• 作る回

    こんにちは。
    どんなに寒い朝でも絶対に電車の中で汗をかくビューティーです。

     

    先日、ハロウィンのグッズを買いに某ロフトに寄ったのですが、
    そこで棚に陳列されたオレンジ色のお菓子たちに、
    30%割引というシールを店員さんが貼っていくのを目の当たりにして、
    ハロウィンという魔法から少し解かれた気がしてよかったです。

     

    物がズラッと陳列された時に発せられる魔力というのは大きくて、
    某夢のランドでは、
    お土産売り場で最もその魔力が発揮されています。
    500円って安いよね?という魔法にかかったら最後、
    長くて高い棚にぎっしりと並んだ商品たちの「求心力」に、
    思わず手が出てしまうのでした。

     

    今では、某夢の劇場のグッズ売り場で同じ現象が起きています。
    恐るべき夢の力・・・
    某夢の劇場では値段とかあまり見ずに夢遊病者のように店内をうろつき、
    意識を取り戻すのはレジの前だったり・・・

     

    最近、季節の移ろいをあまり感じることなく、
    すぐ暑くなって夏になったり、
    すぐ寒くなって冬になったりするように感じていて、
    せっかく日本には四季があるのにもったいないなぁと思っていました。

     

    でも、ハロウィンなどのイベント会場に行くと、あぁ秋だなと思ってしまう。
    商業ベースでモノを買う行為でしか、
    季節を感じるアンテナが働かないのは少し寂しい気もします。

     

    野菜売り場によく行くようになったのですが、
    絶対に家にないと嫌な、切らしたくない野菜があって、
    それはわたしの場合「玉ねぎ」だということを発見しました。

    玉ねぎ、好きなんですよねえ。

     

    加熱した玉ねぎって、甘いじゃないですか。
    何の料理でも、入っていたら本当に嬉しいです。
    近頃は少しずつですが料理をするようになったので、
    なにかと玉ねぎを使っています。

     

    でもだんだん使う野菜が同じ、作るものが同じ、
    というマンネリターンに突入し、
    料理って本当にむずかしいなと思いました。

     

    まずレパートリーを増やすことがむずかしいんです。
    やったことのないレシピに立ち向かうときに
    必要とされるエネルギーはハンパじゃない。

     

    しかも、たとえば「肉じゃが」みたいな定番の大物を作った場合ですね、
    それをもう一度作るまでに時間が空きすぎて、
    経験値が蓄積されないので結局また分量とかはかるわけですよ。忘れてるから。

     

    そのときの「二度手間感」ね。悲しみ・・・

     

    本やレシピを見ずにササッと作れるようになるのは、
    やはり年単位での慣れが必要なのかもしれません。

     

    そして、母親の隣で台所に立つという経験が
    今になってとても役に立っている気がするのは、
    味付けはもちろんそうですが、「手際」という面だと思います。

     

    手際というのは経験を積まないと良くならないもので、
    毎日なにかしら料理している世のお母さんお父さんたちは、本当にすごい。
    テキパキ度合いが違う。頭が上がらないです。

     

    今は野菜を切りながら、鍋に湯を沸かすべきだとか、
    鍋で煮ているこの間に、洗い物をすべきだとか、
    そういうことはやっぱり、
    母親や父親がそうしていたことをなんとなく覚えていて、
    それで、自分の手がその行程を真似ていることがあります。

     

    母がこれは危ないから真似しないでね、
    と言われたことももれなく真似していますが☆

     

    わたしも娘なのだなぁと思うのでした。

     

    母親の作るオムレツは、
    ひき肉としいたけと玉ねぎのみじん切りで、
    かけるのは絶対にソースでした。

     

    だからわたしも色々他の野菜などを入れたりしますが、
    一番好きなのはソースをかけたシンプルなひき肉のオムレツです。

     

    みなさんの家でも、「ウチは絶対これだった」という
    ウチ流メニューがあると思うので、今度ぜひ聞いてみたいです。

     

