共有の日々

二つ違いの妹がいます。
今はさすがに二人とも大人になったので、
それなりにコミュニケーションもとりますが、
まあ、そんなに仲のいい姉妹ではありませんでした。
洋服の貸し借りをしたり、いっしょにどこかに出かけたりした記憶はほとんどありません。
同じクラスにいても友だちにはならなかったでしょう。
そんな興味も趣味も違う関係性でした。

 

確か妹が小学校低学年の時です。
ふたりいっしょの子ども部屋には学習机がひとつ。
親戚の誰かのお下がりだったような気もします。
うちが貧しかったわけでもなく、当時はみんなそんなもんでした。
引き出しは段ごとに持ち主が分かれていて、
それぞれ大事な物、今思えばガラクタですが、を入れて、
まあそれなりに譲り合って使っていました。

 

ある夜、妹が寝静まった頃、おなかが空いた姉は、
こっそりと妹の引き出しを開けました。
そこにお菓子が隠してあったことを知っていたからです。
忘れもしません、昼間買ってもらった粒状のチョコレートです。
ポリポリと食べていたら、気配を感じたのか、
なぜか妹が目を覚まし、親の敵のように糾弾されました。
それから何十年、「夜中に姉ちゃんが私のコーヒービートを盗んで食べていた」、
と今でもたまにこの話をされます。
それが、その後仲良し姉妹になれなかった要因のひとつかもしれません。

 

と、以上、前置きが長くなりましたが、
これが本来の?「共有」です。
“わたしたち姉妹は机を共有していた”、わけです。

 

カーシェアリングとかシェアハウスとか、
いつしか、共有は「シェア」に変わりました。
車の貸し借りはともかく、
ルームシェアなんて、極端な場合は見知らぬ人といっしょに暮らすことにもなるわけで、
そんなハイリスクはどんなリターンがあるにしても、
昭和生まれには受け入れがたい。

 

プライベートもオフィシャルも、何でもかんでもみんなで分かち合いましょう、
情報だって共有しましょう。
みんなで「いいね!」ボタン押さなきゃねー、という流れ。
そんなにオープンじゃなくても、とも思いますが。
知ったり知られたりしたいことなんてそんなにあるんですかね。
そのうち二股交際とかも、
「違います、彼氏(または彼女)をシェアしてるんですぅ」、
とわけのわからないイントネーションで肯定されてしまうんでしょうか。
そんな時代になれば塩谷瞬もあそこまで糾弾されずに済んだかもしれません。
きっと早すぎたんでしょう、お気の毒に。

 

やたらとCCの多いメールを見ているうちにそんなことを思いました。
少し疲れているんでしょうか。
こんな時には甘いもの、
夜中になったらトナリの人の机のお菓子を食べてしまいましょうか。
果たして妹の時のように、あるいは塩谷瞬のように、糾弾されてしまうんでしょうか。