• おじいちゃん子な回

    オリンピックやってら。
    くらいのヅカオタなビューティーですが、
    いえいえ見てましたよ、見てましたともゴンザレス(体操男子)をね!
    ニューエン(体操男子)もね!ぜったい2丁目でモテますよね!

    みんな大好きうっちーもね!個人総合金メダルさすがですよね!

    しかーしっ先週のトップニュースはコレだ!どどーん!!

     

    次期雪組トップスターに、花組の壮一帆就任決定!!!!!!!!!!!

     

    これ、わかりますよね?どんな意味なのか?
    ・・・わかりますよね?(真顔で2回目)

     

    トップスター、たった一人の、組をしょって立つ男役、
    組の頂点であり、唯一無二の存在。
    そのトップスターに、それも雪組のトップに、
    男役研17年目、花組二番手の壮一帆が晴れて就任するのです。

     

    年末12月24日まで花組に籍を置き、12月25日付で雪組へ組替え、
    と同時に、トップスターに就任。相手役には雪組の愛加あゆ(91期)を迎えます。

     

    壮一帆は、花組で、同期のトップスター蘭寿とむと双璧をなしてきた二番手。
    前トップ真飛聖の時代から2番手として花組を支えてきました。
    花組は5組のなかでもSHOWAもとい大人な組(笑)。
    その中でも、実力派で、人を魅了する歌唱、男役としてのプライド、
    たしかな役者魂を持ち、二人といない“ドSな”二番手スターでした。
    そんな彼女が二番手という長く強かった鎖を解き、花組を離れ、トップスターとして降臨する。

     

    ちょっと・・・トイレで泣いてきていいですか。

     

    はい、戻ってきました。いまだ興奮さめやらぬですはい。
    昨今、若返りの傾向にあった宝塚を疑問視するファンが多かったなか、これはまさに英断。
    大人の男を演じられるスターがトップになる。
    現在のトップ娘役舞羽美海(93期)より上級生の娘役がトップ娘役になる・・・。

     

    酸いも甘いもかみ分けた男役、成熟した娘役こそが、
    観客の胸を熱くすることができるのでーすーかーらー!!!!!!!

     

    本当に・・・おめでとうございます!!!!!!!

     

    さて、真夏の盛り。
    わたしは祖父のことを思い出しています。

     

    わたしは子年で、父も子年で、祖父も子年でした。
    3代続けて干支が同じだと縁起がいいのよと聞きましたがうろ覚え。

     

    どんな人にとっても祖父がそうであるように、偉大な祖父でした。

     

    祖父は、わたしが物心ついたときはもう祖父で、
    「おじいちゃん」と呼んでいました。

     

    おじいちゃんの家は、わたしの家から歩いて2分くらいのご近所さん。
    わたしはかぎっ子だったので、
    学校から帰っていく場所は「おじいちゃんち」でした。

     

    おじいちゃんちは、平屋で、狭い廊下を奥へすすんでいくと、不思議な部屋がありました。
    そこは、おじいちゃんの孫、わたしのいとこ3人兄弟の部屋で、2段ベッドがありました。
    その左奥につづく部屋は、なぜか30センチくらい地面が下がっていて、
    キュー台を思わせるような固い緑の床に、革張りのソファーが置かれていて
    まるでどこかの「組」の応接間を思わせるような部屋でした。

     

    そこでは、しっとりしとした革張りのソファーが、
    次の指令を待つ寡黙なやくざ者たちのように押し黙って並んでいて、
    そこだけ空気が冷え冷えとしていた。

     

    真夏のある日、いとこの兄に「部屋行ってあれ取ってこい」と
    パシリに使われたときも、兄たちの2段ベッドがある日向の部屋は暑くて
    そこにいるだけでもじっとりと汗が噴き出してくるほどなのに、
    その「組部屋」からは濃密な静けさが流れてきて、
    冷房をつけていないのに汗が冷たく感じました。

     

    それは、今思えば、子供が踏み込んではいけない空間だったのでしょう。
    わたしはその部屋から流れてくる冷やかな空気に気圧され、
    「立ち入り禁止」という思いを強く抱きました。
    もちろん、銃があるとか、日本刀があるとか、
    ホンモノの方が身を隠してらっしゃるとかそういうことではなく、
    子供が間違って越境してはいけない異空間、その表象としての部屋でした。

     

    そこは見知らぬ部屋であり、自分がいとこであっても
    この家にとっては「他人」であること思い出させる、拒絶される場所でした。
    書いているうちに少しだけ、記憶のなかのその部屋にかかった薄いもやが晴れてきました。
    もやの中、よく目を凝らしてたどってみると、応接間のような部屋のさらに奥はまた地面が上がって、
    3つ目の部屋が現れたのです。
    そこは、いとこたちの両親の寝室でした。

     

