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ラジオ デイズ
2013年ですってよ、奥さん。
その字面、何となく新鮮な気がしませんか。
と、思ったら、今年は26年ぶりに西暦のすべての数字が異なる年だそうです。
確かに1988年から2012年までは、どれかの数字がダブっていました。
8とか9とか0とか1とか2とか。
まあだからどうした、って話ですが。
平成だってもう25年、昭和でいうと88年だそうです。
末広がり、めでたいですね。昭和じゃないですけどね。
今年もよろしくお願いします。毎年のことですが、正月休みは実家に帰りました。
後期高齢者の父とふたりで過ごします。
寝正月を決め込み、居間でだらだらごろごろとテレビばかり見ていました。
しかし地デジ化以来、夜に私が寝る部屋にはテレビがなくなったので、
今年はラジオを聴いてみました。インターネットラジオのradiko(ラジコ)でです。年末に聞いた話で、驚いたことがあります。
知り合いの親戚の中学2年生が念願のスマホを手に入れたそうです。
その便利さ、楽しさをとうとうと語っていた中学生、その会話のなかで、
「radikoって知ってる?おもしろいんだよ。いろいろ番組とか聞けて…」
「知ってるよ。ラジオが聴けるアプリだろ」
「…ラジオって何?」その子(男子か女子かを聞くのを忘れました、驚いたので)は
ラジオそのものを知らなかったんです。
ネットから流れてくるおもしろい番組や音楽を聴けるアプリがある、
それがたまたまradiko(ラジコ)という名前である、というだけの認識です。
そもそもラジオからradiko、っていうアプリ名になったわけですよね。
コペルニクス的転回です。今の言葉でいうと、ゲシュタルト崩壊ですか。
違いますか。すいません、言いたかったでだけです。
『ラジオを知らない子どもたち』、
もう時代は確実にそこまで来ています。
どんな時代かはわかりませんが。小学6年の時、初めて自分ひとりで自由にできるようになったメディアはラジオでした。
以来、高校を卒業するまで、深夜放送を聴いてさまざまなことを学びました。
特に、水曜1部のタモリと、火曜2部の近田春夫。
この2人の「オールナイトニッポン」で、
現在のわたしの何パーセントかは構成されています。
オールナイトニッポンというくらいですから、ニッポン放送がキー局ですが、
RCCという地元のラジオ局を通して聴いていました。
1部(1:00~3:00)のタモリはRCCでクリアですが、
2部(3:00~5:00)はRCCでは放送しません。
遠くニッポン放送の電波を拾うために、周波数のつまみを合わせながら聞いていると、
結局雑音と眠気に負けて寝落ちしてしまうのが常でした。あれから数十年、ネットで聴くRCCの音は周波数を合わせる必要もなく、
クリアでした。
パーソナリティの方言や昔から変わらない地元企業のCM、
カープ選手の新年の抱負などを
ぼんやり聴いていると、なつかしい気持ちもひとしお。
ウディ・アレンの映画ではないですが、
自分自身の「ラジオ・デイズ」を思い出しました。なつかしい日々を思い出しました。
もうラジオでもradikoでもどうでもよくなって、
オールナイトニッポン1部までも起きてはいられませんでしたが。 -
師走の日々
久住昌之、という人を知ってますか。
最近なら深夜ドラマ化されて人気のコミック
「孤独のグルメ」や「花のズボラ飯」の原作者として自らドラマにも出演していたり、
またエッセイストだったり、ミュージシャンだったり、
いろいろな肩書をもっている才人なんですが、
その目のつけどころがすべてちょっとバカバカしい方を向いているのが好きで、
学生の頃から折に触れ、作品に接していました。
私のオススメは
「近くへ行きたい。秘境としての近所 舞台は”江ぐち”というラーメン屋」
というエッセイと泉昌之名義の「ダンドリくん」です。ちょうど5年前の12月のはじめ頃、彼が調布の小さなレストランバーで
