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たまごの日々
2月は「逃げる」、あっという間に逃げられてしまいました。
3月は「去る」、気がついたら去っていると思います。
三寒四温の陽気になり、冬から春へ、
季節の変わり目は体調管理に気をつけろ、なんてことが言われますが
年齢を重ねると確実にその言葉の意味を実感します。
某滋養強壮剤のCMで“しっかり寝たはずなのに、カラダがだる重ー”
と訴えていますが、ずばりターゲット世代の自分としては、
あれは実感をともなったよいコピー。
しかし、どんなにだる重であろうとも、ちょっと顔をしかめたぐらいで
基本は生活感のあまりない爽やか美人のまま。
吉瀬美智子でなければ効かないのではないか、と、
いらぬ不安を抱かせます。
SEIYUのCMに出てくる主婦のような、
リアリティのあるキャスティングのバージョンも見たい気がします。そんなただでさえだる重な季節の変わり目に、左下の親知らずを抜きました。
そしてそれを少し後悔しています。
ふとした痛みから、10年以上ぶりに歯医者に通うことになり、
成り行きで「じゃあ、抜いときましょうか」ということに。
当日は夕方遅めに抜歯を行い、念のため翌日は有休をとりました。
正直、翌日は平日休みを有効活用すべく、
映画でも観に行くか、なんてのんきに考えていましたが、甘かった。抜歯が終わった時点で戦闘能力はみるみる失われ、ほうほうの体で帰宅。
麻酔が切れてきた時点でほぼ0に。
口の中はうがうがと気持ち悪いし、ずきずきと鈍い痛みで眠れない。
痛み止めを投入しながら、ただ嵐が去るのを待つのみ。
もちろん食事なんてできません。
もっと若いうちにやっておけばよかったとか、
そもそも親知らずってなんなのよ、抜かなきゃいけなかったの、
と後悔しながら、朝を迎えました。
もちろん、遊びに行こうというコンディションでもなく、
しかし悲しいかな腹は減っていたのでした。痛みと空腹を天秤にかけて、
たどりついた食事は「たまごかけごはん」でした。
歯の痛みに関わらず、
わたしはこのメニュー(というほどの食べ物ではありませんが)が大好きです。
炊きたての白米があると、きちんとしたおかずがあっても、
どうしても割りたくなってしまう。
醤油をたらしてよくかきまぜてまわしかけて、
それで一膳食べたくなってしまう。そして食べ過ぎてしまう。
なんなら今日の朝食もそうでした。ところで“卵と玉子”は使い分け方があるようです。
一説によると、
“卵”は生物として、子孫を残して孵化して育つことを前提としたもの、
“玉子”は食材として調理されたもの(特に鳥類)、ということらしいです。
ざっくり言うと、鮭の卵と玉子焼き、さらには卵かけごはんと玉子とじ、
ということになるでしょうか。
「ロッキー」でスタローンが試合前に飲んだのは生卵、
これはいわゆる滋養強壮のためで、
いま吉瀬美智子がアリナミンを飲むのと同じ事なんですね。違いますか。
そして4月に入社してくる新人は金の卵なんですね。違いませんように。 -
おでんの日々
このブログを書いているのは1月30日。
東京には今年初めてのまとまった雪が降り、
前日からテレビやネットのニュースでは
「明日の朝には降雪が予想されるので、電車の遅延や道路の凍結などに
十分ご注意を。時間に余裕を持ってお出かけください」との報道。
もちろん朝になっても、アナウンサーやレポーターが
「ただいまの新橋駅前は朝方から降っていた雪がみぞれに変わり、
通勤の方の足元を濡らしています。みなさん、足早に会社へ向かっています」と。
雪に弱い都心、の報道は冬の風物詩みたいなもんです。
坂道で滑るサラリーマン、ストッキングにパンプスで寒そうなOLの足元、
凍った路面にタイヤがはまって動けない宅配ピザのバイク、
幼児がつくった雪だるまやかまくら、
この辺の映像は毎年使い回しで何年もいけると思います。雪国の方にしてみれば、赤子の手をひねるような積雪、
