限定を肯定

日本人は「限定」に弱い、とよく言われます。

 

僕もその例にもれず「限定」と書いてあるだけで
思わず目をとめてしまう側の人間です。
さして価値があるモノやコトじゃないと、頭ではわかってはいる。
けれど、ついつい反応してしまうんですよね。
こういう仕事をしているくせに随分チョロいなあ
と自分でも思いますが、気になってしまうのだから仕方ない。

 

元々は本当に価値があるものに使われていたのに、
いまや、胡散臭さがつきまとう「限定」。
僕の中では、けっこうネガティブな印象がある言葉でした。
もしかしたら、世の中的にもそんなイメージなのかもしれません。
ただ、ずっとネガティブな捉え方しているのもかわいそうですし、
いい機会なので、ここいらでいっちょ肯定しておいてやろうかなと思います。

 

まずは、ベタに限定品。
粗悪な限定品もあるだろうけれど、
ちゃんといい限定品だって当然あります。
CD単体の通常版とDVD付き限定盤なら、
そりゃ後者が欲しくなるというものです。

 

タイムセールなんて、直接的に良さがある。
たまに○天なんかを覗いた時にやってると
得した気分になりますよね。

 

あと、たとえば、漫画家や小説家の人とかは
締切がないと作品が世の中に出ないですよね。
締切って、ようするに期間の限定なわけで。
つまり僕らが楽しみにしている作品は
限定によって生み出されているというわけです。
もっと言うと、限られた期間の中でつくるからこそ、
おもしろくなっているのかもしれません。

 

ちょっと変わったところだと、
青春なんかも限定の賜物と言えそうです。
限られた時期にしか存在しないからこそ、
不思議なありがたさというか、価値が生まれる。
もし青春が期間限定じゃなかったらどうなるでしょうか。
いい大人になってからも
「おれは青春真っただ中だ!」
と言い続ける人がいたら、
「そういうの、もういいから」としか思えません。
実際世の中にはめちゃくちゃ沢山いそうですけども。

 

桜だって、限定だから良い。
年中咲いていたらありがたみが薄れてしまいます。
卒業シーズンの感動も半減してしまうでしょう。
というか、ずっと咲いているなんて、
それはもはや桜じゃない別のなにかです。

 

期間の限定=旬
と考えることもできると思います。
やっぱり、旬っていいものじゃないですか。
逃したくないじゃないですか。
旬のものは率先して食べていきたいじゃないですか。

 

流行だっておんなじです。
たとえ一時的なブームだとしても、
チェックしておかないと話についていけなくなります。

 

とまあ、半ばムリヤリに「限定」を肯定してきましたけど。
あえて「限定」にのっかって楽しむのが吉だと本当に思うのです。
だって、その方がおもしろいですからね。

 

今回は、そんな感じです。