引っ越しの日々

その昔、田舎の高校を卒業して、進学のため上京した時。
今のようにネットもありませんから、
いっしょにやって来た母親と大学の学生課で探した下宿
(アパートとかましてやマンションではありません、下宿です)は、
もう今となっては珍しい外階段を上がった2階で、
階下には鍼灸院を開いていた大家さんが住んでいました。
6畳の部屋と3畳程度のキッチンとトイレのみ、風呂なし、
家賃は2万5千円でした。大体まわりの学生も似たり寄ったりでした。
街角にはあみんの「待つわ」が流れ、
映画館では薬師丸ひろ子の映画「セーラー服と機関銃」が大ヒットしていた、
大体そんな頃のことです。
日用品を揃え、なんとか生活基盤を整え、
1週間ぐらい共に過ごした母親が入学式に出席して実家に帰った夜、
これからここでひとりでやって行くんだ、
というプレッシャーと淋しさと、恋しさと切なさと心細さで
ひとりの部屋で号泣したのを覚えています。誇張ではなく、
本当に号泣したんです。わたしの一人暮らし、東京生活のスタートでした。

 

それから2年後、同じように東京に進学した妹が上京するというので、
いっしょに暮らすことになりました。
2万5千円の下宿から、1LDKのバス・トイレ付き、
確か7万ぐらいの鉄筋コンクリートの部屋に移りました。
1年ぐらいは同居したでしょうか。
しかしわたしたち姉妹はあまり仲がよくないので、
もう何が原因か忘れましたが大げんかをして、わたしが家を飛び出しました。
まだ学生で貯えもなかったので、友人にお金を借りて、
4万5千円のかろうじてバス・トイレが付いているというレベルの
狭くて日当りの悪いアパートに越しました。
誰かから譲り受けたCDラジカセで、
「パール兄弟」や「大澤誉志幸」を聴いて悶々とする日々を送っていました。
この部屋にいた頃に大学を卒業し、社会人になり、1年で仕事を辞め、
プー太郎(今でいうニート?)になりました。
その後、弊社に就職が決まった時も、まだこのアパートに住んでいました。

 

それからいろいろあって、中野新橋の2Kの確か10万5千円ぐらいの
やっぱり下に大家さんの住むアパートで今の主人と暮らし始め、
結婚もしました。
もう世の中は平成になっていました。1990年代の始まりです。
世はトレンディドラマが全盛で、その主題歌がミリオンセラーを連発。
バブルまっただ中で、イケイケどんどんと景気のよかった頃です。

 

そしてまたそれからもいろいろあって、
東京都下の低層マンション、2LDK、14万5千円の部屋に越しました。
今思えば、この部屋に住んでいた4年間が一番楽しかった頃かもしれません。
今が楽しくないというわけではありませんが、確実に若さも体力も小銭もあり、
仕事もこなせたし、両親も健在で元気、
自身の将来に何の心配もありませんでした。
「ロンバケ」が流行り、木村拓哉がイケメン
(当時はまだそんな言葉はありませんでしたが)
の名をほしいままにしていた頃です。

 

そして上京してから6度目の引っ越しが現在の住居。
東京都下の3LDKのマンションで、今もローンを払い続けています。
無事に払い終えられるかわからないので、
終の住処になるかどうかは定かではありません。

 

この5月に弊社も十数年ぶりの大規模な引っ越しを終えました。
千代田区にある立派なビルで、フリースペースもたくさんある
今どきのオフィスです。
心機一転、といきたいところですが、新しい環境になかなか順応できないのは、
年齢を重ねたせいかもしれません。
なんだか出向先に来ているようで、まだ毎日右往左往しています。
そして平成28年の今、巷で流行っているのは何でしょうか。
みんなが口ずさめる同じ音楽や、
昨日あのドラマ見た?と言えるような番組はもうあまりありません。
メールやSNSであらゆることを簡単に共有させられますが、
すべてに共感できるわけでもありません。

 

新生アドブレーンをどうぞよろしくお願いします。
多分わたしにとっては社会人としての、終の住処になるはずです。