あれぐらいで電車が止まったり、滑って転んだりなんて、
ちゃんちゃらおかしいと思われることでしょう。
しかし、西の方で育った人間としては、
やはり雪を見るとうれしくなりテンションがあがります。綺麗だなあと思います。
その日が休みであれば、1日中家に引きこもって、
降り積もる雪を窓からぼーっと眺めていたい。
そしてついでに何かあたたかい食べ物を煮込んだりしてみたい。そうです、実は先日この年になってはじめて、
きちんとした「おでん」をつくりました。
結論から言うと、その仕込みは思ったよりずっと面倒でした。
牛すじのアクをとり細かく切って串に差し、
大根を下ゆでし、ゆで玉子をいくつもつくり、じゃがいもの皮をむき、
ごぼう天や竹輪などの練り物に湯通しをし、こんにゃくの下ごしらえをし、と、
本体を煮込む前の段階で、鍋がいくつもいるのです。
そんな行程に深く考えが及びませんでした。
しかし材料を用意してしまった手前、途中で投げ出すわけにはいかない。
レパートリー的にも他のメニューに応用がきかない。子どもの頃、晩ご飯のおかずがおでんだった時に急降下したテンション。
その日はたまたま降った雪に大喜びで遊んで、
おなかをすかせて帰った夕餉だったかもしれません。
「今日はおかずがないからご飯が食べられない」と母に文句を言ったら、
父から「いやなら食べなくていーい」と猛烈に怒られました。
子どもにはまったく華のないおかずでした、おでん。
しかし本当にすいませんでした、お父さん、お母さん。
おでん作るのめんどくさいわ、大変だわ。
この年になってよくわかりました。
そしてきちんと作ったおでんはとてもあたたかく、しみじみとおいしいものでした。
ごはんのおかずにも十分でした。
というか、別に白米なんて食べなくても十分満たされました。そういうことです。年をとるとわかることがいろいろあるんです。
ちょっとした答え合わせができることがあるんです。
最近、生まれてはじめて自分で「干し柿」を買いました。
もちろん食べたことはありましたが、
それは自分でお金を出してまで買うものではありませんでした。
そしてあまりおいしいとも思ってなかった。
しかしこの冬、八百屋の店先でそれを見つけた時に、
ああ、今この干し柿が食べたい、と強く思ったのでした。
干し柿、は何の答えなんでしょうか。
やっぱり老化、ですかね。酵素が足りない。ドラゲナイ。
セカオワのみなさんもいつか、おでんや干し柿を食べながら
あの頃は若かったなあ、なんて思いだすんでしょうかね。 -
年末年始の日々
新年あけましておめでとうございます。
2015年、平成27年になってしまいました。
「平成生まれか、すげー」と言われていた最初の頃の人も、もう27歳。
立派なアラサーです。月日は百代の過客です。行き交う年もまた旅人です。
あっという間に年をとることを肝に銘じておいた方がいいです。
どんどん奥の細道に入っていきますから。行き交う年のはじめに、往路復路行き交う箱根駅伝を見ました。
今は亡き父が毎年楽しみにしていた箱根駅伝、
正直これまではあまり興味がありませんでした。別に見なくてもよかった。
ただ走ってるだけじゃん、何がおもしろいのかまったくわからん、
と思っていました。
しかし、息子のような年頃の若者のひたむきに走る姿に胸が熱くなるとは、
やはり年をとったのでしょうか。
ぶっちぎりの青山学院大学、初優勝おめでとうございます。
一番の話題になった神野大地くん、四字熟語のようなその名前。
区間賞を獲るために、山の神の称号を得るために名付けられたようで、
出来過ぎなくらいです。
走り終えた後も悲壮感などなく、飄々とインタビューに答える姿を見ていると、
新世代の到来を強く感じさせられました。
ググったらTwitterのアカウントを見つけたので思わずフォロー。
そんなにわかファンがごまんといるようで、
フォロワーが2万人を越えていました。
駅伝前は何人だったのか知りたいです。わたしが学生の頃は、渋谷にある、そこそこ偏差値もよくて、おしゃれで、
