新宿の日々

3月31日の月曜日、
32年間続いたお昼休みのウキウキウォッチングが最終回を迎え、
有吉弘行に「昼メガネ」というあだ名をつけられた
サングラスの人は新宿アルタを後にしました。
その日はどうしてもリアルタイムで番組を見たくて、
テレビのある会議室でうどんを啜りながら眺めていました。
同じような気持ちで会議室にいた数人の中には、
番組が始まった時にはまだ生まれていないという人もいて
遠くまで来たなあ、と、ひとり感慨にふけっていたのです。
スタート時には紺のブレザーを着た怪しいおじさんだった司会者は、時を経て、
ちょうどその頃満開を迎えたすぐそばの新宿御苑の桜と同じピンク色のジャケットを羽織った、
愛されるおじいさんになっていました。

 

タモリが32年間、ほんの数回の有給休暇をのぞいて
毎週月曜から金曜まで、サラリーマンのように通っていた、新宿という街が大好きです。
10代の終わりから20代の初めの時期に、
地方から上京してきた若者のキャラクターは
住んだ場所によってある程度左右されると思います。
わたしが上京して初めて一人暮らしをした場所は、池袋から地下鉄で2駅のところにありました。
大学を卒業するまで、もっぱらその周辺で何度か移り住み、
当時「埼玉の入り口」と揶揄された、池袋とその周辺が遊び場でした。
出かけたとしても山手線(埼京線はありませんでした)で高田馬場、新宿。
頑張って渋谷までで、六本木、ましてや銀座は別の大陸にある幻の街でした。
今よりずっとそれぞれの街の個性が強く、
まだまだよそ者には敷居の高いエリアがいくつもありました。
池袋的な人間にとって居心地のいい場所は、せいぜい新宿まででした。

 

そして、卒業して初めて勤めた場所は丸ノ内線下りの新中野という中途半端な場所にあり、
以来、乗り換えターミナルである新宿という街が俄然身近な場所になりました。
当時の勤め先の先輩と毎晩のように繰り出した歌舞伎町あたりの飲食店、
それから次の勤め先があった西新宿界隈、そこに都庁はまだ建っていませんでした。
その後は丸の内線の上りに乗って、二十年以上現在の勤め先に通い、
だんだんと自由になるお金も増えてきて、
新宿駅を越えて伊勢丹で買い物をしたり、
バーニーズをひやかしたりできるようになりました。
そしてまた自由になるお金が減ってきたので、
伊勢丹も通り越して、二丁目や御苑あたりでクダをまいたりしながら現在に至っています。
タモリに32年分の新宿があるように、わたしにも同じだけの新宿があります。

 

タモリが新宿を去った翌日、4月1日には消費税が8%になりました。
増税前の駆け込み購入、と称して本当に久しぶりに6か月分の定期券を買いました。
半年後、どうなっているかもわからないのに。
ただそれは新宿を経由する定期券で、
これからもこの街に通えることだけが確かです。