島の日々

「ほうか、わざわざ東京から来たんか。それじゃったら、
わしが大悟のおやじを呼んじゃるけえ、港に着いたら、来るのを待ちょおれ」。
岡山県の笠岡港から北木島行き、
出航時間ギリギリに乗り込んだフェリーの船主の言葉に、
わたしたち夫婦は顔を見合わせました。
「どういうこと?」。

 

お笑い通の方ならおわかりかもしれませんが、
冒頭に出てくる“大悟のおやじ”、
と言うのは漫才コンビ”千鳥”のコワモテの方、
瀬戸内海の島出身で、田舎者であることや幼い頃の貧乏エピソード、
エグい備後弁でのトークなどが売りの大悟、そのお父さんのことです。

 

8月の終わり、夏休みをとって、
広島県にある実家に車で帰ったわたしたち夫婦は、ヒマを持て余して、
「そうだ、大悟の島に行こう」と思い立ちました。
そこから割と近い街に育ったわたしでも、
大悟の出身地ということを知るまでは名前を聞いたこともなかった、
人口1,000人にも満たない、コンビニの1軒さえないその島へ、
夏休みのほんの気まぐれで訪ね、
まあ、ぐるっと1周ぐらいして帰ってこようというつもりでした。

 

しかし45分ぐらいの船旅を終え、北木島の小さな港に着くと、
そこにはフェリーの船主の言葉通りに、真っ白なミニバンに乗った
大悟のお父さんが待っていました。最近の千鳥の人気のせいで、
テレビでも見かけることのある、あのお父さんです。
「よう来たのう。へえじゃあ、わしの車の後ろから着いてきてくれえ。
家まで案内するけえ」。
わたしたち夫婦はまたしても顔を見合わせました。
「どういうこと?」。

 

念のため、断っておきますが、
わたしたちはフェリーの船主とも、大悟のお父さんともその日が初対面です。
しかしだんだん事情が飲み込めてきたので、
このあまりにもおもしろい流れには素直に乗っかるのが正しい、と判断して、
白いミニバンの後ろに着いていくことにしました。
小さな島を知り尽くしたお父さんの運転は結構荒っぽく、
着いていくのがやっと。
途中には大悟が出た小学校や、島で唯一の食堂などがあり、
車をとめては説明をしてくれました。

 

そして予想外の目的地となった、大悟の実家に到着。
「わしは車をとめてくるけー、先に家に入っとってくれー。母ちゃんがおるけーのう」との言葉通りに、ご自宅に上がると、そこには大悟のお母さんがいて、
居間に通され、名前も名乗っていないわたしたちに、
冷たいお茶やお菓子出してくれ、もてなしてくれたのです。
ほどなくしてもどって来たお父さんからは、
お手製の大悟の記事の切り抜きや写真などのスクラップ集を見せられ、
お母さんとはまるで東京で働く後輩の仕事ぶりを報告するように、
「大悟さん(初めて大悟のことを“さん”付けで呼びました)も東京でも大人気じゃ。
お笑いライブのチケットも全然取れんのんよ」と、
盛り気味の広島弁で会話しました。
お父さんいわく、大悟が“すべらない話”などでする、
お父さんにまつわる昔の貧乏話などは
「ありゃーのう、大悟が大げさに言いよるけど、まあ大方ほんまのことじゃ」。

 

わたしたち夫婦が北木島で過ごしたリアル“ウチくる!?”のような時間は、
あっと言う間に過ぎていきました。
島と本土を行き来する船は1時間に1本しかないので、
「もう1時の船が来るけー、はよ帰った方がええ」と
突然“ウチくる!?”の終了を告げられ、そそくさと車に乗り込みました。
観光するヒマもなく、本当に大悟の実家に取材に行っただけでした。

 

別れ際にお母さんから「あんたらは運がよかったんよ。
うちらもいつも家におるわけじゃないけーねー。
わざわざ訪ねて来てくれても、会われん人もおるけーねー。
またこっちに来たら寄ってねー」と、
まるで親戚のように言われ、何ともあたたかい気持ちになりました。

 

フェリーの船主さん、大悟のお父さん、お母さん、ありがとうございました。
想定外の旅だったので、
まったくの手ぶらで家にあがりこんですいませんでした。
今度は東京からのお土産を持ってうかがいます。

 

今回の夏休みは、他にもさまざまな場所に行って、
もちろん楽しかったのですが、一番印象に残っているのは、
まったく予定になかった北木島でのエピソードです。
SNSにはアップできない一緒に撮った写真もあります。
興味のある方にはお見せします。
これがわたしの夏休みの土産話です。