弾き語りライブをするというので、
家から近いこともあって主人と出かけてみました。
作品は読んでいても、生身の彼に接するのは初めてだし、
会場になっていた店に入ってみたら思ったより狭かったせいもあって、
始まる前から何となく緊張していたのをよく覚えています。その店でMに再会しました。
同じようにご主人と来ていたMは大学時代の同級生。
同じクラスで出会い意気投合し、
同じような一般教養の授業を選択し、時には同じように単位を落とし、
再履修を受けたこともありました。
昼は学食で待ち合わせ、夜は飲み歩き、お互いの家に泊り、
いっしょにバイトをさがし、時には同じ人を好きになり…。
お互い地方から上京してひとり暮らしだったこともあって、
十代の終わりから二十代のはじめの頃に、
本当に濃密な日々を過ごしていた友人でした。そんな友人と十数年ぶりに再会したわけですから、
ライブもそこそこに、語り、飲み、食べ、と、盛り上がらないはずがありません。
しかもその日が初対面のうちの主人とMのご主人は、
名古屋の同じ小学校の出身だったことがわかったり、
さらにM夫妻は久住氏とちょっとした知り合いだったこともあり、
調子に乗って著書にサインをもらったり、彼とも話しこんだり。
いくつもの偶然が重なって、何だか本当に夢のような幻のような
ふわふわとした夜を過ごしました。
当然「また飲もう、また会おう」と約束して別れました。
もう電車もなくなっていたけれど、
帰りのタクシーの中で、ちょっと早いクリスマスプレゼントだったのかも、
と柄にもなくロマンチックな気分になったこともよく覚えています。でもそんな約束をしたって、何か月も何年も会わないことなんてよくある話で。
社会に出てから、他人との適当な付き合い方にも慣れてしまっていました。
Mから着信があったのは、それから半年経った5月の夜でした。
飲みの誘いだったらこんな時間から出かけるのは面倒だなあ、
なんて呑気に電話にでたら男性の声で「今朝Mが亡くなりました」と。
ご主人でした。耳を疑いました。
年が明けてから体調を崩し、病院に行ったら癌がわかったという話でした。
それからはあっという間に進行し、Mの携帯に私の名前があったので連絡をした、
他の知っている人にも知らせてほしいということでした。正直その後のことはあまりよく覚えていなくて、
仲のよかった4人の女友達になんとか連絡して、
お通夜にもお葬式にも出席しました。
みんなと会うのも12月にMに会ったのと同じぐらい久しぶりで、
本当に悲しい同窓会でもありました。あの時、久住昌之のライブに行こうと思い立たなかったら、
ご主人からすぐに電話をもらうこともなく、
Mのお葬式には出られなかったでしょう。
師走になると、あのレストランバーの夜を思い出します。
同い年の友人の死を思います。5月の命日よりも色濃く思います。
驚き、悲しかったことはもちろんですが、
事故でも自死でもなく、人は病に倒れるのだと、深く刻み込まれたこと。
12月になると思い出します。
いろいろ面倒がったり先延ばしにしたりしないで、
会える人には会っておいたほうがいいです。
平成中村座にも行っておけばよかったです。 -
ハロウィンの日々
10月も後半の週末、家の近所を散歩していたら
魔女のとんがり帽をかぶったり、ジャックオランタンのかぼちゃをぶら下げたり、
まったく関係のない戦隊もののお面やベルトをつけて
見えない敵と戦ったりしている、子どもたちの集団を見かけました。
「Trick or Treat」、
10月31日がハロウィンであることが日本にも定着したのはいつからなんでしょう。
しかし、昭和生まれの自分はもうひとつ馴染めないのも正直な話。
ちびっ子がはしゃいでるのは微笑ましいけど、
いい大人が浮かれてるのは、と苦笑い。
イベントごとが年々しゃらくさく思えるのは、老化なんでしょうか。
いかんいかん。私にとってのハロウィンは、ジョン・カーペンター監督の「ハロウィン」です。
