広島の日々

読み方はともかく、わしらの若い頃はのう、錦織と言えば、「少年隊」じゃった。
トゥナイアイアイアイアイアイディア♪と、歌い踊る3人の若者が、
全日本の少女たちを熱狂させておったもんじゃ。
それが今や、全米、全世界へ。
テニスの四大大会、全米オープンの決勝のセンターコートに立てるとは。
あっぱれな、準優勝じゃ。長生きはするもんじゃのう。

 

いや、錦織圭選手、おめでとうございます。

 

ともかく。
8月20日の未明、広島市北部に観測史上最多の雨が降り、
未曾有の土砂災害が起こった時、わたしもちょうど同じ県内に帰省中でした。
しかしその夜、わたしの実家がある広島県東部ではまったく雨も降らず、
久しぶりに会った同級生と気持ちよく飲んで家に帰り、
畳の部屋で布団も敷かずに寝落ちしていました。
そして翌日、目覚めてからのニュースやワイドショーで、
報道を目にすることになるわけですが、正直まだその朝は
「へー、大雨降ったんだ。こっちは降らなかったのにねー。大変だねー」
ってなもんで、ぼんやりとテレビを眺めていました。
それからどんどん被害が明らかになるに連れ、
聞き慣れた広島弁でインタビューに答えている現地の方々を見るに連れ、
ただただ胸が痛むばかりです。
亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りいたします。

 

3.11を区切りにするのも乱暴かもしれませんが、ここ数年で、
日本中で、世界中で、確実に自然災害は増えています。
そしてそのために亡くなる方の数も。
実家で、「災害情報」という見出しとともに、
L字型に区切られたテレビ画面を見ながら、
これはまったく人ごとではないし、
これから先、自分はどういう死に方をするんだろうか、ということにまで
思いは巡りました。

 

去年の6月、広島の実家で一人暮らしをしていた父が亡くなりました。
それは本当に突然のことで、
わたしの携帯電話に見知らぬ番号からの着信があったのは、
出勤途中の赤坂見附での乗換時でした。
その番号は地元の市外局番から始まるもので、
もうその表示を見ただけで「朗報ではないな」、と確信したのを覚えています。
発信者は地元の警察でした。
父が亡くなっていた、と過去形で知らされました。

 

それから、
新幹線に飛び乗って、地元の警察に直行し、
電話をかけてきてくれた署員の方に、
父の暮らしぶりをはじめとするさまざまなことを聞かれ、
テレビドラマなどでしか見たことのない霊安室で、父と対面しました。
そして葬儀屋との折衝、父が遺した携帯電話を便りに関係者への連絡、
喪主、通夜、告別式、火葬…。
すべてが本当に慌ただしく過ぎていき、よく言われる「悲しむ暇もない」、
という体験をしました。
だって、亡くなったとされる日の2日前、
電話で話した時には元気だったんですから。

 

一周忌の法事を兼ねたお盆休みに帰省した広島で、
人の生き死にについて考えました。今年の夏休みのことでした。