    寝室は、他人の家においてもっとも「ためらわれる」場所。
    見てはいけないと思わせる場所です。
    その時わたしは、恐らくカーテンやシーツの白さくらいしか目にしてはいないはずです。
    それでも、記憶のやわらかな手は、わたしのまぶたを優しく閉じて、
    それ以上何も覚えさせないようにしました。
    だから、応接間の緑色の床のザラザラとした手触りや、
    ハゲかかって見えてしまっている床板の色だけを、生々しく思い出します。

     

    ところ変わって、居間。
    居間には掘りごたつがあり、わたしはよく掘りごたつの中にいました。
    文字通り、頭まで、すっぽり入ってしまっていました。
    掘りごたつの中では、炭が真っ赤に熱くなっていて燃えていて、顔がほてりました。
    おじいちゃんに「のぼせるぞ」とお風呂のような言葉をかけられ、
    頭だけ出して、冷たい外気にあたったときの気持ち良さが好きでした。

     

    わたしが一番好きだった場所、それはおじいちゃんの部屋。
    つまり、押入れです。

     

    そこはおじいちゃんの匂いしかしなくて、
    もう何十年も使い込まれた布団が敷き詰められ、
    くたくたになった掛布団があり、
    所狭しと物が並んでいて、
    古びた写真と手紙があり、
    よくわからない人形が飾られ、
    おじいちゃんインワンダーランド!でした。

     

    すべてがおじいちゃんで、おじいちゃんそのもので、
    その部屋にいると守られている気分でした。

     

    おじいちゃんは明治生まれで、戦争を生きてきたので、
    タフで、骨が本当に太くて、ゴツゴツしていて、かっこよかった。

     

    おじいちゃんが荼毘に付されたとき、
    真っ白な、美しくて、大きくて、強靭な骨を見て、
    場違いにも、感動に似た感覚を覚えました。
    とても悲しかったしつらかったけど、
    おじいちゃんの生きてきた時間、骨が記憶しているすべてが立派だったんだと、
    その美しい骨が証明していた。

     

    わたしは、おじいちゃんにくすぐってもらうのが好きでした。
    子供は優しいおじいちゃんに変なことをさせたがるものです。
    おじいちゃんの乾いた手のひら、分厚くてごろっとした太い指で、
    腕や足をこちょこちょされるのが嬉しくて、楽しくて、
    いつもいつもおじいちゃんに「くすぐって」と言っていました。

     

    迷惑な小学生です。

     

    わたしはおじいちゃんに、字をほめられたことがあります。
    母から「あなたの字がきれいだって言っていた」と聞きました。

     

    どちらかと言えばわたしの字は、
    字の中が、散らかっている台所のように窮屈だったり、
    反発し合って手が離れてしまった空中ブランコの曲芸師みたいに、
    どことなく「とめ」や「払い」同士がよそよそしくて、特に見た目が美しいわけでもなかった。
    それでも、おじいちゃんがきれいだと言ってくれて嬉しくて、
    自分の字が誇らしく思えたものでした。

     

    おじいちゃんの夢はあまり見ません。

     

    でも、おじいちゃんにくすぐってもらった感覚とか、
    入れ歯を浮かべていたコップの水のぬるさとか、
    おじいちゃんプレゼンツ「食パンの砂糖つけ(超絶美味しい)」とか、
    看板を作っていた作業場の木屑のやわらかさとか、
    そこに現れたカマドウマの触覚の動きとか、
    すべての景色が、昨日のことのように、親密にそこにあります。

     

    遠くへ、手の届かない彼方へ旅立ってしまった人を思う。
    それも夏。

     

    それも夏です。

  • 母の母の回

    今月のビューティー的宝塚ニュース!

     

    舞羽美海退団発表・・・・・・!!!!!!

     

    ちょっとちょっとどうなってるんですかこれ。
    先月の更新で雪組トップ音月桂が退団を発表してから1ヶ月半。
    相手役のみみまでも!!!!!!

     

    なぜだー!!!!!!!なぜみんなやめてしまうんだあああああ

     

    今年中に月・宙・雪三組のトップコンビが退団。
    来年は99周年。再来年の100周年に向けて確実になにか始まってるよね。

     

    ひとつの時代が終わっていく。
    それを「退団」という節目に実感するのがヅカオタなわけです。
    だからもはや夏は暑いとか冬は寒いとかそんなの関係ない。
    劇場の中はいつも熱気にあふれてヅカオタの脳内は沸騰気味。

     

    先日、ジョン=カサヴェテスの『フェイシズ』という映画を観たんですが、
    ちっちゃい映画館でかかっていたせいもあるのか、客層があまりにも男性でカルチャーショック。
    っていうかトイレに男性の列ができていてカルチャーショック。

     

    宝塚に行き過ぎて感覚がマヒしてますね☆
    まぁ・・・カサヴェテスですからね。
    男性のみなさんに混じって乙女なわたしが観るわけですよ。

     