    こだわりが強いと齟齬のタネになることもあるので、
    気をつけないといけませんね。
    わたしはソースが一番いいって思ってるのに、
    ケチャップある?とか言ってくるのはおいどういうことだ的な。
    ケチャップはオムライスでしょう!?みたいな。

     

    ねぇねぇ野菜が10円安い高いで一喜一憂するのに
    宝塚で使うお金に糸目はつけないんだね!とか
    塾帰りのメガネ小学生男子とかに正論ふっかけられそうですが、
    そんなこと言ってくる可愛げのない男の子には、
    大事な趣味に使うお金と生活に使うお金は
    お財布が別なのよ!バカめ!だからモテないのよ!と罵声を浴びせようと思います。

     

    でも、野菜を買うのは楽しいなと思いました。
    料理のレパートリーが増えれば季節のものとか買って、
    それで食卓にも秋の彩りを・・・みたいに思わなくはないですけどね。
    たとえば栗とか煮てね、おやつにできたりしますよね。
    栗、煮たことないですけどね。

     

    「栗ご飯 簡単」でクックパッド検索して
    今度やってみようと思います。

     

    食欲の秋ですから。
    おかわりできるようにせめて5合くらい炊かないといけませんね!

  • 茶色のセーターの回

    個人的にこの何ヵ月かは色々なことが立て続けにあって、
    心身ともにハードスケジュールでした。

     

    わたしおつかれさまでした。
    よくがんばりました。

     

    ○年ぶりに部屋の大掃除をして
    捨てた捨てた。
    バンバン捨てました。

     

    こんなに着ない洋服があったのかと驚くほど
    捨てまくりました。
    本当はリサイクルに回せたらよかったのだと思いますが、
    そんな時間もなく、ひたすら無心で捨てました。

    その中に小学生のときに着ていた服だの、
    中学生のとき着ていた服だの出てきて、
    あぁEAST BOY流行ってたな〜とか
    やたらセーターを伸ばして着てたな〜とか
    走馬灯のようにめぐる思い出たち。

     

    昔、学級委員をしていたわたしですが、
    校則にあったセーターの指定の色にどうしても納得がいかなくて、
    反抗していた時がありました。
    反抗期だったんですね!

     

    指定の色は「黒、紺、白」のみ。
    でもわたしは茶色が着たかったんです。
    茶色のセーター、可愛くないですか?

     

    その頃、わたしはなぜ「黒、紺、白」がよくて、茶色がダメなのか、
    よくわからなかったんです。

     

    決まりごとに、わかるもわからないもない。
    そうかもしれません。
    校則とはそういうものかもしれません。

     

    でも、当時のわたしは納得できないことはしたくない頑固な生徒でした。
    そこで、校則違反承知で、「茶色のセーター」を着ていきました。

     

    俗に生活指導と呼ばれるものを担当する先生がいるわけですが、
    そのタグチ先生に「待ちなさい、」と呼び止められました。

     

    「その色はどうした?」

     

    自分より小柄なタグチ先生が、いつもの陽気さを封印して、
    わたしの目の前に立ちはだかります。

     

    「茶色です」

     

    見ればわかることをわたしは答えました。
    タグチ先生はため息をついて、その色はダメだと言いました。

     

    「なんで黒や紺や白がよくて、茶色がダメなんですか?」

     

    思春期という時期は、妙な熱におかされ、
    どこか浮ついた気持ちに支配されるものです。
    自分が大軍に立ち向かう勇猛果敢な一兵士のような気持ちになり、
    敵陣の中で正々堂々と正論を述べるような高揚感でそこに立っていました。
    わたしは敵将・・・じゃなかったタグチ先生をまっすぐ見つめました。

     

    「放課後、職員室に来なさい」

     

    タグチ先生はそう言い残して去っていきました。

     

    教室に入ると、やれなんで茶色なのか、やれこっぴどく怒られたのか、と
    しばらくわたしの周辺はにぎわっていましたが、
    やがて授業が始まるとそれも静かに収束していきました。

     

    わたしはずっと落ち着かない気持ちで、
    固い木の椅子に座りながらぼんやり黒板を見ていました。

     

