雨の日々

「雨降りをよろこぶ幼い子の姿 新しい傘 赤い長靴」。
なぜか今でも覚えている、確か高校の頃に授業で詠んだ俳句です。
絵のうまい友だちが句に合わせて
可愛らしい幼児のイラストを描いてくれ、
他のいくつかの作品とともに教室の後ろに張り出されたと記憶しています。
わたしにも体に余る大きな傘をさして
雨の中を歩くことを楽しいと思った幼い頃があり、
長じて真面目に国語の授業にのぞみ、
課題に取り組んでいた高校生の頃もあったのです。

 

あれから何十年…、雨の日は苦手です。傘を持つことが嫌いです。
午後からの天気予報の降水確率が80%でも、
出かける時に雨が降っていなければ傘は持ちません。
折りたたみ傘ももってのほか。あれをカバンの中に忍ばせている人を見ると、
なんて器の小さい人間だろう、と思っていました。
潔く雨に濡れればいいじゃないか、と思っていました。
もちろんただの偏見です。
同じようなことをエコバッグにも思っていた時期があります。
通勤カバンの中からエコバッグを取り出した男性を見て、
ちょっとしたショックを受たことがあります。
まだスーパーのビニール袋が有料化されていない頃の話です。
丁寧に折り畳まれたそれはことさらに節約や真面目の象徴に思え、
タバコを吸い、酒を飲み、
キリギリスのようなふざけた生活をしていたわたしは、
そういった小さな正義感のようなものに拒否反応を示していました。

 

その頃のわたしは、
若かった、というか青かった、成熟していなかった、と今では思います。
昔の人は言いました、「備えあれば憂い無し」。
結局、予定外のゲリラ豪雨にも折りたたみ傘で立ち向かい、
会社帰りにエコバッグ持参で近所のスーパーに寄り今日のお買い得品を買う、
そして使った小さな傘や袋をきれいに畳んで、
またカバンの中に戻せる人に幸せはやってくるのかもしれません。
最後にゴールするのはキリギリスではありません、蟻です。

 

しかし今は反省したキリギリスである
わたしのカバンの中にもエコバッグが入っているし、
時には折りたたみ傘も使います。雨がキライなのは変わりませんが。
今年はわたしの地元に大雨洪水警報が何度も出され、
小学生の頃に川遊びをした河川が氾濫しました。
わたしにはこの川が氾濫した記憶はありません。
本当に驚きました。
気象だけに関わらず、政治でも、経済でも、世界情勢でも、
天変地異と言っても大げさではないほどの異変が起こる中、
人も変わっていかなければならないのでしょう。
昔はよかった、と語るのは簡単ですが、それでは何も改善されません。

 

ヨーロッパでは雨があまり降りません、
だから彼らは傘をあまり持ち歩きません。
たとえ降っても日本の梅雨時のように、しとしとと長く降ってはいないし、
空気も乾燥しているので濡れてもすぐに乾くから、あまり必要ないのです。
以前パリを旅した時、バスの中で、同行した友人が持っていた長傘を指差して、
フランス人のマダムが何か話しかけてきました。
「それは何だ。傘か。とてもキレイで美しいが、傘を持っているのは珍しい」
というような意味のことをフランス語で言っていた…、と思います。

 

雨に関しては、
EUを離脱したことが世界中で議論になっているイギリスでも同様です。
しかし彼らも今後は常に傘を携帯していなければならないのかもしれません。
これから降る雨はすぐには乾かないかもしれないのですから。

 

そしてイギリスと時を同じくして、わたしたちのボスであるコピーライターの先輩が、
会社を離脱しました。離脱、という表現はふさわしくないかもしれませんが。
わたしの精神的支柱であった彼の不在は、この後のヨーロッパに、
実はボディブローのようにじわじわとダメージを与えるかもしれません。
ともあれ長い間お疲れさまでした。本当にありがとうございました。
涙雨。