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続いてゆく回
ジメジメしております。
梅雨ざんす。先日、AKB総選挙が行われていたようですが、
その中に、握手会襲撃事件で被害を受けた女の子も登場したと知りました。犯人の男が供述した「誰でもよかった」という言葉は、
いつの頃からか、頻繁にニュースの中で見かけるようになりました。でもいつも、犯行に及んだ人間の
「誰でもよかった」に違和感をおぼえます。
彼らは、自分より明らかに力で上回る相手、
もしくはそのような人間がいるところには襲撃しません。「誰でもよかった」のではなく、
「自分より力のない人間なら、誰でもよかった」のです。刹那的な衝動、止むに止まれぬ犯行に見せかけ、
確実に自分が力をふるうことの許される場所を意識的に選んでいる。行き場のない怒りが抑えられないので
もうこの話はここでやめますが、
この言葉を発する人間の卑劣さは、許しがたいです。さて。
ご贔屓が退団したのでもう宝塚は卒業・・・と思いきや!また観に行ってます☆
宝塚という世界が心底好きなんでしょうね。今回はでも、「OG公演」と呼ばれる舞台に行ってきました。
宝塚の卒業生たちが、現役時代の歌を披露したり、ダンスを踊ったり。
宝塚という夢の世界からいったん離れ、
大げさに言えば、フェアリーから人へ転生したあとのOGたち。元は男役のトップスターでバリバリだった人も、今ではすっかり女性です。
「宝塚」が好きで、それもご贔屓が男役だったりした場合、
女性に性転換(と俗にいわれますが)した途端に興味を失ってしまう、
ということは、よくあることのようです。それでも、自分が情熱をかけて追いかけてきたスターさんです。
その人がなにかの公演に出るというなら観に行き、
一緒に年を取っていく、そんなふうに長くファンでいるという人もいます。わたしが観た公演には、たくさんのOG、
それも男役でトップスターまで上り詰め、
宝塚という世界で一つの時代を築いた、
そうそうたるメンバーが出演していました。期間限定のゲストとして、
その中に「瀬戸内美八」というOGの方がいました。瀬戸内美八(せとうち みわ)、愛称:ルネ。1947年生まれ。
もちろん、わたしはその方が現役生だった時の舞台は未見で、
会場に来ている熱烈な往年のファンの方、
それもルネちゃん(愛称で呼ぶと一気にオタク度が増しますね☆☆☆)
と、青春をともにしたファンではないわけです。ただのひよっこファンであるわたしでも、
ルネちゃんが、この公演に出演するOGの中でも
かなりレジェンドであることはわかります。そして、いよいよルネちゃんの歌のナンバーになりました。
スポットライトが当たり、パン!と振り向いたルネちゃん。そこには立っているのは、男役トップスターではありません。
年を経て、相応に、歴史を積んでこられた、一人の女性です。
わたしの母よりも少し上の、気っ風のいい。でも、ルネちゃんが歌いだした瞬間、
わたしは、どうしようもなく感動してしまいました。それは、ルネちゃんが宝塚時代に主演した公演の代表曲で、
(幕間にウィキペディアで調べました)
わたしのご贔屓である蘭寿とむさんや、
母の好きな壮一帆さんが、近年再演した舞台の曲で、
耳がよく知っていたから感動したというのもあります。でも、ルネちゃんのその声量、そのなりきり具合、その押し出し、
すべてが、圧倒的な熱量で、迫ってきたのです。観ていないはずのその時の公演の、
客席にいるような気持ち、と似ていました。
でも、それだけではないんです。目の前には、立派に年を重ねられた、
一人の元・男役トップスターがいました。
その色濃い影を引きずりながら、
それを「これが元・男役トップスターなのだ」と
全身から惜しげもなく、恥ずかしげもなく、
発散するそのパワーに、わたしは拍手を止められませんでした。ルネちゃんの歌声と、客席のわたしだけが、
なにか不思議な回路で結びあわされ、
「よう見ときぃ!これが元・宝塚の底力や!!」と
気持ちよく平手打ちされて、
「はい!!!」と思わず笑顔で答えるような、
