聴く人
音楽はCDで聴く時代からストリーミング配信される時代になった。
曲をちゃんとフルで聴くには相応のお金を払わないといけなかったのに、
今では自分に馴染みのない曲もアーティストも気軽に聴けるもの。
定額制のシステムではあるが、シングルCD一枚にも満たない額で
無限に音楽が聴けるようになったというのも過言ではないと思う。
小学生の頃はお小遣いじゃ到底買えなかったCD。
聴きたいと思う曲がたまったら、ツタヤに行ってアルバムを5枚くらいレンタルする。
家に帰って、パソコン内にまとめてインストールするのが自分の中に音楽を入れる術だった。
まとめて借りたアルバムは曲数が多いから、読み込みに時間がかかる。
パソコンが熱を発しながら、ウィーンと音を立てる。
読み込みが終わると、トースターから焦げ目のついたパンが焼きあがるように、
カシャっと音を立ててディスクトレイからCDが勢いよく飛び出る。
その作業を数回繰り返す。読み込みが終わったら、ウォークマンにコピーする。
たまに洋楽のCDをパソコンに入れると、曲の情報が読み込まれず
不明なアルバムと表示されてしまう。
曲にはトラック1、トラック2、トラック3…のように数字が順番に割り当てられるだけ。
編集が面倒なのでタイトルを打ち込まず、何の曲かよくわからないまま聴いていたりもした。
今考えると、とんでもなく面倒だ。考えられない。
というか、この面倒な作業を数年ぶりにして今の便利さにとことん感動した。
わざわざツタヤに行って借りた星野源のアルバム。
そのとき星野源は配信サービスに曲を出さない有名アーティストのひとりだったが、
今年の夏になって配信を解禁したのだ。
これから先、レンタルショップに行くこともそうそうないだろう。
そして最近のバズ動画をきっかけに、私は未来の便利さに若干の恐怖を感じている。
わたしと同じ年代の人間であれば大体が聴いたであろう、YUIという歌手がいる。
以前はシンガーソングライターとして活動していたが、今ではFlower Flowerというバンドを組んで音楽を続けている。
そんな彼女が先日、札幌の狸小路でゲリラ的に弾き語りをしている動画がTwitterで話題になった。青春どんぴしゃり、な世代のアーティストがそんなワクワクすることをしたものだから、嬉しさや現場にいた人へのうらやましさで反響は大きかった。
その出来事が頭の片隅に置かれつつ、イヤホンをつけて通勤していた。
アマゾンミュージックのアプリを開き、端末にダウンロードしている曲をシャッフル再生する。2曲目でYUIの曲が流れた。
何百曲あるうちでたまたま当たったのか、もしくは普段は流れても気にしていないだけで動画のことがあって意識できたのか。
「ちょうどYUI聴きたかったんだよなぁ」と学生時代の青春に浸りかけようとしたところ、ハッとした。
これはアマゾンミュージック側が意図して選曲しているのではないか?
実は今朝バズったばかりの動画をトレンドとすでに認知しており、「お前ら、YUI聴きたくなっただろ?」的なタイミングで流しているのでは?
わたしのプレイリストは既に管理されている?
聴いているのはなく、聴かされているような感覚に陥った。
考えてみればネットの買い物は、私たちの購入履歴や閲覧履歴からおすすめの商品を勝手に紹介してくるし、一度不動産や旅行関連のホームページを開けば、グーグルの広告はそれ一色になる。情報を探しに行く時代から、情報が勝手に来てくれる時代になりつつあるのは間違いない。
CDをパソコンで読む工程が不要になった私は、いずれ気になる曲を検索すらしないようになるかもしれない。スマホの上で何かを検索する、その指の動きさえ面倒と感じるのかもしれない。きっとそうなる。
便利さと引き換えに、人間として怠惰な部分が大きくなっていくのはちょっと怖い。
けれども、その怖さも怖さと感じなるくらい無意識に怠惰になっていくのだろう。
夏の野外ライブは蚊に刺されないか心配になるね。
おわり。