炊く日々

あんなに暑い暑いと騒いでいたのに、
早く涼しくならないかと嘆いていたのに、
どうしたんでしょうか、この陽気は。
季節の移り変わりのグラフがあるとしたら、
その線がまったく滑らかでない、カクカクと急上昇&急降下。
残暑、という情緒もなく、あっという間に秋風。
しょうがないので、森山ざわわ直太朗の「夏の終わり」などを聴いて、
文字通りゆく夏を惜しんだりしているわけです。よい曲です。
もし、わたしが愛する玉置浩二の名跡を継ぐ必要があったら、
二代目にはこの人を推薦します。
ギター1本でその辺の空気を変えることができるミュージシャン、
彼らなら残暑を呼び戻せるでしょう。
いや、呼び戻す必要も、二代目を襲名する必要もないかもしれません。
まあ、暑すぎると文句を言っていたのに残暑が恋しいなんて、
人間なんて勝手なもんですが。

 

そんな夏の終わりに、この妙な気候のせいか、
調子が悪くなってしまった炊飯器を買い替えました。
家電を買い替えるのが久しぶりなこともあり、何となくうきうきと量販店へ。
しかし、ネットで下調べはしていたものの、
はっきりこれを買うと決めていた訳でもなく、
実物が並んでいるのを目の当たりにすると、
目移りするばかりで全然決まらない。

 

極め炊きだの、踊り炊きだの、炭火炊きだの、圧力がどうした、釜がどうした、
といった基本スペックにまず迷う。
その上パンも焼けるし、ケーキもつくれる、となると、
人生でパンなんか焼いたこともないのに、なぜかすてきな奥さん魂が目覚め、
焼きたてのパンが醸し出す幸福な朝食を妄想してみたり。
そしてもちろん、最新のスペックがついた8万円!ぐらいもする高級品から、
本日お持ち帰りの方に限る特別価格1万円まで、値段もさまざま。
色や形だって気になる。
売り場を行ったり来たりしながら、
ああでもないこうでもない、と夫婦で議論し、
一旦決めかけると、いや、待てよ、と主人は老眼鏡を取り出し、
置いてあったカタログを読み始めてまた振り出しに。
職業柄、さまざまな商品のカタログを作ったり、
細かいスペックの文字校正をしたりしてきたものの、
わたし自身はカタログの類いにあまり興味はないので、
正直「また、ここからカタログ見るの?マジで」と、その場を逃げ出し、
マッサージチェア売り場で身を委ねていたり。

 

でも結局、うまいメシが炊けて、タイマーが付いていればいい、という
当たり前といえば当たり前の結論に達し、
3万円ぐらいのほどほどの値段のなぜか真っ赤な炊飯器を購入したのでした。
通話ができて、メールが送れればいいんだ、といってガラケーを握りしめる、
お年寄りと似ていますね。
もう面倒なことはどうでもいい、最低限の機能だけでいい、
わたしたちがお年寄りになってきたのでしょうか。

 

もちろん新しい炊飯器で炊く白米はふっくらととても美味しく、
はしりの秋刀魚をたっぷりの大根おろしでいただくと、
まあ、食欲の秋だしね、と、ついおかわりをしてしまったりするわけです。
そして食後にはなぜかついでに買ってしまった
安物の首用マッサージ機をぐりぐりと動かしながら、
玉置浩二や森山直太朗を聴いたりしているわけです。
要するに、食事がうまければそれでいい、
生きて行くんだそれでいいんだ、ってことですね。
残暑を呼び戻したい気持ちは何処へ。