    そして放課後。

     

    再びタグチ先生のところへ行くと、
    こっちへ、と小さな事務室に通されて、なにかあったのかと聞かれました。

     

    いきなり校則をやぶってくるような生徒ではなかったので、
    家庭や、友達関係や、つまりそういうなにかでの躓きがトリガーとなって、
    今の行動にでたのだろうと思われたのです。

     

    わたしは正直に、何もありません、と答えました。

     

    「ただ、茶色のセーターが着たいだけなんです」

     

    タグチ先生は困った顔をしていました。
    そして沈黙し、もう帰りなさいと母親のような口調で言いました。

     

    それからしばらくして、新しい生徒手帳が配られ、
    校則のページをパラパラと見ました。

     

    「セーターの色は、黒、紺、白、茶色とする。」

     

    茶色・・・?
    わたしは驚いて、タグチ先生のところへ急ぎました。

     

    「あなたのために変えたわけじゃないから」

     

    少し怒ったようないつもの調子で、タグチ先生はそう言いました。
    わたしは何か言うべきかと思い、ありがとうございます、と一礼しました。

     

    タグチ先生は、黙っていました。
    ほんの一瞬、微笑んだような気がしましたが、定かではありません。

     

    でも、この戦いでの戦利品だったはずの茶色のセーターは、
    とうとう見つかりませんでした。

     

    ただ3年生のときの学生証明書の写真は、
    そのセーターを着て写っています。

     

    現在を未来と反対にさかのぼっていけば過去になるはずですが、
    過去を、今、リアルタイムで感じることはできません。

     

    でも、思い出のなかに過去は過去として息づいているとしたら。
    時が止まったその中で、過去が確かに存在しているとしたら。

     

    まだ、あの頃のわたしがあのセーターを着たままそこにいるから、
    今、茶色のセーターが手元に現れないのかもしれないと、ふと思ったりします。

     

    今年セーターを買うときは、茶色にしてみようかしら。

  • 女子力の回

    夏も終わってしまいました。
    過ぎて行く季節を感じることは
    せつないことでもあります。

     

    8月31日。
    壮月の最後の日に、偉大なトップスターが、宝塚を去りました。

     

    雪組トップスター、壮一帆。

     

    壮月生まれの豪傑なトップスターは、名前も粋ですね。
    彼女は19年間、宝塚という長い航海を続けてきました。
    そしてその最後に、雪組のトップスターとして、
    仲間たちを抱きしめるように大きな帆を広げて、
    笑顔いっぱいに卒業していきました。

     

    その笑顔の、なんと晴れ晴れしく、清々しく、美しかったことか。
    “決して順風満帆とは言えなかった宝塚人生。”
    よく、彼女はそう評されます。
    荒波の時も、いつも笑顔で屈することなく乗り越えてきた、と。

     

    その通りです。そして、それ以上です。

     

    壮一帆というトップスターを100周年に輩出したことは、
    宝塚の偉大な精神の現れだと思います。
    彼女が宝塚という海を選び、そこで倦むことなく進んできれくれたこと。
    その軌跡が、海を照らす夏の太陽のようにまぶしいです。

     

    そうして秋の訪れとともに、
    寂しさが、岩に静かに打ち寄せる波のようにやってきました。

     

    錦織選手、準優勝おめでとうございます。

     

    唐突に。
    錦織選手の活躍で面白かった現象と言えば、
    某国営放送に「なぜ決勝戦を放映しないんだ」と
    視聴者から電話が殺到したことですね。

     

    「何のために視聴料を払ってると思ってるんだ!」
    というわけですね。
    普段、テニスをよくご覧になる方なのでしょうか?
    そんな方は独占放映しているチャンネルに加入済みのはずですよね。
    急遽、「みなさまの声」を真摯に受け止めた国営放送が放映権を購入し、
    午後から決勝戦を放映、という形になりました。
    なんだか「へぇ」という気持ちです。

     

    そういう方は、盲導犬が刺されたり、
    全盲の方が蹴られたりするという信じられないニュースをもし見聞きしたら、
    すぐに警察に電話して
    「何のために税金を払ってると思ってるんだ!こんな卑劣な行為は許されないぞ!」 と
    ちゃんともの申してくれているんですよね?