そんなよくわからない高揚感につつまれた瞬間がありました。異様ですね。
不思議ですね。
自分の倍の年の女性を観て、興奮状態に陥るというのは。でも、宝塚って、そういうところなんです。
舞台も客席も、一種のトランス状態になって、
ただ、そこに渦巻く熱に身を任せられる。客席を埋め尽くすオールドファンの皆様にまぎれ、
トイレの列に一緒に並びながら、
わたしも、立派なヅカオタになったのだなあと、
ファンの諸先輩方の最後尾に並んだ気持ちでした。今年100周年の記念の祭典があったので、
来る150周年の記念の祭典のときにも、
また元気に、劇場でヅカオタをやっていたいなと思いました。そうそう。
遅ればせながら『アナと雪の女王』を観ました。
姉は「(エルサの)気持ちわかる」と言っていたそうですが、
妹であるわたしはアナの気持ちはあまりよくわかりません。でも、あらゆる妹にとって、姉は時としてエルサそのものであり、
あらゆる姉にとって、時として妹はアナそのものなのです。
面白い映画でした。
でも、映画館で歌っている人はませんでした。 -
五月病の回
わたしの五月病は、食欲が減退しないことを主に指すのですが、
みなさんは五月病でしょうか?さて先日、わたしの宝塚ライフにおける最大の節目が訪れました。
ご贔屓の「退団」です。
5月11日をもって、わたしの敬愛してやまない花組トップスター
蘭寿とむさんが宝塚を去りました。
ひときわ美しくて、華やかで、大きな蘭の花が咲いたような姿でした。もはやこの胡蝶蘭の花言葉に泣いてますけどもね!!!??!
男役の「蘭寿とむ」は永遠に喪われてしまいました。
宝塚の舞台に、彼女が男役として立つことは二度とありません。
いま、この心境を表現する適切な言葉が見つからないのですが、
晴れ渡った青空を見ていて、まえぶれもなく涙がでる。
そんな感じでしょうか。何かを好きだと公言しておくことは、とても大事なことです。
ひょんなことから趣味の世界のネットワークは広がるもの。私も宝塚を好きだと言いふらしていたおかげで、
素敵な出会いもたくさんありました。正直、この年になって、
同年代の同じ趣味に燃える友人ができるとは思っていませんでした。
これも宝塚がくれた縁です。ただ母親からは「大地真央さんのおっかけをしていた人がいてね、」
から始まる話を10回は聞かされることになりましたが。父親と母親と友人と一緒に観に行った初めての宝塚の公演は、
宙組公演の『誰がために鐘は鳴る』。
ヘミングウェイ原作の舞台でした。それから、父親と母親におすすめした花組公演『復活』。
これは大学時代の友人も連れていったのですが、なかなか好評でした。
こちらはトルストイ原作で、主人公のネフリュードフを
当時の花組トップスター蘭寿とむさんが主演しました。
原作では頭の薄い中年のおっさんだったので、原作を読んでも
どうしても蘭寿さんとネフリュードフが結びつきませんでしたが、
実際の蘭寿ネフリュードフはそらもう美男子で、
美男子すぎてわたしの頭がハゲあがるかと思いました。わたし同様宝塚が好きな母親はもちろん、
父親は、これまで観た2回の公演のことをよく憶えてくれていて、
たまにそのことを話してくれます。『誰がために鐘は鳴る』については、
「あれは、すべての人間に祝福の鐘は鳴るということなんだ」
と言われ、ハッとしました。人の人生には不平等がつきまとうもの。
それでも、最期の瞬間には、どんな人にも同じように神の祝福がある、
祝福の鐘は鳴るのだ、と。そういう主題なのだろうと言われ、
そのとき初めて、わたしの頭上で鐘が鳴りました。(カーン)そのときに2番手で出演していた蘭寿とむさん(元:花組トップスター)の
「戦争なんてくだらねえええええええ!!!!!!」という一言叫んで
ダッシュで去るという演出のインパクトが強すぎて、
また初めての宝塚は初めてのことづくしで、
きゃーうわーって心の中で叫んでいたら終わっていたので、
そこまで何も考えられませんでした。今考えればもったいないことをしたものです。
宝塚にさしたる情熱や興味のない父親から