    わたしの目の前に座った某男性(仮にXとします)の体が大きくて
    その人の頭とスクリーンがかぶりそうでヒヤヒヤしていたところに、
    わたしの隣の席の某初老男性(仮にZとします)がずっと指先で
    ナイロンの鞄をこすってる音が聞こえていて、予告が終わってもずっとこすっていて、
    ・・・始まってるのに?映画もう始まってるのに?しかも大きく音が入るところで
    こする音も高鳴る、みたいな妙なコラボとかし始めるのヤメテーーーーと思っていたのもつかの間、
    前列のXの左隣の某長身ヒッピー系男性(仮にYとします)が、なぜか前のめりで鑑賞。
    映画で前のめりって意味がわからなくて、前のめると頭がかぶって
    真後ろのZ翁はさぞ迷惑だろうと内心してやったりと思っていたのですが、
    Z翁は鞄こすってるからあんまり迷惑そうじゃなさそうで目論見は外れました。
    しかし代わりに巨人Xがむしろ前のめりヒッピーYの行動を気にしはじめ、
    頻繁に「オレ気になって集中できないんだけどアピール」として
    座り直したりわざと足を投げ出したり姿勢をピーンとなおしたりするもんだから
    結果的に巨人Xの頭とスクリーンがおっかぶったわたしがいちばん見えにくくなり
    XYZ三人の様子とフェイシズの四方向に意識は分散しつつ集中していたので
    ものすごく疲れました。

     

    でもフェイシズは、とてもおもしろかった。

     

    最後のシーンに大階段が出てきて、非常に効果的に演出されているので
    宝塚が好きな人にはぜひ観てほしいです(笑)

     

    よく映画監督には「ミューズ」という存在がいますよね。
    撮りたい、描きたい、表現したいと思わせる女優、
    インスピレーションを与えてくれる女神。
    ジョン・カサヴェテスにとってのミューズはジーナ・ローランズ。奥さんです。

     

    壮壮!余談ですがいやむしろ本題ですが、
    わたしの母親はちょっとジーナ・ローランズを彷彿とさせるところがあり、
    映画を観ているときどうしても母親に見えてしまう瞬間が
    波のように寄せては引いてとても・・・他人事とは思えませんでした。

    わたしは母から母の母親の話を聞くのが好きです。

     

    最近は宝塚のことばっかりしゃべっているわたしたち母娘ですが、
    母の記憶のなかでは、母の母親もどうやら
    大昔の宝塚スターの誰かのプロマイドを持っていたらしく、
    それが元月組トップスターの内重のぼるさんではないないかと記憶を照合した母は、
    内重のぼるさん主演の退団公演『霧深きエルベのほとり』が観たいとわたしに言ってきて、
    そ、それはさすがにビデオはないんじゃないかなぁ・・・と控えめに申し出たのですが
    華麗にスルーされタカラジェンヌばりにキラッキラしたピュアアイズで「ね?」と念押しされたので、
    探しました。
    が、やはりビデオはなく、当時のパンフレットがあったのでそれをヤフオクで落札。

     

    当時、母の母親は、娘である母にこれが宝塚のスターさんよ、とも何も言わず、
    母にプロマイドを見せることもなかったので、
    もちろん母は宝塚へ連れて行ってもらうこともなかったようですが、
    時を経て、母の娘であるわたしが母を連れて東京宝塚劇場に行き、
    そこで初めて宝塚を観て二人で感動したということに、
    母の母親との不思議な縁を感じずにはいられませんでした。

     

    母の話の中にしか出てこない、母の母親。

     

    『霧深きエルベのほとり』のパンフレットを母とながめながら、
    A4サイズの内重のぼるさんが大きく微笑みかけてきて
    それがまるで、母の母親の笑顔のように思えて懐かしさすら感じました。

     

    当たり前のことなのに、母にも娘という時代があったのだと思い、
    なんだか信じられない気持ちになりました。
    生まれたときにはもう、母は母としてわたしの目の前にいたので。
    だから昔の母の写真を見るのはちょっとドキドキします。
    いつだったか、押入れから、母がなにかの折に表彰されたときの賞状がでてきて、
    それが旧姓だったので一瞬本気で驚きました。
    そのあと、会社の宴会芸を映した写真に
    鼻めがねをかけた若き日の父の姿があったので二度驚きました。

     

    母になる前の母は、いったいどんな感じだったのだろう。

     

    ひとつの情報として、
    母は陸上部で痩せていたと言い張っていますが今やムーミンママなので説得力なし☆
    ですがわたしもおでん君と言われているので、母のことは言えないです。

     

    キャラクター母娘・・・!

     

    そしてわたしが母と初めて観た宝塚の舞台、
    『誰がために鐘は鳴る』で主演されたトップコンビ大空祐飛さんと野々すみ花さんが、
    先日7月1日付けで宝塚を退団し、夢の世界から卒業していきました。

     

    人々のなかに記憶として時間を超えて残りつづける夢。
    夢はいつか覚めてしまうものですが、
    覚めるからこそ、そのかけがえのなさが人の心を揺さぶる。

     

    ラストデイ(東京公演千秋楽)で泣きすぎて目のあたりが重いまま
    現実の重力に引きずられて戻ってきましたが、
    しばらくは雨の中で放心していました。

     

    だから足取りが重苦しいのは、
    この間たこ焼きを食べすぎたせいでは全然ないんです☆

     

    まぁそのあとにロールケーキもペロッといただきましたがね!