     

    まぁともかく、錦織選手が準優勝という快挙を成し遂げ、
    世界ランクが8位確定ということで、本当にすごいなぁと。

    さてさて。
    突然ですが、昔、ほんの子供だった頃、
    「しょうらいのゆめ」を書く欄に
    わたしは何と書いたと思いますか?

     

    知らないよ、ってね。

     

    「おはなやさん」です。
    少女の夢が「お花屋さん」や「看護婦さん」だった頃、
    わたしもまた少女でした。

     

    でも、「おはなやさん」と書きながら、
    なんだかウソをついているなと冷静に思っていました。
    ウソというより、「しょうらいのゆめ」という言葉とイコールで
    結ばれる右側の答えが、その時は何も浮かんでいなかったのに、
    「おはなやさん」と書いた自分が少し後ろめたかったんですね。

     

    でも、「しょうらいのゆめ」を空欄にすることは、
    少女には許されていなかったのです。

     

    その頃のわたしはスカートも履きたくなかったし、
    ピンクなどのいわゆる女の子然とした色合いが嫌いでした。

     

    なのに、女の子として「しょうらいのゆめ」を
    書かなければいけなかったことに、少し傷ついた気持ちでした。

     

    フクザツ・・・

     

    男の子になりたかったんですね〜。
    女の子って比較的男の子になりたくなる時期があったり、
    そういう気分になるときが多い気がするのですが、
    逆に、男の子は女の子になりたかったりするのでしょうか?

     

    わたしの周りには、「女の子になりたい男の子」はいませんでした。
    表にださなかっただけの子も、もしかしたらいたのかもしれませんが。

     

    「女子力」という言葉の反対語はあるのでしょうか。
    「男子力」でしょうか?
    なんだかむさ苦しい感じですね。

     

    今は共働きが一般的な感覚になっていますし、
    結婚するなら「女子力の高い男子」がいいのかもしれません。
    家事、してくれそうだから(笑)。

     

    「女子力」みたいなアクセサリー感覚のアビリティとして
    家事全般が認識されていくとますます女子は大変になるのではと思うのに
    こぞって女子力を高めたい女子が多いのはなぜなんだ(早口)。

     

    女子力という言葉はファッションや美容や性格や自己実現みたいなことの
    ぼんやりとした総体なので、なにか1つできていても、
    他が疎かにされていると認めてもらえない気がします。

     

    つまり、家事全般はすばらしく自分のことはすべて自分でできる。
    それだけで人としてのボーナスを出してほしいくらい立派だと思いますが、
    加えて「美容・ファッション」に疎いと「残念」だと言われます。

     

    残念どころかそれ立派だし!?

     

    いくら主張しても取り合ってもらえません。
    じゃあ聞くけど、
    外見も身だしなみもおしゃれで、料理も自分で作れちゃうメンズは一般的なの?

     

    「追いオリーブ」のもこみち氏以外聞いたことありませんけど!?

     

    だから、ひとは、減点法では幸せになれません。
    加点法で評価し直すべきなのです。

     

    わたしは家事全般一応できますので、
    もはや100点満点だということです。

     

    デスクの上が散らかっているのは、
    見ようによっては整理されているので加点されますね。

     

    なかなか断捨離ができないのは、
    ものを大切にする心優しい性格なので加点してください。

     

    よく食べるのも、
    食べ物を粗末にせずゴミをださないという美点の表れなので加点対象。

     

    ほーら、100点+αだ。
    わたしって本当に女子力高いなぁ。

  • 料理の回

    みなさん、想像してみてください。

     

    料理をする、という道を巧妙に避けてきた女性がいるとします。
    家では自分以外の誰かが料理を作ってくれるのです。

     

    そんな環境で生まれ育った女性に対し、
    「料理できるの?」などと聞くのは、マナー違反です。

     