「あれは面白かった」と言われると、やっぱり嬉しいもので。母親と娘の好きな趣味に付き合わされる父親の、
なんともいえないあの「座らされている」感がとても愛おしく、
上演中に時たま吹き出したりもしていましたが、
また誘いたいなと思う今日この頃です。というわけで、少し感傷的な気分でお届けしました。
このブログでの宝塚ネタも今回でなりをひそめるかもしれません。ヅカファンになって、ヅカファンとして、
初めて好きな人が卒業する、というイベントを経験しましたが、
「わたし、青春していたなあ」とつくづく思いました。
不思議な気持ちです。そうなると、
今後はわたしの食生活ネタかのろけ話かどちらかになりますが。
そんな話くだらねえええええええ!!!!!!という声が聞こえてきそうです。もうすぐ梅雨になります。
季節はめぐっていくのです。余生は、蘭寿さんのDVDを観ながら静かに過ごしたいです。
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ノガミさんの回
一気に春ですね。
新人の皆さん初めまして、ビューティーです。
美、ということですね。
よろしくお願いします。この週末、宝塚100周年を祝うニュースをご覧になった方も、
多かったのではないでしょうか。わたしも、聖地である宝塚大劇場に魂を送りつつ、
夢の祭典というイベントの都内でのライブビューイングに参加してきました。そこに出演したのは、宝塚が誇る歴代のトップスターとトップ娘役たち。
八千草薫、寿美花代、眞帆志ぶき、初風諄、榛名由梨、鳳蘭、安奈淳、麻実れい、
一路真輝、大地真央、黒木瞳、涼風真世、真矢みき・・・etc
とんでもないレジェンドたちが名を連ねたまさに100年に一度のお祭りでした。ライブビューイングなので、中継で宝塚とつながっているとはいえ、
大きな画面でDVDを観ているような感覚に教われますが、
わたし、気づいたら泣いてました。(重症ですね)歌とダンスを披露した眞帆志ぶきさんは、今年80歳を迎える方です。
往年の大スターも、年をとります。
でも、彼女たちがあのホームとも言える大劇場に立ち、
劇場中を見渡すときの、あの燃える瞳と身体のパッションは、
スクリーンを突き抜けてわたしの心を射抜きました。なんてかっこいいんだろうと、なんて素敵な人たちなんだろうと、
涙がとまりませんでした。長くなりましたが、おいでませ、タカラヅカの世界。
さて4月、春、別れと出会いの季節です。
今日は卒業式の思い出を少しばかり。小学校の卒業式で、
普段めったに履かないスカートを履かせられて、
とても嫌だった記憶があります。私の通っていた小学校に、
頭がよい、スポーツもできる、面白い、スタイルも抜群。
そんな男子的モテ要素しかない「ノガミさん」という女の子がいました。その飾らないボーイッシュな雰囲気に、
クラスの男子は一目置き、
女子はみんなその子に好意を持っていました。ノガミさんは、市内の中学校に進学することはせず、
私立中学への受験を考えていました。
クラスで特に仲のいい女子たちは、ノガミさんを応援しに、
家に遊びに行ったりしていました。(ただ家に行きたかっただけですけど☆)小学生の友情というのは、かなり真剣です。熱いです。
「好きな子」のためなら、その子が風邪でお休みの日に、
その子の家までお見舞いに行くことだってありました。
風邪だって言ってるのに外まで出てきてもらって、
「早くよくなってね」と言うわたしったらなんて友達思いなのかしらと、
小学生ながら自己陶酔系迷惑行為をしていた自分レッドカード。恥ずかしい限りです。
でもそのときは「○○のために一肌脱ぐ私」に酔っているので
どうしようもないですね。そして、ノガミさん。
ノガミさんは別にそういうことをしなくても、
男子女子みんなからの絶大な支持を得ていました。
いつもは誰の言うことも聞かないような男子も、
ノガミが言うなら、いいぜ。みたいな。どんだけカリスマなのノガミさん。
そのノガミさんは、卒業式のとき、パンツスタイルだったのです。
今でもはっきりと覚えています。
まるでイケメン(当時この言葉はありませんでしたが)男子高校生