中学か高校の時に田舎の映画館で観ました。
ググったら1978年公開だそうです。
何かと二本立てだったと記憶しています。
そして最初の目的だったのは「ハロウィン」じゃない方。
しかしそれが何の映画だったのかは全く覚えていません。
ハロウィンの日に現われるブギーマンの恐怖に
すべてが吹っ飛んだことだけを覚えています。
しばらくは教室でもその話ばかりし、無闇に人に薦め、煙たがられていました。
今でこそ監督の名前で映画を観たりもしますが、
当時の何の情報も持たない田舎の学生にはただただ恐ろしく、
ハロウィン=
アメリカのどっかのポーチがあって家の前が芝生になっている住宅街を
マスクをかぶった殺人鬼が獲物を捜して徘徊している、
という刷り込みをされました。
「お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ」、そんな無邪気なイベントではないのです。
ただの陽気なコスプレイベントではないのです。ネイルサロンのおねーさん(もちろん年下ですが)にも
「ハロウィンとかどうするんですかー?」と当然のように尋ねられました。
「いえ、どうもしませんけど。逆にどうかするの?」と質問返しです。
何かするのがデフォルトなんでしょうか。
「ブギーマンに襲われるかもしれないので、その日は家から一歩も出ないんですよ」と
答えたら、主人公のマイケルのように病院に入れられたかもしれません。自分でもやっておいて何ですが、ネイルはもちろん、
つけまつげやウィッグなどが常態化していると、
コスプレに対するハードルも低くなるのかもしれません。
ハロウィンの普及との因果関係、あるでしょうか。ハロウィンが終わったら、街はもうクリスマスのディスプレイ。
それからカウントダウンに、お正月、
そしたら次はバレンタイン、新入社員、花見、ゴールデンウィーク…、
ああ、イベントに動かされている、翻弄されている。
しかし広告の仕事をしていると、
イベントのおかげでメシが食えるのだと実感もする。
もう2013年じゃないか。この前「ハロウィン」を観たばっかりじゃなかったのか。
年月に対する遠近感がおかしくなっている。
年賀状つくらなきゃ、来年のコスプレの準備しなくちゃ。 -
夏休みの日々
秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる、歌丸です。
嘘です。古今和歌集です。
そもそもは立秋の頃に詠まれたらしいこの歌、
21世紀にはそれから一か月以上も経たないと実感が伴わないようになりました。
それでもやっと夏と冬の間の、一年で一番好きなシーズンがやってきました。
冷房も暖房もいらない、この快適さができるだけ長く続きますように。夏と秋がいつ入れ替わろうかと様子を伺いあっている9月の終わりに、
休みをとりました。
何ということはない、ただ実家に帰るだけですが、
もう何年か前から車で旅をしながら、というのが恒例になっていて
行き当たりばったりに近いルーズな旅程を楽しんでいます。
都内から瀬戸内海に面した西の町までには、
名古屋、京都、大阪、神戸、といった大都市はもちろん
さまざまな道や景色や食べものがあって立ち寄る場所には事欠きません。そして本当に今さらながらに感じたのは、スマホの便利さ。
予約していなくても宿はさがせる、食べもの屋も見つかる、営業時間や休業日もわかる、
地図も渋滞情報もSNSも、おまけにシガーライターで充電まで。
去年の夏はまだガラケーだったので、一気にIT革命(笑)です。
これからガイドブックの出版社はどうなっていくんでしょうか、余計なお世話ですが。淡路島に一泊してから鳴門のうず潮を横目に四国に上陸し、徳島ラーメンを食べ、
高松で会社のOBに会ってまた一泊し、
讃岐でうどんをすすり、瀬戸大橋を渡って、実家にたどり着きました。
そして翌日何十年ぶりかで中学・高校の文化祭に行き、
在学時の校長先生やシスターに会ってその記憶力に驚いたり、