  • “さっしー”あるいはあいまいな記憶の回

    フォオオオゥッッッ!!!!(蘭寿とむさんのかけ声)

     

    はい、華麗なるヅカオタのビューティーです!
    昨日6/5のいいとも!テレフォンショッキングに
    前花組トップスターの真飛聖さんが出演しましたってんだから
    もうお祭り騒ぎです今もなお。ハハハ。ハハハハ。
    いや~めっちゃ美人だった~ちょっとハスキーな声も☠ω&◎&▲#Ý☝$”~!!!!

     

    さてここで無関係に多忙極まるヅカオタの遠征計画の一部をご紹介!

     

    5月 梅田
    6月 一回休み
    7月 ムラ&梅田
    8月 ムラ
    9月 梅田&ムラ

     

    とまぁ、後半3か月連続で遠征しそうな勢い(笑)
    飛ぶ鳥を落とすような勢い。っていうか飛ぶ鳥も失神するくらいの勢い。
    勢い余って自己破産しないように気をつけます❤

     

    昔、小学校低学年のとき。
    クラス内に「さっしー」というあだ名の一人の少女がいました。

     

    小柄、というか体や顔のつくりがすべて小さくて、
    繊細なアンティークのお人形のようだったさっしー。
    フレームの細い眼鏡をかけていて、髪を三つ編みにしておさげにして、
    着心地のよさそうな服を着ていました。
    あまりにも着心地がよさそうだったので、わたしもそれ着たい!と思ったくらいです。

     

    さっしーの眼鏡姿がわたしはとても好きでしたが、
    眼鏡を外して、目を細めるときのなんとも言えないキュートな顔も最高でした。
    ブログで私的な公開告白をしてすみません(照)

     

    さっしーは、ある時期の分別のある早熟な女の子がそうであるように、
    女の子というより、大人の女性のようなしゃべり方をしていました。
    クラスメートの発言にツッコミをいれるときも「それはいいのか」だったし、
    「わからないわ」とも言っていました。
    また、相手を呼ぶときは必ず「○○君」「○○ちゃん」で、「あなた」も頻出しました。
    ね、ソフィスティケートでインテリジェンスでしょ?

     

    ある日、教室で経済の話になったとき、
    小学生低学年で経済の話をするなんて、なんて高次元な小学校なんざましょ。おほほほほ。
    さっしーが、「円高」と「円安」の違いを説明してくれたんです。
    モノを買うときの例を使って、明快かつシンプルに。

     

    その刹那、荒れ狂う大海を裂き行くべき道を示したモーセのように、
    おさげの少女さっしーは、迷い子たちを導く大賢者サーシに変貌。
    みんな、なにか神々しい奇跡を見るようなうっとり顔で説明を聞いていました。

    サーシはこともなげに説明を終え、
    また静かにもとの「さっしー」に戻っていきました。

     

    わたしは、さっしーと小中高大と一緒でした。
    え、ずっと一緒だったの?
    ええ、ずっと一緒でした。

     

    でもいちばん距離が近かったのは、小学生のときです。
    高校で1年間同じクラスにもなりましたが、
    わたしは部活で忙しく、心に潤いを欠いていたので
    きちんと旧交をあたためることもできませんでした。
    ああっあの頃のわたしばかっ!!!!

     

    それでも小学生の頃の憧れと尊敬は根強くわたしのなかにあり、
    あの小さな背中を見るたびに、
    言いようのない懐かしさを感じていました。

     

    さっしーは美術部の部長でした。
    高校生の時、文化祭のポスターが公募されましたが、
    2年連続でさっしーの画が選ばれた記憶があります。

     

    文化祭で美術部の展示を見に行ったときのこと。
    さっしーの画、とても大きかったね。(なぜかカタコト)

     

    画角、というのでしょうかタテヨコが大きくて、
    曼荼羅のように画面いっぱいに思想が鳴り響いていて、
    わたしはびっくりしました。
    同時に、あっけにとられました。
    さっしーがどんな本を読み、どんな音楽を聴いているのかは知るよしもないけど、
    どんなふうに世界を感じているか、
    見ているこちらの心の準備ができる前に戸惑うくらい鮮明に伝えようとしている画。
    強烈であざやかで色彩と主張にあふれた自我。

     

    バベルの塔の画もあったんですが、その画はなんだかとても落ち着かなくて、
    自分の中にある不安が増大していってしまうようで、長い時間見ていられませんでした。

     