のようなチェックの制服だったのです。今のわたしからすれば、そう、宝塚の男役スターのような。
当然女子からは「ノガかっこいい〜」と黄色い声が。
そう、彼女はノガという、モガみたいなあだ名で呼ばれていました。今でこそノガというあだ名でいいのかという気がしますが、
あの頃はノガという言葉の響きさえもかっこよく感じられたものです。わたしの小学校は私服だったので、
卒業式も服装は基本的に自由でした。もちろんわたしも望めばパンツスタイルで参列できたはずですが、
母親が引っ張りだしてきた丈の長いワンピースを有無を言わさず着させられ、
イケメンなノガを横目に、慣れないスカートに顔を真っ赤にしていました。
足を、春の少しつめたい風がすーすーとおりぬけていったことを覚えています。その後、中学校が分かれてしまったノガミさんとは、
音信が途絶えてしまったので、彼女が今どこでどうしているかは、
わかりません。卒業証書の筒を持って、少し緊張した笑顔で写真に写るノガ。
イケメンすぎます。かっこよかったノガは、
今はどんな大人に、どんな女性になっているのでしょう。もし今、会うことがあったら、その写真を肴に朝まで呑みたい気分です。
春ですね。
うららかな陽気が、眠っていた記憶をくすぐるのかもしれません。
記憶の日だまりは、どれも古ぼけたにおいがして、照れくさくて、恥ずかしいです。みなさんの卒業式の思い出も、今度聞いてみたいものです。
そして、卒業と言えばこの方。
32年間、おつかれさまでした。いいともー!
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コングラチュレーション!の回
春ですね〜。
春の足音聞こえてきますね〜。コングラチュレーション〜春!!!!!
おめでたいと言えば、ソチはよかったですね。
生中継のために、夜中まで起きてるあの感じが好きです。さて、ソチも落ち着いたところで、
今回はわたしの愛する宝塚の話です。(いつも通りですが)宝塚歌劇団に入団している生徒、
つまりタカラジェンヌはみな未婚です。
未婚の女性からなる歌劇団なのですね。この制度について、一度、
ものすごく母と議論したことがありまして。宝塚は、劇団の創設時の方針上、未婚でなければなりません。
だから結婚したいなら、退団するしかないのです。
結婚してなお、在籍しているということが不可能な世界。少し、AKBの彼女たちの恋人問題と似ていますね。
お客さんを恋人と設定してマーケットを展開している以上、
リアルに恋人がいては夢を見られないという考え方です。男役を好きなファン心理は独特で、
男役も女性なのだから彼氏の1人や2人・・・とはなかなか思えなくて、
「清く 正しく 美しく」というモットーに恥じぬようにいてほしい、
そう勝手に思ってしまう思考回路なのです。
まあ、遊びたいなら辞めてから遊びなさいよという。
スターっていうのは、そんな簡単なものじゃないぞと(何様だ)。宝塚では、ファンクラブができ、
人気に火がつくのは圧倒的に「男役」なので、
恋愛の話は「すみれコード」として話をしないことが暗黙の了解。その点は歌舞伎とまったく違っていて、
歌舞伎役者の女性問題は「芸の肥やし」として承認される傾向がありますよね。
それに、世襲制が基本の歌舞伎の世界は、結婚して辞める必要もない。
本人が望むなら、結婚しても子供ができても、いつまでも現役でいられるわけです。でも、宝塚はそうはいきません。
トップスターになれるのはほんの一握り。
今この瞬間に、組の頂点に立つトップスターはたった1人です。
彼女たちはどんなに長くても20年ほどで卒業していってしまう。
もちろん専科という、
どの組にも属さないプロフェッショナルな立場になれば話は別ですが、
専科になる/ならない関わらず、劇団に居続ける限りは未婚が条件です。そこで考えてみたのです。
結婚OK制度になったら、と。
自分の好きな男役さんが、結婚したあとも男役をやる、
永遠にやってくれる、ということを想像してみたのです。・・・
・・・
・・・
集中できない!!!!!!!!!!
