町なのです。
そこかしこにはさまれる方言を聞いているだけで、
内容以上にぐっと迫るものがあるわけです。

 

帰省して友だちに会って喋っていると、
なぜか必要以上に泥臭い方言になってしまうことがあります。
「もう食べばーしょーたけえ、ぼれーこえてしもうたが」
「じゃけえゆうたが、ちーたーうごかんといけんよ」
「そんなんいたしいけえようせんわー」。
通訳すると
“食べてばっかりいたので、とても太ってしまいました”
“だから言ったでしょう。少しはからだを動かしなさいよ”
“そんなこと難しくてできないです”、とまあ、こんな感じ。
一方、傍らにいた友だちの子どもたちはWiiで『太鼓の達人』をやりながら、
「むずいー」だの「やばいー」だの言っていました。東京と同じです。
地方の駅前や幹線道路沿いにあるテナントがどんどん似てきているのと同じです。

 

正月休みにラジオで
ダウンタウンの浜田雅功と息子のハマ・オカモトの対談を聴きました。
それまで公式には親子だと発表していなかった二人の
初めてのプライベートトークはとても興味深く、
お互いのちょっと引いた感じとか照れた感じも新鮮なものでした。
そして思ったのは、浜ちゃん、昔より大阪弁がキツくなってる…。
標準語を話す息子とのギャップもあったのかもしれませんが、
年をとるとあまりかっこつけたりしなくてもよくなるのでしょう。

 

ちなみに私の高校の頃の一人称は「うち」でした。
「うちがするわー」=私がします、です。
今の10代の女子たちが「うちらはー、浦和でー」と言っているのを聞くと、
そのルーツはどこにあるのだろうと不思議に思います。
「うちは泣いたことないけー」という歌詞だったら、中森明菜じゃ歌えません。
「あんたら、飾りじゃないんよ涙は」と啖呵をきって極道の女たちになってしまいます、
せいぜいが『仁義なき戦い 広島死闘篇』といったところでしょうか。
「なめたらいかんぜよ」、これは高知ですが。