おやすみ自由

 

吹き抜ける風が暖かくなるに連れ、花粉が舞う季節になってきました。

わたしは花粉症ではありませんが、聞いた話だと今は症状なくとも

花粉はからだに蓄積されていき、ある一定のリミットを超えると発症するそうで。

時限爆弾みたいでとても恐れています。

 

暖かさが増す前に、冬の余韻に浸らせてください。

 

 

千葉にある夢の国に行ってきました。

大学で長崎から東京に上京した友人が

「人生で一度も行ったことがないから行ってみたい」

そういう理由でした。

何度も訪れている自分にとってはとても新鮮なお願いでした。

 

ところがどっこい。まさかの大雪。(雨女を通り越して、雪女…。)

家のカーテンを開けると、朝からしんしんと雪が降っていました。

テレビからは繰り返し大雪警報が仰がれ、

行く気がどんどんそがれていくのですが、

いざ着くとはしゃぐタイプの人間でよかったと思いました。

 

天候状態がよろしくない日だったので、

ショーも含めて屋外のアトラクションは運転中止になりました。

 

何度も来ているわたしはあまり気になりませんが、

初めて来た友人には、タイミング悪くて残念だなと思いつつ、

限られたアトラクションを順々に乗っていきました。

 

でも、友人は雪なんて関係なしにとても楽しそうで。

帰るころには、私も満足していました。

思い返すと、天気がいい日に行ったときよりも満足度が高かったと思うのです。

 

 

自分なりに考える理由は、

待ち時間が少なく、長時間並ばずに済んだこと。

そして、乗れるアトラクションが少なかったことです。

 

普通の日であれば「これも乗りたい、あれも乗りたい」となるところが

運転中止だからしょうがないね、と。あきらめるしかないのです。

 

あきらめる、というとネガティブな意味に思うかもしれませんが、

あきらめるは古語では、「明らむ(あきらむ)」と言い、

「物事を明らかにする」「はっきりさせる」という意味があります。(ここでへぇボタン)

ちなみに古語では、断念するといったネガティブな意味は含まれていません。

 

雪による運転中止で、乗り物の選択肢が絞られる。

やりたいことが複雑さから解放されてシンプルになる。

気持ちがラクになって充足感が生まれたのだと思います。

なぜ気持ちがラクになるかというと、選択肢がないというのは裏を返せば

選択するという考えを捨てることができるからです。

こういうとき、ちょっとホッとするようなうれしさがあります。

 

 

先日歯医者に行ったときのこと。

そこでおすすめされた歯ブラシがよかったので、帰りの会計で注文しました。

そしたら、受付の方に「何色がいいですか?」と5色くらいバーッと出されて。

歯ブラシひとつ選ぶのにも我々は自ら選択しなければいけないのです。

そのときのわたしは5色の中から1色だけ決めればいいのですが、

ドラッグストアに行くとそうはいかない。はてしないバリエーションの歯ブラシが陳列しています。

 

選択するということは、多かれ少なかれ頭を使いますし、

それが自分にとってベストかどうかも人は無意識に考えています。

そして、このような場面に1日何度でくわすことか。

昔に比べて自由で豊かな今、選択する決定力が必要とされる…。

だから、あきらめるしかない瞬間が訪れると荷が下りたような気分になるときがあります。

 

気にならないし、そこまでの気持ちになる?って思うかもしれません。

こだわりのあるものならいいですが、本当にどっちでもいいと思うことだと

誰か決めて~~~!ってなりませんか。

これがおかあさんからの「今晩の夕食なにがいい?」質問だったら、

間違いなく嫌な顔をされるんですけどね。

下手したら「なんでもいいんだったら今晩夕食なしね」って言われますよね。禁句です。

 

 

たまには、選択できる自由という責任から離れて

メニューが3つくらいしかない定食屋かラーメン屋に行きたいです。

 

写真は、ランチメニューが1つしかなかったお店のオムライス。

(コリドーにあるよ)

 

おわり。


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