あーーーーあんなにかっこいいのに家に帰ると奥さんなのか〜とか
夕ご飯作るんだろうな〜とか
考えちゃって舞台に集中できない気がしました。宝塚は、完成された夢の世界です。
ほのかに漂う秘密の花園の香り。
俗世から隔離されたと言ってもいい特殊な空間。そこで表現される男役と娘役のロマンスは、
現実であって現実ではない夢物語。
舞台は強靭な輝きを放っていたとしても、
劇場を出れば粉雪が溶けるように消えてしまう
そんな儚く、美しいものであってほしい。
リアルな男女関係と無縁の純粋培養お花畑であってほしい。オタクと呼ばれるまでになるファンは、面倒くさいものです。
奥様はヅカオタの場合、はかなり大変です。
でも、夫婦そろってヅカオタであれば問題ないです。同じ趣味に引っ張り込むことは大切だなと思いました♡
さて、のろけも済んだところで。
コングラチュレーション!ビューティー!!フゥ〜!!羽生くんがフライデーされる日も近いのでしょうか。
お相手が小学生の頃の初恋の人(notプルシェンコ)だったりしたら、
もう羽生伝説ですね。かなわないですね。そんなわけで、羽生くんともども、
これからもどうぞよろしくお願いいたします。 -
昔を思い出す回
お寒うございます。
この間、母と話していて、
母の思い出話がとても興味深く、
わたしもいつかだれかにこうして話せるように、
日記をつけるべきかなぁなんて思っていました。ふだん日記はつけないのですが、
今、日記をつけても多分宝塚のことしか書かないので、
日記をつける必要があるかどうか判断に迷うところです。2月1日(土)宝塚を観た。すばらしかった。
2月2日(日)宝塚を観た。すばらしかった。感動!
2月8日(土)宝塚を観る予定。何も言えねえ。
・・・書く意味ありますかね?
母の話は、1964年の東京オリンピックのことでした。
母は、開会式のときに飛んで行った鳩のことを、今でも憶えているそうです。
窓から、飛んでいく白鳩を見たんだとか。その時母は中学生で、
ドン・ショランダーというアメリカの水泳の選手が
クラスの女子の間で人気だったそうです。
みんなでショランダーに会いに行きましょう!ということになり、
手ぶらもなんだからと、お菓子を持参することに。母も、そのお菓子を買うために父親にお小遣いを頼んだところ、
「何考えてるんだ!」と一蹴され、
そんなアメ公のところに行ってはならぬと止められてしまい、
結局ショランダーに会うことはできなかったそうです。見果てぬ少女の夢、ショランダー。
父親に怒られる母、という図は、
脳の中でうまく焦点を結ぶことができないけれど、
「あまちゃん」の昔の春子の感じを思いおこし、
あんなふうだったのかなぁと思っています。
もっと、おとなしい感じだったと思いますが。「今ほら、流行ってるじゃない?じぇいじぇいじぇい」という母の発言は、
しばらくわたしと姉の間での流行語大賞でした。
スローテンポすぎるわ、じぇいじぇいじぇい。
母親というのは、流行語に敏感なものなのでしょうか。あと全然関係のない話ですが、母がAKBについて、
「少子化なんだから、あの子たちも一度に大人数で出ないで、1人ずつ出ればいいのにね」
とひとりごちていたので、秋元氏に進言したいです。
少子化とAKBをつなげて考えたことがなかったので、ハッとしました。今のことを話題にして話すこともいいけれど、
昔の話は、映画を観たり、小説を読んだりするのと同じように、
その時代の空気を感じられます。母が子供の頃は、銭湯に「三助さん」と呼ばれる、
背中を流す人がふつうにいたことや、
子供の頃の父には、お付きの「丁稚」がいたことや、
そんな当時の風俗を聞くことは、
母と父の知る日本の姿、懐かしい記憶の迷宮に誘われるようで、
その遠く離れた蜃気楼を眺めることは、とても愉快なことです。母がわたしぐらいの年に「痩せていた」というのは、
毎度耳にタコができるほど聞かされる話ですが、
そのときの(陸上部だったので足も速く細かったという)母に、
あるいは(会社の宴会で丸メガネ+ちゃちな紙の帽子という扮装をさせられた)父に、
会ってみたいなぁと思う、そんな冬です。