でもチャラくて、まあ要するにわたしのような田舎者があこがれる、
なんとなく、クリスタルな大学だったわけですよ、青学は。
その軟派で垢抜けた印象に加えて、
真逆ともいえる体育会系の称号まで得てしまったら、もう無敵でしょう。
今年の受験の倍率は上がりますね、きっと。
少子化で学校の経営難なども取り沙汰される昨今、
格好のプレゼンテーションでもあったと思います。
ついでにOBである桑田佳祐が陸上部の応援歌かなんかつくれば、
尚いいと思います。うらやましい。桑田佳祐と言えば、年末の紅白歌合戦で、サザンオールスターズが歌った
「ピースとハイライト」の歌詞やそのパフォーマンスが
どうのこうの言われていますが、
長いことファンをやっている立場から言わせてもらえば、
何を今さらという気もします。もう一昨年の曲だし、桑田だし、サザンだし。そんなことよりも、中森明菜です。
全盛期の彼女を知らないお若い方々に、
友近の物まねが本物だったということを印象づけただけではありません。
ダイスケ的にもオールオッケーでおなじみの浅倉大介作曲の
謎の新曲をニューヨークから生中継。
なんとなく薄暗い画面、
見ているこっちまで喉がからからになるような緊張感の中の歌唱。
歌い終わってちょっとはにかむところまでセットで、中森明菜。
しかも紅組のトリは松田聖子で、
オープニングでは生まれ変わったら一緒になるはずの
郷ひろみもNHKホールの同じステージにいました。
その娘の神田沙也加も明菜と同じくニューヨークからの中継。
ニューヨークと言えば、その昔、
松田聖子と近藤真彦が密会していたところを写真週刊誌に撮られた場所。
そして明菜とマッチと言えば、
その昔、紅白の裏にあの記者会見をぶつけてきた、
泥くさい恋愛沙汰のカップル…、
そんな80年代的因縁のドラマが満ち満ちていたわけです、去年の大晦日。
そりゃあ4時間越えても全部見るっていうもんです。
紅白、完走です。自分的には駅伝でした。よくわかりませんが。新年早々熱くなってしまいましたが、
こんな感じで今年もよろしくお願いします。
おやかましゅうございました。 -
イケメンの日々
「暦の上ではディセンバー」が流行ったのが1年以上前なんて、
嘘でしょう。
「ごめんね青春!」さえも終わってしまうなんて、嘘でしょう。
もう本当に12月なんて、嘘でしょう。
激しい運動なんてしていない、ただ寝て起きただけなのに、
からだじゅうが痛いなんて、嘘でしょう。
昨日、サイフに3万入ってたのに、
もう千円札しか残ってないなんて、嘘でしょう。そして世間の妙齢の女性たちは、
西島秀俊に続いて、向井理まで結婚を発表するなんて、嘘でしょう。
と、叫んだのでしょうか。この年の瀬に。
偶然でしょうが、ふたりとも最近露出度が高くよくCMで見かけました。
方や、
専業主夫として洗剤や家電を使っていたり、
コンビニのスイーツを勧めていたり、
小さな子どもをそそのかしてインスタントラーメンを食べたがっていたり。
方や、吹き出物などないすっきりとした顔を洗顔料で洗っていたり、
「やってみ!」と上から目線でレシピを披露していたかと思えば、
やさしく後輩社員に風邪薬を渡していたり。
あらゆるシーンで、アップになって私たちに何かを問いかけています。
サブリミナルです。
私たちの潜在意識の中に、イケメンとしてどんどん刷り込まれていったのです。そしてそんなタイミングでの結婚発表。
グラスの水が表面張力であふれ出すように、
「あー、イケメンが立て続けに結婚してしまった。
一般人の彼女も、国仲涼子もうらやまし過ぎる。あー」
という声が普段より大きくあふれ出てしまったのでしょう。しかし、心から彼らの結婚を嘆いているという、
真のファンは少なくとも私のまわりでは見かけませんでした。
そう、西島・向井は
「クラスで誰が好き?」と告白し合う修学旅行の夜、
どうしてもクラスにタイプの異性がいなくて、
でも順番が回ってきた時の無難回答、最大公約数的イケメンです。