    高校生なんて自我の塊です。
    わたしも部活の朝練のために始発の電車に乗って、
    車内で『人間失格』を読んでダウナーに一日を始めるくらいの
    女子高生失格な自我はもってました。
    でも、それを表現したいとはあまり思わなかった。
    まぁ画がへたっていうこともありますが。

    部活でガス抜きができていたので、
    それに激しい練習をやりながら
    「このチームももはや斜陽か・・・」なんて考えていたら、
    ボールを受け損なって突き指してアンパンマンの頭チェンジよろしく
    ボールが顔面に当たって痛いだけです。

     

    人づてに、高校を卒業したさっしーが
    わたしと同じ大学の経済学部に行ったと聞きました。
    「円高と円安の説明をしてくれた大賢者サーシ」が経済学部に・・・。

     

    そして卒業後何年かして、さっしーに会う機会がありました。
    彼女は身長はあまり変わらず外見は大人になり、
    口調はあいかわらずでしたが、幾分やわらかくなり、
    わたしがサルみたいに短髪だったのに髪を伸ばしていたので驚かれ、
    コンタクトにしていました。

     

    OH!!!!!!!!!!!!!!!!
    眼鏡じゃないさっしー!!!!!!!!!!!!
    新鮮!!!!!!!!!!

     

    っていうね。
    でも話すときにちょっと目を細めるクセは健在で、
    なんだか嬉しかったです。

     

    高校生の頃、
    もっとたくさんのことに、たくさんの感情を持っていたような気がします。
    それは「悲しい」「嬉しい」のように言葉にできるほどの明確さはなくて、
    絡まりあった糸くずみたいに、ただそこでもどかしく混乱していた。

     

    何から何まで気に入らなくて、授業もサボって、なにをするでもなく
    外の階段に座っていたり、でも掃除だけはまじめにやってみたり、
    意味もなく踊ってみたり。奇妙な退屈さと高揚感のある時間。

     

    あの頃からずっと、これをだれかが
    何台ものビデオカメラで全部撮ってくれていたらいいのに。
    あとから見たら絶対おもしろいのにと思っていました。
    でも、実際は見るに堪えないつまらない映像でしかないのかもしれません。

     

    同じ空間を生きていたのに決して交わらない
    個人的な記憶の波に揺られながら、、
    わたしたちは就いている仕事や、旦那さんや、ほかの同級生の話をする。

     

    さっしーとの距離は、縮まるでもなく、平行線のままで終わりました。

     

    そして今終わりに近づいてようやく気づいたんですが、
    わたしは、高校以前はさっしーを「ナホ」と呼んでいました。
    高校時代周りの子たちがみんな「さっしー」呼びだったので、
    わたしが「ナホ」と呼ぶと、は?という顔をされましたが、
    「ナホ」呼びするのはわたしぐらいだったので、少し自慢でした。

     

    でも、この文章を、
    「さっしー」と自分も呼んでいたものとしてずっと書いてきました。
    そのことに気づいて今、愕然としています。

     

    わたしが「ナホ」と呼んでいた時間は過去には絶対に存在するのに。
    今思い出さなければ、その時間は、置き去りのまま
    誰の訪問もない冷え冷えとした美術館のように、閉ざされていたことでしょう。

     

    円高と円安の説明をしてくれたのは、本当はさっしーではなく、「ナホ」なんです。
    サーシではなく、「ナーホ」だったのです。

     

    はっとして、外に出て、空を見上げて月を確認してみました。
    月は厚い雲に隠れて一つも見えません。

     

    わたしはいつの間にか、もう一つの世界に紛れ込んでしまったのかもしれない。
    最近、体重の増加がとまらないのもこれで納得がいくわ・・・。

     

    とりあえず、花組のDVD『復活/カノン』を観て、
    気持ちを落ち着けようと思います。

  • 春眠暁を覚えないので読書がいっこうにすすまない回

    眠い。春眠てなんてこんなに気持ちいいんだろう。
    でもそんな眠い目を覚ますハプニング発生!!!!!!!!

     

    雪組トップスター音月桂退団発表・・・!!!!!!!

     

    衝撃的過ぎた先々週の宝塚。

     

    入団したころから期待され、抜擢され続けてきた
    雪組の「御曹司」の早すぎる(とファンは感じる)退団発表がありました。

     

    トップ就任から丸2年での早期(とファンはやっぱり感じる)退団が決まり、
    公式発表があった日はわたしも自分のデスクで「・・・・・・青天の霹靂!!!!!!」と
    一人、天を仰ぎました。

     

    年内の12月24日東宝千秋楽付での退団なので、
    今年だけでトップスターが3人(月、宙、雪 ※月宙はトップコンビ)も卒業することになります。

     

    宝塚の5つの組には、それぞれ「組カラー」があります。
    現在は昔ほどじゃない、違いは薄まったと言われますが、
    わたしなんかは観てるとやっぱり違うな~と思う。
    トップスターの雰囲気や、その人の持ち味で組のカラーも変わってきます。
    SMAPと嵐とTOKIOと関ジャニ∞がそれぞれ違うように。

     

