SMAPの日々

あれからぼくたちは何かを信じてこれたかな♪
あの頃の未来にぼくらは立っているのかな♪
名曲ですよ、スガシカオ作詞。
もう夜空ノムコウ側を結構遠くまで来てしまったような気がします。

 

早いもので、
この「コピペ」というブログがスタートしてからもう6年になります。
冒頭の4行は、わたしがその5回目に書いた文章とまったく同じです。
その回のタイトルは“あの頃の日々”、というものでしたが、
文字通りあの頃はこの曲を歌っているSMAPがこんなことになるなんて
思ってもみませんでした。
あの頃の未来に立ってない、思ってたのと違う、
なんていう実感はきっと誰しもあるでしょう。
そして今それを強く感じているのは誰よりも彼ら自身かもしれません。

 

わたしは彼らのことが好きでした。過去形です。
その理由はいろいろありますが、
そのひとつに結成25周年とも28年とも言われる彼らの活動の歴史と
わたしの社歴がほぼ同じ、ということがあります。
ブレイクする前の6人組だった頃の彼らが、
アシスタント的に出演していたバラエティ番組に
「音松くん」というコーナーがありました。
6人それぞれに色+松という役名がついていて、
木村拓哉は「赤松」と名乗って、コントを演じていました。
親近感を覚えたわたしは彼を意識しました。
見ているうちに、10代の、少年から青年になる特有の輝きに惹かれ、
ファンになりました。
多分その頃彼はまだキムタクとは呼ばれていません。
そしてこのエピソードが、色のついた名前という考え方が、
のちの村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』に
大きな影響を与えたのです。嘘です。
ともあれ、1960年代に連載が始まった赤塚不二夫「おそ松くん」と
現在ブレイク中の「おそ松さん」の間には
「音松くん」があったことを覚えておいて損はないでしょう。
得もありませんが。

 

そしてそこから木村拓哉はドラマに出演して人気を得、
他のメンバーより一足先に知名度を上げ、キムタクになり、
SMAPの絶対的エースとして、一見の客を呼び込み、他のメンバーを牽引し、
結果的にSMAP全体のステイタスを上げました。
国民的アイドルになった彼らですが、
昭和の時代に一世を風靡した、ザ・ドリフターズにはなれませんでした。
ただ一点、解散という結果においてですが。
たとえ楽屋では目を合わせないほどこじれていたとしても、
ファンの前ではにっこり笑って歌って踊っていてほしかった。
今年のはじめの生放送での騒動に対する謝罪会見で、
わたしたちはどんなに繕っても画面からにじみ出る不仲を目撃しました。
アイドル、という仮面がとれた瞬間を目撃しました。
そして事態は鎮静化したかに見えたのに、
結局先日のリオオリンピックの最中の解散発表です。

 

それからは堰を切ったように、ジャニーズ事務所のお家騒動が報道され、
これまではよほどの芸能事情通でなければ知らなかった、
マネージャーの名前や事務所のシステムなどが次々と白日のもとに。
芸能人が夢を売る仕事だとしたら、
きらきらとしたステージの裏側を見せるのは得策ではないでしょう。
事務所が誰かを守るためにそれを許しているのだとしたら、
終わりの始まり、にならなければいいと思います。

 

2016年をもって解散するSMAPは、
結果的に平成を生きたアイドルということになってしまいました。
滅多なことは言えませんが、天皇陛下の生前退位の問題など、
平成、という時代が終わりを告げようとしているのかもしれません。
解散、しなければならないのかもしれません。
今年もあとわずか4ヶ月、SMAPとともに、考えることがありそうです。