本当は荒川良々やバナナマン日村が好きなのに。
こんな事を言ったら、
ヘンな人だと思われてしまうんじゃないかしら対策のためのイケメンです。
そしてヘンな人だと思われてもかまわない、
何ならちょっとそう思われたいタイプ用のイケメンが星野源です。
どうでもいいですね。師走です。
もうこの際だから、福山雅治とか、竹野内豊とか、加瀬亮とか
そこら辺の大物独身たちも全部結婚してしまえばいのに、総選挙だし。
何の関係もないですが。
昭和のイケメン、高倉健と菅原文太も相次いで亡くなりました。
いっしょにしては何ですが、イケメンが遠くに行ってしまった年の瀬です。ちなみに私が嘘でしょう、と叫んだ最近の結婚発表は玉置浩二と青田典子です。
といっても、もう4年も前のことですが。
いや、本当に月日のたつのは早いものですね。
今年もお世話になりました。
よいお年をお迎えください。 -
野球の日々
2ヶ月綴りのカレンダーだと、最後の1枚になってしまいました2014年。
今が2013年だと言われても信じるし、
2015年だと言われてもそう思ってしまうかも。
もう自分の年齢もわかりません。わからないことにします。そんなあわただしい年の瀬に、ゆづに大変な出来事が。
事の次第、怪我の状況はともかく、
今回のアクシデントで彼の王子さま感はいやますというもの。
フィギュアスケートの少女マンガ感がいやますというもの。
しかし、実力よりも悲劇のヒーローとしての側面ばかりがクローズアップされると
きっとアスリートとしてはマイナスになるんだろうなあ、と何だか
醒めてしまっている自分。勝手なもんですが。とはいえ、話は前後しますが、ホークスファンのみなさん、おめでとうございます。
3年ぶり16度目の日本一だそうで、
現役だった西武時代にバック転をしながらホームインしたあの秋山が
退任かー、とちょっとした感慨に包まれます。
秋山、清原、デストラーデ、がいた頃の西武を知っている世代としては、
清原がいろいろと残念なことになっているのが気がかりです。80年代中盤から90年代初頭にかけては、
西武ライオンズや西武百貨店の黄金時代でした。
ちょうどその頃わたしも20代で、
それはある意味人生の黄金時代、とも言えるでしょう。
西武池袋線沿線に友だちも多く、
いつもその辺りをうろうろと遊び回っていました。
西武百貨店の広告にあこがれ、パルコで買い物をし、
休日は西武球場にライブを見に行き、
街のあちこちで流れていた
松崎しげるの歌う当時の応援歌を自然に覚えていました。
西武鉄道グループと西武流通グループ(のちのセゾングループ)のつくった
レールやダイヤモンドの上で生きていたのです。
好むと好まざるとに関わらず、
「西武」的なものの影響なしには現在の自分を語れません。2014年現在はセパ両リーグとも、正式な球団名さえおぼつかないものの、
80年代から90年代の記憶は確かです。
年をとるということはそういうことで、
未来より過去の方が長いんだからしょうがないです。
みなさんもいつかわかります。いつか昔話ばかりするようになります。この夏に初めて甲子園球場で夏の高校野球を観戦しました。
遠い昔に巨人-阪神戦を観たことはありますが、
高校野球ははじめての体験。
テレビで見るよりも、応援団って意外と人数少ないんだな、とか
名物のカチワリは本当にビニール袋に入った氷に
ストローを差しただけなんだな、とか、
ツタのからまる外壁は綺麗にリニューアルされていて、
なんだか風情がないなとか、
現場を訪れてみて初めてわかった発見もいろいろです。その昔、自分が何歳だろうと高校球児が年上に見えていたことがありました。
自分よりちゃんとしている人たちが大人に見える、
あの感覚は何なんでしょうか。
さすがに今はそんなことは思いません。
球児たちの親はもちろん、監督だってだんだん年下です。
ホークスの監督も秋山の後任は工藤で、
やっぱり西武黄金時代を彷彿とさせます。
個人的には工藤が年下でないことが救いです。