    雪組は、「日本物の雪組」と言われてきたそうです。
    日本物は、所作や言葉遣いなど、現代物や洋物とはまた違う難しさがあり、
    なにより高度な芝居の質を要求されます。
    日本物で観客を魅せられるかどうか、組の実力が問われます。
    逆に言えば、お芝居への信頼がある組に日本物が回ってくる・・・はずですよね!?
    まぁ、想像ですが。

     

    でもバリバリにキザる(カッコつける)外国人みたいな宝塚スターを予想して行って、
    ちょんまげ・・・!月代(さかやき)・・・!だったら、けっこう驚きますよね。
    だから、驚き→魅了へ転換するのは容易ではありません。

     

    そして雪組トップスター音月桂のサヨナラ公演は『JIN-仁-』。
    ・・・JINときたか!!そうきたか!!

     

    音月桂氏は、圧倒的な歌唱力、小気味良いお芝居、ダンス、スター性、
    思春期の少年のような独特な危うさを秘めている、魅力的なトップスターだと思います。
    音月桂サヨナラ公演、東京宝塚劇場では、2012年11月23日(金)~12月24日(月)です。

     

    ここまでちんぷんかんぷんの皆様、ご安心ください。
    月と宙の次期トップコンビは決定しています。

     

    先月これを書いていた時期には決まってなかったのに・・・!!!!!!
    時が経つのは早いものですね・・・。

     

    あとは雪の次期トップスターがどうなるのか。目が離せません。(5/7現在)
    はいっ!前置き終了!

     

    最近三島由紀夫の本を読んだのですが、
    その中の一節にひじょうに共感したので引用してみます。

     

    女の部屋は一度ノックすべきである。しかし二度ノックすべきじゃない。

    そうするくらいなら、むしろノックせずに、いきなりドアをあけたほうが上策なのである。
    女というものは、いたわられるのは大好きなくせに、顔色を窺われるのはきらうものだ。
    (『複雑な彼』)

     

    ・・・ちょっと、これすごい。
    二度目はノックじゃなくていきなりドアを開けろ、っていうところが秀逸よね。
    恋に奥手の男子諸君!(うちの社内にそんなピュアハートの持ち主がいるかどうかわかんないけど)
    そういうもんなんだぞ!
    どうしてわかるの、三島せんせーーーーい!!!!!!

    三島由紀夫の書く流麗な日本語がわたしはとても好きなんですが、
    特に、彼の描く「女」の姿が好き。
    彼が表現する「女」は、わたしから見ても本当によく描かれていて、ハッとさせられる。
    意味のあるしぐさや、行動や、想いを、美しい言葉でつづることができる。
    女がどういう心理で「複雑な彼」と向き合っているのか、
    時代の空気や趣はだいぶ違うけれど、三島由紀夫が書く女はいまでも鮮烈で、鮮明です。

     

    『複雑な彼』という物語自体は、エンターテイメントであり、生粋のメロドラマ。
    他作品に見られるような革命への衝動のようなものは、
    ちょっと屈折した形で控え目に登場していて、そこでは最終的に「女」は排除されます。
    「革命に女はいらない」と三島由紀夫に言われてるようで、
    結局「女」自体への興味はあっても、女のことを好きではなかったのかな~
    と思ってさびしくなっちゃう5月の今日この頃・・・。
    でもそんな怜悧な頭脳を持つからこそ、彼の「女をみる目」は確かだと思うんです。

     

    三島由紀夫と、ノーベル賞を獲ったときの川端康成の対談映像を某所で見たことがあります。
    インタビュアーというか司会は伊藤聖。自身も小説家であり、評論家です。
    動く川端康成キター!超レアー!とかいう反応しかでてこなくてすみません。
    ネット世代を代表して謝ります。

    テレビで放送されたもののようですが、川端康成は話の途中で葉巻を吸いだし、
    ノーベル賞を獲ったことは「まぐれみたいなもんでね」とかなんとか言って、
    かなりひょうひょうとしています。さすが文豪!ヒュー!
    大きな瞳がいたずらっ子のようにお茶目に輝いていて、
    三島由紀夫が、その横で川端康成を絶賛しているという貴重な映像。
    三島由紀夫は実に精悍な顔つきで、本当に頭がいい人、という感じです。
    「本当に頭がいい人」とか・・・ボキャ貧すぎて三島由紀夫大先生に
    夜な夜な枕元に立たれて叱責されそうです。

     

    あとこの映像のツボは、三島由紀夫がめちゃめちゃ川端康成LOVEなところ(笑)
    愛があるんですよね~いちいち。
    なるほど、それをニヤニヤしながら見るものなんですね、この動画は。
    了解っ!

