花の呪い

 

みなさま、あけましておめでとうございます。

 

9連休を認識しないまま仕事が始まったと思うのですが、

これは年末から年始にかけて時空が歪んでいたということで合っていますか?

(???)

まだ、正月ボケしているようです。気を改めて、新年のコピペを。

 

 

12月、部屋に花を飾ることにした。

小学生のとき、実家のベランダに茶褐色の植木鉢があって

母が植物を世話していたが、おそらくその時以来のそれだ。

今回は植えるのではなく飾るので、もっと簡単だけれど。

 

当時のわたしは花の世話など興味がなくて、

たまに母から水やりを頼まれると面倒だな、と思った。

 

そんな自分が花を飾りたいと思ったのは、

おそらく写真を撮るようになった影響が強い。

撮ると言っても、一眼レフとかではなくてiPhoneで撮る程度だ。

 

ここ数年、北海道や秩父のような旅行先から、

道端や公園に咲いている花を見かけては

カメラロールに収めることが多くなったのだ。

 

“花は綺麗”という当たり前のことを実感して、

花を飾ろう、そう思ったのだ。

 

だが、花屋には行かなかった。

定額払えば自宅に花を届けてくれる

お花の定期便なるものを利用することにした。

 

そのサービスでは花を自ら選ぶのではなく、

季節や値段などの条件から提携の花屋さんが毎度見繕ってくれるのだ。

 

ひまわりとか桜のような日本人なら誰でもわかる花は知っているが、

呪文のようなカタカナ表記の種類はよく分からないので、

選んでくれるなら丁度いい、と思った。

 

12月中旬、初めての花が届いた。

平日の日中に配達されていたので、

帰宅すると宅配ボックスに置かれていた。

 

少し厚紙の包装紙を開けると、

長い旅路に疲れたのか、ぐったりしている花が顔を出した。

深夜に帰ったこともあり、何時間放置したままだったろう、

と申し訳ない気分になってさっそく花瓶に生けることにした。

 

はじめて知ったのだが、

水を入れてそのまま差すのではダメらしく、

一度根元を思いきりはさみで切る必要がある。

そうすると、花が根から勢いよく水分を吸い上げるのだ。

そして、付属の栄養剤を水に溶かし、花をさす。

 

最初は葉が下を向いていたが、

しばらくするとちゃんと太陽のある方を向いて

元気に花開いていた。

 

まさに生き返ったような花の姿にとても感動した。

大切にしたいという気持ちが芽生えた。

しまいには、「よかったね~」と話しかけているではないか。

 

アニメやドラマで出てくるいつも学校の花壇を

世話している優等生の子になれたような気分だ。

 

そして何より、花を飾ると部屋の雰囲気が全く違う。

インテリアとしてとらえるならば、部屋の一部が変わっただけだが、

無機物なものに囲まれた部屋に急に自然のものが入ったので、

部屋の空気全体に生命が宿ったような、目には見えない活気がある。

 

花のある生活はこんなにも素敵なのか!

とさらに気持ちも明るくなった。

 

花を買ったからには、1つ任務がある。

できる限り毎日水を変えてあげることだ。

最初は小学生の頃と同じく面倒だと思ったのだが、

自分にとって意外にも良い作用をもたらした。

 

毎日水を変えるついでに、溜まっていた洗い物をしたり、掃除をしたり。

花の置かれている部屋をできるだけ清潔に保とうとする自分がいるのだ。

不思議である。

 

逆に考えると、花をどうでもよく放置し始めたら

私の生活が荒んでいるというサインになるかもしれない。

 

生き物を愛でるという点では

ペットのような動物も同じではあるが、

きれいにしようとする行為は植物ならではのような気がする。

丁寧な暮らしを無意識にしようとしている。

 

なんとなく始めたお花の定期便。

思ったよりも自分の生活に呪い(まじない)のような効果を与えている。

多少のお金はかかるが、2020年は花のある生活を続けてみようと思う。

 

 

おわり。