憧れていた英語の先生とお互いの変わり果てた姿について嘆きあったり、
卒業以来一度も会っていなかった同級生に遭遇したり、
もっと勝手に恋したり、ラジバンダリ、すっかり思い出酔いです。
車にはどんなに長時間乗っていても酔わないのに。過去をたどること以外にも、この旅にはミッションがありました。
ふとした幸運で手に入れたiPadを
一人で暮らす後期高齢者の父の許に置いてくること、です。
わたし自身には何の知識もスキルもないので、
同行者がWi-Fiの設定をし、無事に使用できたときには感動すら。
一通りのことを伝えたらすぐにいろいろと操作しはじめ、
「これがアップルの言う直観的ってことなのか」と実感。
You Tubeで“フランク永井”を検索して、
聞いたことのないマイナーな曲を口ずさんでいたのには驚きました。
父の歌声を聞いたのは片手で余るぐらいの回数しかないのに…。
歌謡曲好き、You Tube 好きはDNAだとも思いました。
往復2,000キロ、ガソリンを入れまくった甲斐がありました。そして休みも終わり、東京に戻ってきたら、
実家からいつもより頻繁に電話がかかってくるようになりました。
父がテレビ電話と呼んでいる、“Face Time”でです。
この前は画面に隣の家の小学生まで映っていました。
父がドヤ顔でテレビ電話について説明していました。
こんなところにもIT革命です。 -
部活の日々
9月になってしまいましたが、激残暑お見舞い申し上げます。
オリンピックも甲子園も終わり、新学期もはじまったというのに、
また暑さがぶり返しています。
それはさっき朝ごはんを食べたのに「私はまだ何も食べさせてもらってない」と言い張り、
再び食事の用意をさせる恍惚の方にも似ています。
一度夏が来たことを忘れている…。
地球が呆けてきたのでしょうか。あまりの暑さに出歩いてもいられず、涼を求めて映画館に入りました。
「桐島、部活やめるってよ」。タイトルも秀逸ですが、内容も。
原作は未読ですが、映画に関して、ネタバレを避けて言えば、
とある高校を舞台にした“中2病vsリア充、しかし決着はつかず”、
といった感じでしょうか。バーチャルがなかった時代には「リア充」ということばはありませんでした。
リアル、しかなかったから。そういう時代の高校生だった自分にもわかる、
高校時代という特別な季節が、それこそリアルに描かれていました。
不勉強だから知らないだけかもしれませんが、
広告ポスターにもなっている神木隆之介以外はほぼ無名の若い役者たち。
しかしすべての登場人物がもう、「ああ、こんなヤツいたわ」。
バドミントン部、パーマ、キャプテン、映画部、助監督、美人、など
役名なんか覚えなくても説明しやすくキャラ立ちしている。
性別は関係なく、その性格にうなずける。
自分もかつてはその中の誰かだったことを思い出させてくれる。体育館の裏、渡り廊下、放課後、屋上、運動場、購買部、教室の後ろ、坂道…。
スクリーンの中の高校生はもちろんケータイでしゃべり、メールを送っているけれど。
スクリーンの中の季節は初冬だったけれど。
自分は女子高だったけれど。
自分は部活なんてやってなかったけれど。
確かに高校生活、という夏の時代があったことを思い出させてくれました。厳しい残暑で今年の夏はまだ終わりそうにありません。
しかしそれでもいつかは秋になり、冬がやってきます。
ゴッサムシティの続編もヒーロー大集合の3D大作も
獣から生まれたこどもたちのアニメも、
それなりに楽しんだけれど、
後になってもじわじわと思い出すのは、桐島のことだったりします。
いくつになっても覚えている夏の日があるように。機会があったら映画館で観てください。
そして少し話しましょう。ネタバレ部分についても。
まんまとどこかを刺激されたので、
今月、自分が卒業した高校に行ってみようと思っています。
文化祭があるんです。何十年ぶりでしょうか。
それが今年の夏の自由研究の課題です。
そうして夏が終わる予定です。