おじいちゃん子な回

オリンピックやってら。
くらいのヅカオタなビューティーですが、
いえいえ見てましたよ、見てましたともゴンザレス(体操男子)をね!
ニューエン(体操男子)もね!ぜったい2丁目でモテますよね!

みんな大好きうっちーもね!個人総合金メダルさすがですよね!

しかーしっ先週のトップニュースはコレだ!どどーん!!

 

次期雪組トップスターに、花組の壮一帆就任決定!!!!!!!!!!!

 

これ、わかりますよね?どんな意味なのか?
・・・わかりますよね?(真顔で2回目)

 

トップスター、たった一人の、組をしょって立つ男役、
組の頂点であり、唯一無二の存在。
そのトップスターに、それも雪組のトップに、
男役研17年目、花組二番手の壮一帆が晴れて就任するのです。

 

年末12月24日まで花組に籍を置き、12月25日付で雪組へ組替え、
と同時に、トップスターに就任。相手役には雪組の愛加あゆ(91期)を迎えます。

 

壮一帆は、花組で、同期のトップスター蘭寿とむと双璧をなしてきた二番手。
前トップ真飛聖の時代から2番手として花組を支えてきました。
花組は5組のなかでもSHOWAもとい大人な組(笑)。
その中でも、実力派で、人を魅了する歌唱、男役としてのプライド、
たしかな役者魂を持ち、二人といない“ドSな”二番手スターでした。
そんな彼女が二番手という長く強かった鎖を解き、花組を離れ、トップスターとして降臨する。

 

ちょっと・・・トイレで泣いてきていいですか。

 

はい、戻ってきました。いまだ興奮さめやらぬですはい。
昨今、若返りの傾向にあった宝塚を疑問視するファンが多かったなか、これはまさに英断。
大人の男を演じられるスターがトップになる。
現在のトップ娘役舞羽美海(93期)より上級生の娘役がトップ娘役になる・・・。

 

酸いも甘いもかみ分けた男役、成熟した娘役こそが、
観客の胸を熱くすることができるのでーすーかーらー!!!!!!!

 

本当に・・・おめでとうございます!!!!!!!

 

さて、真夏の盛り。
わたしは祖父のことを思い出しています。

 

わたしは子年で、父も子年で、祖父も子年でした。
3代続けて干支が同じだと縁起がいいのよと聞きましたがうろ覚え。

 

どんな人にとっても祖父がそうであるように、偉大な祖父でした。

 

祖父は、わたしが物心ついたときはもう祖父で、
「おじいちゃん」と呼んでいました。

 

おじいちゃんの家は、わたしの家から歩いて2分くらいのご近所さん。
わたしはかぎっ子だったので、
学校から帰っていく場所は「おじいちゃんち」でした。

 

おじいちゃんちは、平屋で、狭い廊下を奥へすすんでいくと、不思議な部屋がありました。
そこは、おじいちゃんの孫、わたしのいとこ3人兄弟の部屋で、2段ベッドがありました。
その左奥につづく部屋は、なぜか30センチくらい地面が下がっていて、
キュー台を思わせるような固い緑の床に、革張りのソファーが置かれていて
まるでどこかの「組」の応接間を思わせるような部屋でした。

 

そこでは、しっとりしとした革張りのソファーが、
次の指令を待つ寡黙なやくざ者たちのように押し黙って並んでいて、
そこだけ空気が冷え冷えとしていた。

 

真夏のある日、いとこの兄に「部屋行ってあれ取ってこい」と
パシリに使われたときも、兄たちの2段ベッドがある日向の部屋は暑くて
そこにいるだけでもじっとりと汗が噴き出してくるほどなのに、
その「組部屋」からは濃密な静けさが流れてきて、
冷房をつけていないのに汗が冷たく感じました。

 

それは、今思えば、子供が踏み込んではいけない空間だったのでしょう。
わたしはその部屋から流れてくる冷やかな空気に気圧され、
「立ち入り禁止」という思いを強く抱きました。
もちろん、銃があるとか、日本刀があるとか、
ホンモノの方が身を隠してらっしゃるとかそういうことではなく、
子供が間違って越境してはいけない異空間、その表象としての部屋でした。