    できるわけないだろう、料理。
    言葉に詰まるだけだからやめてあげてください。

     

    そんなこんなで、
    「食事」と「料理」が結びついた生活を送ってこなかった
    とある女性が、料理をした話をしましょう。

     

    まあその女性Sさんとしましょうよ。仮ですね。
    Sさんは、普段ほとんど料理していません。
    そんな男性なんてザラだと思いますが、
    なぜそれが女性になったらとたんにズボラみたいに
    言われるのか納得がいかねぇぜ!というスタンスのSさん。

     

    でも、まぁお友達の家に遊びに行って、
    とっても美味しい手料理をいただいたりすると、
    あ〜料理できる人っていいなぁ・・・
    私もさくっと料理できるようになりたい・・・
    と思ったりするそうなのです。

     

    可愛いですね!Sさん!!

     

    そこで、色々考えた末、
    料理を始めたほうがいいんじゃないかしらと、自発的に考えたらしいのですね。

     

    何を作るか?

     

    これはかなり重要です。
    今のご時世、クックパッドがあるとはいえ、
    そんな凝ったものは作れません。
    初心者なんですから。分をわきまえよう、そう考えたSさん。

     

    カレーだ。そうだカレーだよこういう時は。

     

    そんなわけで、カレーを作ることになりました。

     

    以前、なにかのテレビ番組で、
    カレーはルーの箱の裏に書いてあるとおりの材料で、
    そのとおりに作るのが一番美味しい、と言われていたことを
    覚えていたSさん。

     

    材料を買って、ルーの箱を裏返し、
    そのとおりの作り方で始めました。
    途中、ジャガイモの皮を剥くフェーズにさしかかった時、
    ジャガイモの皮が剥けなさすぎて泣きたくなったけど
    涙はタマネギの時にしか流さないと心に決めていたというSさん。

     

    あとはこれをコトコト煮込むだけ!の段階になったとき、
    既に2時間が経過していたと言います。

     

    煮込む前の段階で2時間・・・

     

    なぜ・・・

     

    2時間という時間で大汗をかいえてわりとヘトヘトになったSさんは、
    そこから鍋を5分ほど煮込んで終了。
    お皿の上のご飯にカレーをかけてみたところ、
    サラサラと清流のごとく流れるカレー。

     

    水が多かったようです。

     

    最後の最後、
    足りないかな・・・?と思って水を足したのが災いしたのか
    ほんのすこし水っぽいもとい夏にぴったりのサラサラカレーになったそうです。

     

    でも、家族から「美味しいよ」と言われ、
    気をよくした単純なSさん。

     

    家で作るカレーは美味しいのですね!
    汗ダラダラになりながら作った甲斐があったと言っていました。

     

    そして、味をしめたSさん。
    次の週は1回お休みして、その次の週もカレー。

     

    2回目となり、ジャガイモは茹でてから皮をするりと剥くというワザを教えてもらい、
    あとは煮込むだけとなった時、1時間40分が経過!

     

    20分短縮!
    素晴らしい!!

     

    カレーができればもうね、
    料理できるの?なんて言わせませんよね。
    料理の道は果てしない。

     

    ちなみに、追いオリーブオイルはしたことないです。

  • 音楽の回

    夏!という感じの陽気でもなく
    なんとなくジメっとした毎日ですね。

     

    夜中にサッカーを観ながら、
    スローでプレイバックされる映像での激しい取っ組み合いが、
    ケンカしてるみたいなのでおののいています。

     

    母がネイマールをベッカム以来のイケメンが現れたと
    はしゃいでおりました。ケガは本当に残念です……。

     

    さて。

     

    母はお世辞にも歌が上手いとはいえないのですが、
    わたしにも確実にそれは遺伝しており、
    ふと思いつきで『ありのままで』を2人で歌おうとしたとき、
    もうどっちも音どこー!?エルサどこー!?みたいな状態になったので
    ありのままに歌うことは早々にあきらめました。
    歌は聴くに限ります。

     

