「場所が、ないからなぁ」

秋は、あったのでしょうか。
72時間ホンネテレビで元SMAPの三人(元SMAPって)と
森くんとの再会を食い入るようにパソコンで見たり、
トランプ来日による警備の厳戒態勢を感じたりしていたら、
いつのまにか秋を通り越して冬になってしまいました。
毎年同じことを言っている気がします。

 

同じこと、と言えば。
昔、実家に柱時計がありました。
子供の頃、柱に掛かっていた1mくらいある柱時計を見上げていました。
ほこりをかぶったその時計が、ゆっくりと、
知らぬ間に針を動かした時のギシッという音をいまでも憶えています。
わたしがその時計の存在を気にするようになった時には
すでに現在時刻とは合っていなかったので、
その柱時計はいつからか現在を刻むのをやめ、
柱時計自身の時を刻むようになっていました。
幼いわたしは、時間がちがうよ、壊れているよと父に抗議しましたが、
「巻けば、なおるよ」とか「手巻きだから、な」とかなんとか
言いながら父が巻こうとする気配はいっこうにありませんでした。
父は時計が正しい時を打つ、ということを大切にしているのと同じくらい、
時計が正しくない時を打つ、ということも普通に認めているようでした。

 

家を建て替えた時、その柱時計は処分されてしまいました。
わたしは、父がその時計を残そうとしなかったことが意外で、
また、どこか残念な気持ちにもなったのです。
壊れちゃったんだ、と非難とも落胆ともつかないつぶやきを
父の前で吐いたことがありました。
父は、「巻けば、使えるよ」とどこかで聞いたようなことを言い、
さしたる感傷もなさそうに仕分けしていました。

 

小さい頃は、時間になるとよく「◯◯しなさい」と言われました。
お風呂に入りなさい、早く寝なさい、早く起きなさい。
家にいると時間は思っているよりずっと早く過ぎていき、
ある時間以降は命令を伴うのが煩わしくてしょうがありませんでした。
時間は自分の動きを制限する縄のように窮屈なものに感じられ、
そんな時いつも、デジタル表示される時刻の無慈悲な正確さを疎ましく思ったものです。

 

ある時、デジタル時計の表示が乱れていることに気がつきました。
もうその頃には携帯電話があった頃でしょう。
わたしは何の変哲もないデジタル画面に映る数字がぼんやり薄くなったり、
数字の一部が欠けたり満ちたりを繰り返したりするさまを、呆然と見つめていました。
それは、柱時計が自分の時間をマイペースに打つ
どこか優雅でさえあった動作とは似ても似つかない、
病的な、神経質な痛々しさを感じるものでした。
父は「参ったなあ」と言いながら、
背面の電池パックのフタを外し、新しい電池に入れ替えます。
新しい命を吹き込まれたデジタル時計は、
まるで新入社員のようなピカピカの輝きを放つ黒々とした数字を映し出しました。

 

現実の時から離れ、自分の時を刻むだけだった晩年の柱時計を
どうして父が捨ててしまったのかはわかりません。
でも、わたしは時計を触る父が好きです。
たまに、黒いルーペを目にはめて、時計の裏や文字盤を見ていました。
そういう時に一瞬のぞく真剣な職人の顔は、まるで知らない人のようで、
父には父の人生があるのだと、父には父の時間が流れているのだと、
当たり前のことに今さら気づかされ、胸にひゅっと風が吹きます。
わたしが追いつけない何十年かがあって、一緒に歩いてきた何十年かがある。

 

柱時計は、わたしの知らない父を知っているのです。
やっぱり、捨てないで取っておいてほしかったな。
今度、実家に帰ったら柱時計の話を聞いてみたいです。
わたしが知らない、父の人生のことを。