 

そこは見知らぬ部屋であり、自分がいとこであっても
この家にとっては「他人」であること思い出させる、拒絶される場所でした。
書いているうちに少しだけ、記憶のなかのその部屋にかかった薄いもやが晴れてきました。
もやの中、よく目を凝らしてたどってみると、応接間のような部屋のさらに奥はまた地面が上がって、
3つ目の部屋が現れたのです。
そこは、いとこたちの両親の寝室でした。

 

寝室は、他人の家においてもっとも「ためらわれる」場所。
見てはいけないと思わせる場所です。
その時わたしは、恐らくカーテンやシーツの白さくらいしか目にしてはいないはずです。
それでも、記憶のやわらかな手は、わたしのまぶたを優しく閉じて、
それ以上何も覚えさせないようにしました。
だから、応接間の緑色の床のザラザラとした手触りや、
ハゲかかって見えてしまっている床板の色だけを、生々しく思い出します。

 

ところ変わって、居間。
居間には掘りごたつがあり、わたしはよく掘りごたつの中にいました。
文字通り、頭まで、すっぽり入ってしまっていました。
掘りごたつの中では、炭が真っ赤に熱くなっていて燃えていて、顔がほてりました。
おじいちゃんに「のぼせるぞ」とお風呂のような言葉をかけられ、
頭だけ出して、冷たい外気にあたったときの気持ち良さが好きでした。

 

わたしが一番好きだった場所、それはおじいちゃんの部屋。
つまり、押入れです。

 

そこはおじいちゃんの匂いしかしなくて、
もう何十年も使い込まれた布団が敷き詰められ、
くたくたになった掛布団があり、
所狭しと物が並んでいて、
古びた写真と手紙があり、
よくわからない人形が飾られ、
おじいちゃんインワンダーランド!でした。

 

すべてがおじいちゃんで、おじいちゃんそのもので、
その部屋にいると守られている気分でした。

 

おじいちゃんは明治生まれで、戦争を生きてきたので、
タフで、骨が本当に太くて、ゴツゴツしていて、かっこよかった。

 

おじいちゃんが荼毘に付されたとき、
真っ白な、美しくて、大きくて、強靭な骨を見て、
場違いにも、感動に似た感覚を覚えました。
とても悲しかったしつらかったけど、
おじいちゃんの生きてきた時間、骨が記憶しているすべてが立派だったんだと、
その美しい骨が証明していた。

 

わたしは、おじいちゃんにくすぐってもらうのが好きでした。
子供は優しいおじいちゃんに変なことをさせたがるものです。
おじいちゃんの乾いた手のひら、分厚くてごろっとした太い指で、
腕や足をこちょこちょされるのが嬉しくて、楽しくて、
いつもいつもおじいちゃんに「くすぐって」と言っていました。

 

迷惑な小学生です。

 

わたしはおじいちゃんに、字をほめられたことがあります。
母から「あなたの字がきれいだって言っていた」と聞きました。

 

どちらかと言えばわたしの字は、
字の中が、散らかっている台所のように窮屈だったり、
反発し合って手が離れてしまった空中ブランコの曲芸師みたいに、
どことなく「とめ」や「払い」同士がよそよそしくて、特に見た目が美しいわけでもなかった。
それでも、おじいちゃんがきれいだと言ってくれて嬉しくて、
自分の字が誇らしく思えたものでした。

 

おじいちゃんの夢はあまり見ません。

 

でも、おじいちゃんにくすぐってもらった感覚とか、
入れ歯を浮かべていたコップの水のぬるさとか、
おじいちゃんプレゼンツ「食パンの砂糖つけ(超絶美味しい)」とか、
看板を作っていた作業場の木屑のやわらかさとか、
そこに現れたカマドウマの触覚の動きとか、
すべての景色が、昨日のことのように、親密にそこにあります。

 

遠くへ、手の届かない彼方へ旅立ってしまった人を思う。
それも夏。

 

それも夏です。