嗅ぐ日々

某消臭剤のCMが話題になりました。
ミゲルくんというポルトガル人の少年が朗々とCMソングを歌っているあれです。
最近では歌唱力も身長もほぼ同じくらいの
西川貴教@T.M.Revolutionと共演までしています。
きっとダイスケ的にもオールオッケーだったのでしょう。
それにしてもその消臭剤のネーミングが
あの革命戦士・長州力からきていたことを最近知りました。
世の中にはまだまだ知らないことがたくさんあります。一生勉強です。

 

しかし何もそんなに消さなくても、と思うのは私だけでしょうか。
悪いにおいの場合は「臭い」と書き、
よいにおいの場合は「匂い」と書きます。こちらの場合は「香り」ともつかいます。
悪臭、であり、芳香、というわけです。
煙草のにおい、汗のにおい、口のにおい、タンスのにおい、部屋のにおい、
トイレのにおい、ペットのにおい…、
世の中にはにおいがあふれ、その数だけ消臭グッズがあり、
臭いものにはフタをされまくり、におわないために人が飲む薬まであります。

 

人は大きく2種類に分けられます。
犬派か猫派か、片づけられるかられないか、泳げるか泳げないか、ドトールかスタバか、
綾波レイかアスカか、そばかうどんか、ボケかツッコミか、布団かベッドか、
たらこかシャケか、チャゲか飛鳥か。
そして嗅ぐか、嗅がないかに。

 

梅雨時の生乾きの洗濯物を、何日も放置した布巾を、
明らかに開けてはいけない夏場の3日前のカレー鍋を、
1日中外を歩き回って脱いだばかりの靴下を…。
わかっているのに鼻孔を近づけるタイプの人に親近感を覚えます。
自分がそうだからです。

 

煙草の臭いではなく煙草の匂い、
汗の臭いではなく、汗の匂い、と表記したいわけです、個人的には。
消さずに嗅ぎたいわけです、好きな匂いを。
腕時計の裏の匂いとか、切った爪の匂いとか、聴き終わってすぐのイヤホンの匂いとか…(以下自粛)。

 

プルーストの大作「失われた時を求めて」では
主人公がマドレーヌの匂いをきっかけにして、子供の頃の記憶を呼び覚まします。
街ですれちがった人がつけていた香水の匂いで別れた相手を思い出してどうのこうの、
みたいな歌詞も古い歌謡曲にあったような気がします。
においは記憶と結びついているわけで、
最近やけに昔の夢ばかりみるなあと思ったら、
枕からそこはかとない親のにおいが。
やはり適度な消臭は必要なのでしょうか。

 

夏ももう終わりです。
隣は何をする人ぞ。幻臭でしょうか、秋刀魚を焼くいい香りが。