     

    しかし三島由紀夫大先生もまさか自分と川端康成で「萌え」を感じる
    コピーライターの女がいるとは夢にも思ってなかったでしょうね☆

     

    少し前、お隣のAKM先輩に、三島由紀夫も通ったという鳥の店に連れて行ってもらい、
    唐揚げを堪能しましたが、それがねーめっちゃくちゃうまい。
    ランチにしてはちょっと高い、たしかに高い。それにご飯おかわりできない(150円くらいかかる)。

     

    でも・・・めちゃくちゃうまいんですぅ!!!!!!!!!!!
    あんなうまい唐揚げ食べたの初めて。あー思い出すだけで舌がうまい。
    先輩、ありがとうございます!!!!!!!!!!!!

     

    で、そこで唐揚げを食べてるときに、
    電車で会った「すごヤバな人」っていう話題になったところ、
    みんなけっこうヤバめの人に遭遇してました。
    リアル口裂け男女とかそれホラーです。

     

    わたしが遭ったのは、丸ノ内線車内で、
    「ペットボトルのお茶を垂れ流して手を洗う人」です☆

     

    いやー思いつかないよね、さすがにそこまでは。
    三島由紀夫でも思いつかないと思う。
    だから、すごいな!!っていう気持ちが先にきちゃいました。
    手に包帯を巻いていたような・・・遠い記憶。
    どうしても手が熱くて水分が必要だったのかもしれません。

     

    その人にしかわからない衝動があって、
    それはその人の罪ではないけれどそれが表に出た時、
    どうしようもなく“恐ろしいもの”にしかならない・・・。
    そんなことを、とくとく車内を流れていくお茶の川を見ながら
    考えたりはできなくて、ただただ、あ然としてました。

     

    ああいう時、身体が硬くなっちゃうんですよね。
    だいたいすごヤバな人の周りはぽっかり空いています。
    人が離れていく度に、無人の輪が広がっていって、無言の結界が広がっていく。
    その結界内に足を踏み入れると、「ヤバい」感じがする。

     

    すごヤバな人は、異様な存在感で空気を支配してしまう。
    わたしが遭った人は女性でした。

     

    でも、もしかしたらこの世界はパラレルワールドで、
    彼女がごくごくふつうに存在できる世界が、もう一つあるのかもしれない。

     

    そこでは車内にお茶が備え付けられていて、
    だれでも、いつでも、お茶で手を洗っていいし、垂れ流していいし、
    むしろ「乗車したらまずお茶で手を洗いましょう」という標語が掲げられ、
    すべてうまい具合に成り立っているのかもしれない。

     

    そんな、アナザーワールドへ導いてくれる人だったことは確かです。

     

    ただ、できれば小説の中で出会うほうが・・・心の準備はしやすいのですが。

  • そしてネクタイだけが残った回

    新人のみなさん、入社おめでとうございます。
    フレッシュな風が吹いている会社っていいですね。

     

    わたしの愛する宝塚でいえば、
    今年宝塚音楽学校に入学した100期生と同期だね!
    みんなスターめざしてがんばるのよっ!

     

    この春わたしがもっとも涙した事件それは、

     

    あっちゃん卒業!!!!!!!!!!!

     

    あ、でも前田敦子(AKB)ではなく
    宝塚歌劇団花組のあっちゃんこと月野姫花(つきのひめか)さんのことです、はい。
    ひめかも3月18日の花組公演千秋楽をもって宝塚を卒業していきました・・・涙。
    わたしにとってはだから、衝撃度としては完全に、

     

    ひめかの退団発表>>>>>>>>>あっちゃんの卒業発表

     

    でした。ああせつない。いま思い出してもせつない。
    前田のあっちゃんより宝塚のあっちゃんのほうがその後が気になります。
    前田のあっちゃんはきっと、うまくやっていくでしょう。

    しかし、宝塚の生徒はいつかは舞台からいなくなってしまう。
    みな「卒業」という宿命とともにあります。
    それは必ずおとずれる、ファンにとっての試練。
    一般的には、次回公演の稽古初日(集合日と言います)に、その公演での退団者が発表されます。
    ファンはこの退団発表を目の前にして泣き崩れ、魂の抜け出た状態に陥るわけですね。
    だから、そんなわたしを見かけたら、そっと魂を元に戻してあげてください。

     

    トップスターともなると退団公演の半年前には発表されます。

     

    トップスターの退団・・・!

     

    それは組の頂点に立つ者が代わり、組の体制が変わる一大ムーブメント。
    その組をあらたに担っていく後継者はだれになるのか?
    相手役はだれになるのか?
    トップスターの退団発表と同時に次期トップスターやその相手役が発表されるわけではないんです。
    だからやきもきするの。。。

     

    今年、宝塚では、二組のトップスターが、それもコンビで退団します。
    月組のトップスター霧矢大夢とトップ娘役蒼乃夕妃。
    宙組のトップスター大空祐飛とトップ娘役野々すみ花。
    月組の次期トップスターは既に発表済みですが、宙組はまだなんです。(4/5現在)
    ただね~月組の次期トップスター発表もなんというか一筋縄ではいかなくてね~
    ファンの間では大変だったんです。
    ほんとファンは忙しいぜ(気持ちの整理が)。
    宙組はどうなるのでしょうか・・・。

     

    宝塚は来る2014年に100周年を迎えます。
    今年以降トップに就任すると、おそらくは・・・
    栄光ある100周年時のトップスターとして後世に語り継がれることに・・・

     

    なるのです!!!!!
    ふるえが止まらないよね!!!!!!

