「回る回」

千葉にある夢の国にはもう何年も行っていないけれど
乗り物のなかではメリーゴーランドが好きです。
でも、コーヒーカップはべつに好きではない。
回るならなんでもいいのかというとそうでもないんですね。

 

観覧車も、好きです。
どこか楽天的でさえあるあの遅さでゆっくり回るのがいい。
メリーゴーランドは、ちょっと腰高の馬に乗れるのがいい。
馬が単純に上下するだけ、それが楽しいのです。

 

「回転木馬」というバレエを観に行ったことがあります。
ドイツのハンブルグ・バレエ団が来日した時にかかった演目の一つでした。
「白鳥の湖」などに代表されるクラシックバレエと違い、
映画が原作という本作は、演劇性が高く、濃密な人間のドラマが展開されます。
それは夫婦の問題であり、親子の問題であり、
労働の問題であり、貧困の問題であり、
人間が抱える悲しみをめぐる美しくてドラマチックな物語でした。

 

人が集う遊園地に昼の顔と夜の顔があることを知ったのは、
思春期だったと思います。
そう、由貴香織里の描いた『残酷な童話たち』というマンガでした。
昼間、家族や恋人たちの笑顔があふれる場所だからこそ、
人気のなくなった夜に漂う気配はどこか暗く、不吉でさえある。
ピエロの泣き顔とも笑顔ともつかない独特な表情は、
おとぎ話の中に監禁された、手足の自由のない子どもだからかもしれない。
遊園地という場所は、表にけっして出てこない
「裏」側への興味をそそられた最初の場所だった気がします。

 

カーニバルや祝祭という空間の二面性を強く意識したのは、
寺山修司のことを知ってからでした。
彼の創る世界は、大学生だったわたしに、野蛮で、血の匂いがあふれ、
淫らで、エロティックな「裏側」=アングラこそが
世界の真実であると強烈に印象づけました。
いつからか、わたしにとって遊園地はただ純粋に遊ぶための場所ではなく、
裏側を覗き込むような場所へと変わってしまっていました。

 

『エスケイプ・フロム・トゥモロー』という映画を観に行った時は、
かなり後悔しました。
夢の国を侮辱してけしからん!とかそういうことではなくて、
単純に映像や内容が怖かったので、
やっぱりホラー映画なんて見るもんじゃないと思ったのです。

 

めっきり遊園地に出向かなくなったわたしが
唯一足繁く通う場所は、劇場になりました。
よく、どうして何度も同じ舞台を見るのか、と不思議そうに聞かれます。

 

わたしはある時から、
「遊園地に何回も行く人と一緒だよ」と答えるようになりました。
3時間もの間動かない座席に座り続け、表舞台をただ見るだけなのに?
いえいえ、舞台は一回として同じ舞台はありません。
毎回新しい仕掛けが出てくるアトラクションに乗るようなもの。
上級者ともなると隠れキャラクターを探したり、
一見華やかそうに見えるその舞台裏を想像して、
永遠に楽しむことができるのです。

 

最近では、座席が360度回転する劇場も出現しました。
となると、
作り物の固い席にまたがり、回りながら宝塚を見る、
そんなメリーゴーランド・タカラヅカシアターが誕生する可能性も、
よもや夢ではないかもしれません。
それまでは、走馬灯を見ないように長生きしたいものですね。

 

野際陽子さんがお亡くなりになったと知り、
「ずっとあなたが好きだった」を見返してみたくなりました。
ご冥福をお祈りいたします。