茶色のセーターの回

個人的にこの何ヵ月かは色々なことが立て続けにあって、
心身ともにハードスケジュールでした。

 

わたしおつかれさまでした。
よくがんばりました。

 

○年ぶりに部屋の大掃除をして
捨てた捨てた。
バンバン捨てました。

 

こんなに着ない洋服があったのかと驚くほど
捨てまくりました。
本当はリサイクルに回せたらよかったのだと思いますが、
そんな時間もなく、ひたすら無心で捨てました。

その中に小学生のときに着ていた服だの、
中学生のとき着ていた服だの出てきて、
あぁEAST BOY流行ってたな〜とか
やたらセーターを伸ばして着てたな〜とか
走馬灯のようにめぐる思い出たち。

 

昔、学級委員をしていたわたしですが、
校則にあったセーターの指定の色にどうしても納得がいかなくて、
反抗していた時がありました。
反抗期だったんですね!

 

指定の色は「黒、紺、白」のみ。
でもわたしは茶色が着たかったんです。
茶色のセーター、可愛くないですか?

 

その頃、わたしはなぜ「黒、紺、白」がよくて、茶色がダメなのか、
よくわからなかったんです。

 

決まりごとに、わかるもわからないもない。
そうかもしれません。
校則とはそういうものかもしれません。

 

でも、当時のわたしは納得できないことはしたくない頑固な生徒でした。
そこで、校則違反承知で、「茶色のセーター」を着ていきました。

 

俗に生活指導と呼ばれるものを担当する先生がいるわけですが、
そのタグチ先生に「待ちなさい、」と呼び止められました。

 

「その色はどうした?」

 

自分より小柄なタグチ先生が、いつもの陽気さを封印して、
わたしの目の前に立ちはだかります。

 

「茶色です」

 

見ればわかることをわたしは答えました。
タグチ先生はため息をついて、その色はダメだと言いました。

 

「なんで黒や紺や白がよくて、茶色がダメなんですか?」

 

思春期という時期は、妙な熱におかされ、
どこか浮ついた気持ちに支配されるものです。
自分が大軍に立ち向かう勇猛果敢な一兵士のような気持ちになり、
敵陣の中で正々堂々と正論を述べるような高揚感でそこに立っていました。
わたしは敵将・・・じゃなかったタグチ先生をまっすぐ見つめました。

 

「放課後、職員室に来なさい」

 

タグチ先生はそう言い残して去っていきました。

 

教室に入ると、やれなんで茶色なのか、やれこっぴどく怒られたのか、と
しばらくわたしの周辺はにぎわっていましたが、
やがて授業が始まるとそれも静かに収束していきました。

 

わたしはずっと落ち着かない気持ちで、
固い木の椅子に座りながらぼんやり黒板を見ていました。

 

そして放課後。

 

再びタグチ先生のところへ行くと、
こっちへ、と小さな事務室に通されて、なにかあったのかと聞かれました。

 

いきなり校則をやぶってくるような生徒ではなかったので、
家庭や、友達関係や、つまりそういうなにかでの躓きがトリガーとなって、
今の行動にでたのだろうと思われたのです。

 

わたしは正直に、何もありません、と答えました。

 

「ただ、茶色のセーターが着たいだけなんです」

 

タグチ先生は困った顔をしていました。
そして沈黙し、もう帰りなさいと母親のような口調で言いました。

 

それからしばらくして、新しい生徒手帳が配られ、
校則のページをパラパラと見ました。

 

「セーターの色は、黒、紺、白、茶色とする。」

 

茶色・・・?
わたしは驚いて、タグチ先生のところへ急ぎました。

 

「あなたのために変えたわけじゃないから」

 

少し怒ったようないつもの調子で、タグチ先生はそう言いました。
わたしは何か言うべきかと思い、ありがとうございます、と一礼しました。

 

タグチ先生は、黙っていました。
ほんの一瞬、微笑んだような気がしましたが、定かではありません。

 

でも、この戦いでの戦利品だったはずの茶色のセーターは、
とうとう見つかりませんでした。

 

ただ3年生のときの学生証明書の写真は、
そのセーターを着て写っています。

 

現在を未来と反対にさかのぼっていけば過去になるはずですが、
過去を、今、リアルタイムで感じることはできません。

 

でも、思い出のなかに過去は過去として息づいているとしたら。
時が止まったその中で、過去が確かに存在しているとしたら。

 

まだ、あの頃のわたしがあのセーターを着たままそこにいるから、
今、茶色のセーターが手元に現れないのかもしれないと、ふと思ったりします。

 

今年セーターを買うときは、茶色にしてみようかしら。