     

    というわけで、前置き終了。
    春と言えば卒業シーズン。言い尽されてるけど卒業シーズン。

     

    きっと忘れない この場所で 生きてゆく 今日から
    優しさと勇気をくれた人
    愛が芽生えたJULY 最初のKISS 仲直りした夜
    本当に愛してた

     

    ・・・はい!ご明察!SPPED(my grduation)です!
    ご明察!って、日常では絶対使わないけど使えたらいいなってひそかに思って心にしたためてるワードトップ10に入りますよね。

     

    壮壮!この間、夜の銀座を歩いていたら、
    車道に停めてあった車から出てきた女の人が、誰かを見つけて、

     

    「ここで会ったが百年目ーっ!」

     

    って言ったんです。
    ここで会ったが百年目って、日常では絶対使わないけど使えたらいいなってひそかに思って心にしたためてるワードトップ10に入りますよね。(二回目)

     

    いやーよかったなぁ。なんだか、とてもよかった。
    言うタイミングも、声の大きさも、友達のリアクションも(あーとかわーとかきゃーとか)、
    なにもかもよかった。すばらしかった。

     

    おっと話題は卒業でした。
    小学校、中学校、高校、大学と、自身は四回の卒業式を経てきたわけですが、
    小~高は先輩たちの卒業式にも列席しているので、もはや毎年卒業式。

     

    卒業式のなにが億劫かって、予行練習ね。
    あれはね~だいたい眠いでしょ。体育館寒いし。
    お辞儀とか何っっっ回もやらさられるし、やり直しさせられるし。

     

    わたし合唱曲や唱歌を歌うのは好きなんだけど、
    「おまえら声でてねえぞコラァ!!!」って怒られてから
    いい歌を歌おうと思える素直な子っていますかね?

     

    ・・・・・・

     

    ・・・・・・

     

    先生っ!ここにいます!

     

    ほんと真面目なんだよな~わたし。ビューティーったらもう真面目すぎ!
    めっちゃ歌ってましたよ、わたし。怒られてからすげえ歌ってましたよ。

     

    自分が中1のときの卒業生は、だいぶ大人に見えたものでした。
    中3ってことは15?16?くらいなのにねぇ。

     

    卒業式で、わたしの中学校の制服はブレザーなのになぜか、
    「第2ボタンもらう」ブームが根強くありました。
    人気者の先輩は、まず
    ネクタイ→ブレザーのボタン3つ→Yシャツの第2ボタンという順番でなくなっていきました。

    まだあるんですかね、第2ボタンもらうって卒業式の習慣。
    っていうかみんな第2ボタンもらうってピンときてますか!?

     

    わたしの周りも、
    「〇〇先輩のもらえた?」「△△先輩のもうなかった~」といった女子たちであふれてました。

     

    人気者の先輩は4~5人くらいいたんですが、
    絶対その中の誰かを好きにならなきゃいけない空気があり、
    わたしもその空気に圧されて、そのなかの「ワル担当」的な先輩のところへ行って、
    ネクタイ(!)をもらい、写真を撮りました。
    ネクタイもらえたってことは人気者じゃないんじゃ、という一抹の不安がよぎったあの時。

     

    それでも第3ボタンくらいまでなくなってYシャツをはだけさせ、
    目と眉を細めて「ワル」そうな顔で写る先輩。
    思春期なのか素行の結果なのかお肌は荒れ気味です。
    それまで話したこともなかったワル先輩に肩を組まれ、
    嬉しいのかそうじゃないのか判別できないひきつった顔のわたし。
    という残念な記念写真と、ワル先輩のネクタイだけが手元に残り、
    机の引き出しにしまわれたまま、いたずらに時間だけが過ぎていきました。

    その年の大掃除の際、
    引き出しを開けてみて知らない男子のネクタイが入ってるぅー!?と本気で驚愕し、
    「あ」と卒業式を一瞬思い出しましたが、
    セピア色の思い出ともにそっと燃えるゴミに出させていただきました。

     

    その頃、セピア色や白黒に撮れる使い捨てカメラが流行ってました。
    わたしが小学校高学年くらいの時代にちょうどプリクラが大ブームになり、
    そのプリクラにもセピア色や白黒が登場。

     

    撮った瞬間すぐに「色あせた思い出」にしたいという衝動って意味不明だね!
    結局、それらのものは部屋のどこか、アンタッチャブルな場所へ埋もれていきました。

     

    いまその場所を探しても、思い出ではない別のなにかがボロボロでてきそうなので
    メモリーは美しいまま脳内再生するだけにします。

     

    もうすぐ、春ですねぇ。