有名アイドルのファンになれない。

 

選挙の時期が近づくたび、政治に関する教養のなさを痛感するゆとりです。

最近は、Twitter等で知識のある方たちが誰にでも分かりやすいように情報をシェアしてくださるので有難みの極みです。

 

選挙と言うと、AKBの総選挙がふと頭に浮かぶほど社会現象になっていた時期があることを思い出します。

最近思うのは、少し前で言う前田敦子や大島優子を推してたファンの人たちはめちゃくちゃ“強い”のではないか、ということ。

 

先日、前から気になっていたアイドルのライブに初めて足を運んだ。

布教したいので紹介すると、シンガーソングライターの大森靖子が率いる「ZOC」という6人組グループだ。

大森靖子単体でも知る限りぶっ飛んでいるのだが、「ZOC」では横須賀のヤンキー、少年院上がりなどこれまた常識外れのメンバーを揃いに揃えており、ゆとり的に今までにないビビッと来たアイドルなのである。

 

メジャーデビューも果たした彼女らだが、実際に活動している拠点はホールやスタジアムのように何千~何万人というキャパシティではなく、大きくても数百人程の小さいライブハウス、いわゆる“箱”だ。

 

 

なぜ箱の話をするのかと言うと、学生時代から色々なライブに行き始めて気になりだしたのは会場の規模だったからだ。

最初は東京ドームやさいたまスーパーアリーナのような最大級のキャパクラスで有名アーティストを観に行っていたのが、最近は箱にも足を運ぶようになった。

 

圧倒的に違う距離感。誰かが叫べば、ステージに立つ人間に声が届く距離。

話すまではいかなくとも、はっきりとコミュニケーションを取っている感覚。

それを体感してから、いやその前から大きいキャパではおうちでテレビを見ている感が否めない。

遠くで何か起こっていて、それを遠めから見ている少し冷めた感じ。

 

基本的にそれでもライブは楽しいのでかまわないのだが、これがアイドルとなると途端に難しくなりそうな気がした。

個人的にはあまりアイドルにそこまでハマったことがないのだが、その1つの理由としてアイドルとファンの距離感が分からないというのがある。

ここで言うファン(推す人たち)はある程度の時間と金銭をかけて活動する人を指して使います。

 

 

アーティストが曲を魅せるのに対し、アイドルは曲以上にその人を魅せる。

(もちろんどちらも曲と人がいて成立しているので片方だけということはない。)

だからアイドルの場合、その人に「会いに行く」ということに意味があるのだと思う。

実際に「ZOC」のライブに行った後はまた「会いに行きたいな」と思ったし、顔と顔が認識できる距離にいるというライブの実感もすごい。

 

だけど、超人気のアイドルの場合はどうだろう。嵐のようなジャニーズ、AKBグループ、ももクロなど。

まず、会場の規模が大きい。

よほど良い席じゃないと近くで見られないし、同じアイドルを推す人間がたくさんいて自分が埋没する。

私がここにいなくても世界は回る、そんなちょっとさみしい気持ちになる。

 

 

つまり、自分がこのアイドルに対して貢献しているという実感を得にくいのではないだろうか、と考えてしまうのである。

そういう見方からすると、AKBグループにおける人数の多さは「なるほど」と思う。

たくさんいるメンバーの中から自分の推しを探す。

数あるメンバーの中から自分が選んだという特別感がある。

 

逆を言えば、少し前のAKBでは前田敦子、今人気の乃木坂であれば白石麻衣をミーハーではなくガチで推す人たちは、私からしたらいろんな意味(主にメンタル面)で“強い”のである。

もちろん、昔から推していたアイドルが徐々に人気が出始めてそれが嬉しくて応援し続ける人も多いと思うが、割と人気が出てからだとハマるのって難しくないのだろうか。

その結果、ゆとりのようなミーハーが生まれるわけですが。

 

いや、そういう状況など関係なく人気アイドルは新規ファンの心をも掴んでいくのだろう…。

そもそもファンからすれば、好きゆえに全力で応援しているからそんな心配は毛頭ないのかもしれない。

こういうややこしい考え方をしてしまうので、追っかけには向いていないみたいだ。

やはりアイドルは家のテレビ、もしくはYouTubeで眺めるくらいがちょうどいいのかもしれない。

 

 

先日の参院選はちゃんと投票に行きました。

ようやく選挙も自分事になってきて、ちょっぴり成長した気がする。

 

おわり。


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