ムーミンじゃないよ。

 

 

え…寒くないですか?

 

ついこの前まで、猛暑に殺されかけていたというのに、
10月半ばに風邪を引き、この冬を乗り切れるか不安なhagimiです。

 

 

 

9月終わり

ユーミンこと松任谷由実が音楽配信に舞い降り、

キター!(古)となったのは、私だけではないはず。

 

朝の通勤でユーミンを聴ける、なんて贅沢。

 

わたしの好きなロックユニットのツイッターにも

浮上したり、最近なにかとユーミンに縁がある私。

 

久しくテレビをザッピングしていたら、

ユーミン特集なるものが組まれていました。

(本当は、関ジャニ∞が映っていたから止めました)

 

 

番組内で、ユーミンの歌詞作りについておもしろい話がありました。

 

突然ですが、

普段の会話で、もし友人が別れ話をしたら

みなさんはなんて返しますか?

 

 

「なんで別れたの?」

 

 

って最初に聞くのではないでしょうか。

 

ユーミンの場合は、

(別れ話をしたときは)

「どんなお店にいたの?」

「何を飲んでいたの?」

と聞くそうで。

 

つまり、出来事の間、

相手がどんな風景の中で、

どんな行動をとっていたのか、

具体的な情報を聞くわけです。

 

別れた時に言われたセリフを歌詞にしてしまうと、

当人だけの話になってしまうが、

情景というのは、リスナー自身が体験を重ね合わせる「余白」があると。

 

ふむふむ、「余白」ねぇ…。

深いけど、なんだか難しい。

 

例として、番組で紹介されていた

「ダイアモンドダストが消えぬ間に」

という曲の歌詞を一部引用します。

 

はじめまして 碧いラグーン

紅珊瑚のトナカイたち

貿易風に運ばれて来た

二人だけ真夏のクリスマス

愛してるとスノーケルで

ガラス越しにパントマイム

フィンをゆらしてあなたの影が

サファイアの中吸い込まれてく

Diamond Dust 幾千の泡を見送って

時がとまってた海の底

Diamond Dust 幾億の波を見上げたら

なぜか思いきり泣けた

 

 

この部分の歌詞で表現されているのは、

恋人同士が仲良くダイビングをしている、という情景です。

 

このようなロマンチックおしゃれ体験をしている人は、
多くはないと信じたいですが、これと同じでなくても

リスナーは自分の中にある別の思い出と置きかえて聴ける、
というわけなのです。

 

なんだか、この考え方、コピーに似てるかも!

そう思いました。

 

コピーの場合、ここまで情景に寄れないですが、

「自分事にさせる言葉」と考えると一緒だと思います。

 

広告は、見る側が関係ない話だ、と受け取ってしまうと
その時点でコミュニケーションが終了してしまいます。

 

音楽の歌詞もきっと、聴く側の経験やそのときの心情にそぐわなければ
スキップされてしまう。

 

大して聴いてなかった曲が、何年後かになって急にはまるのは
そのときは自分事化できないけど、何年かたった今では自分事になる、
ということじゃないかと。

 

思い出を入れるスペースがある、というのは文字屋として
とても学ぶべきお話でした。

 

ちなみに、歌詞でダイビングの情景が表現されているわけですが

書いたユーミン自身はダイビングの経験はなく、

歌詞を書くためにたくさんの関連資料を読んだのだとか。

 

私も!仕事でやるよ!それ!と。

 

友人との会話における取材力もですが、

こうやってプロアーティストも、想像力のために情報収集している。

ユーミンが普通の人と同じような努力をしている、というので少し勇気が出たり。

 

 

歌詞の世界は、コピーと同じく奥が深い。と思いました。

 

 

こういう話をすると、めちゃくちゃユーミン通かと思うかもしれませんが

恐ろしくミーハーなので、これからもっと聴いていこうと思っています。

 

ユーミンの曲、400曲以上あるらしく…(とんでもない数)。
1日1曲聴いても、1年が過ぎてしまいます。

 

何から聴こうか、

まずは、大好きな「春よ、来い」を聴いてから考えます。

 

 

おわり。


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