    では父はどうかと言うと、あまりその歌声を聴いたことがないのですが、
    いとこの結婚式で父親たちの兄弟が歌をいとこ夫婦にプレゼントする、
    というコーナーがあり、そこで『嫁に来ないか』を
    父親たち兄弟で歌っていました。

     

    父親たちによる『嫁にこないか』の歌に、
    席に座っていたはずの嫁(=母親たち)が
    父親たちのところへ嫁にいく(=駆けつける)という
    可愛い茶番もありましたが、赤ら顔の父親たちの隣で
    はにかむお嫁さんたちの姿はキュートで、とても素敵でした。

     

    歌は、スナックのカラオケで聞くような、
    お風呂で何の気なしに歌うような感じだったので、
    上手いも下手もなかったのですが。

    (嫁に来ないか、で画像検索したところ、
    同名のBL漫画がヒットしまして、時代だなと思いました。)

     

    最近はカラオケルームに行っても
    DVDを観て絶叫するという(防音)目的が多く、
    とんと歌わなくなりましたが、
    ちあきなおみの『喝采』でしたらいつでもレリゴーですので、
    ぜひお誘いください。

     

    好きな音楽の趣味は年によって変わるのだと思うのですが、
    わたしは自分が発掘したりするほど
    音楽に対して熱意があるわけではないので、
    大人になってからはもっぱら、母親が好きだと言った
    井上陽水やちあきなおみを好きになりました。

     

    歌謡曲全般が好きなのかと言われるとそうではなく、
    歌えるのはちあきなおみだけです。

     

    井上陽水は、母親がテープをたくさん持っていて、
    よく家で聞いていました。
    それにテレビでもよく観ていて、
    かなり自然な流れで好きになりました。

     

    大学生の頃、いわゆる「フェス」というものに憧れ、
    血迷って1人で野外フェスに行ったことも、
    大雨のなか野外フェスに行って呆然としたこともありますが、
    今となってはもう二度とできないと思います。

     

    FUJI ROCK FESTIVAL、通称フジロックは、
    大学生なら一度は憧れる野外フェスでしょう。
    最初で最後のフジロックへ行ったとき、わたしは会場まで1人で行かねばならず、
    わいわい楽しそうな声が響くバスの中で、身を縮めて座っていました。
    外は荒天。大雨でした。

     

    会場は荒れていました。
    至る所に泥の水たまりができ、雨が小さな川となって流れています。

     

    わたしは途方に暮れました。
    なんで来てしまったのだろうと。
    家で本を読んでいるべきだった。来るべきではなかった。
    そう強く後悔しました。
    ポンチョやサンダルで雨対策はしてきましたが、
    悪天候のフェスが初めてだったので、心が折れそうでした。

     

    一緒に行く予定だった彼が夜にならないと来られなかったため、
    1人でこの大雨と泥と孤独と戦わねばなりませんでした。

     

    雨の野外フェスの一番つらいところは、
    足元の悪さよりも、座れないことです。

     

    このとき事前にネットで情報収集して得た
    「フェスに行く人たちはみんな優しい」という言葉に惑わされ、
    大雨のなか、誰か折りたたみ式のイスを貸してくれないものかと周りを見回しましたが、
    そんな人は誰もいませんでした。

     

    野外フェスに1人で行く猛者がどれほどいるのかわかりませんが、
    今のようにSNSが必須ではなかった頃は、
    木に引っかかったままゆらゆらしている風船のように、
    なんともいえない浮遊した孤独を感じたものでした。

     

    昼からじきに夜になり、小雨になってきて、
    そのとき環境系?というのでしょうか、
    歌のないビヨンビヨンビヨヨーンみたいな旋律を聴きながら
    宇宙の広さについて思いを馳せたのが懐かしいです。

     

    フェスはもう無理ですが、
    海外の夏によくやる、クラシックの野外コンサートに
    いつか行ってみたいなぁと思いつつ、
    アイスで涼をとる今日この頃です。

     

    みなさんは何味がお好みでしょうか。
    バニラアイスは偉大です。