ブルーの日々

お久しぶりです。

3月1日の更新を最後に、すっかり鳴りを潜めていた当ブログ。

今回のHPリニューアルに伴い、

巻頭カラー、大増ページでお届けすることになりました。

それはともかく、レイアウトも一新、メンバーも増えたので、

それなりに気を引き締めて取り組みます。

改めてよろしくお願いします。

 

ブログを更新しなかったこの数ヶ月の間に、

わたしの身の回りには長く記憶に留めておきたいような

いくつかの出来事がありました。

そのツートップは5月の「姪の結婚式」と6月の「同窓会の幹事」です。

この何十年間も基本的には自分のためだけにしか生きてこなかった

わたしにとって、人のために心を配ることがいかに大変で大切で、

神経をつかう必要があるかを思い知らされた経験でした、

大げさかもしれませんが。

2つのイベントが終わってから、調子が悪くなっているくらいです。

ただの加齢かもしれませんが。

 

わたしたち夫婦には子どもがいませんが、

姪の結婚式では諸般の事情で

主人が父親代わりに花嫁とバージンロードを歩くことになり、

そのため服装も一般の列席者というよりは、

親族、というニュアンスの強いものを用意する必要がありました。

ちょっとしたフォーマルを着て、ついでにヘアメイクもしてもらったら、

鏡の中には亡くなった母親がいました。恐るべし、DNA。

久しぶりに出席したきちんとした結婚式は心あたたまるもので、

青空に飛んで行った色とりどりのバルーンがずっと印象に残っています。

 

そして結婚式が終わって、ほどなくして芸能人の訃報を聞きました。

わたしが小学生の時にデビューした西城秀樹は、野口五郎、郷ひろみ、

とともに新御三家と呼ばれ、一世を風靡しました。

同じ広島県出身の彼が、脳梗塞を患っていたとはいえ、

わずか63歳で他界したことには、

自分でもびっくりするほどの喪失感を味わいました。今でも味わっています。

熱心なファンでもなかったのに。

それはおそらくデビューした時から、スターになっていく過程、

そしてヒット曲を連発していた全盛期をリアルタイムで

知っている人物だからだと思います。

そしてそのプロセスは、自分自身の人生に重なるからです。

テレビで葬儀の中継を見ていて、

“西城秀樹の弔辞を野口五郎と郷ひろみが読んでいる”、

という事実に泣けました。自分も年をとったとしみじみしました。

 

そして6月に東京で行われた同窓会には、

ゴロー派からひろみ派になったいい加減なわたしと違って、

終始ヒデキ派を貫いたMちゃんもはるばる広島から参加してくれました。

幹事だったわたしにはいろいろと雑用があり、

思ったよりヒデキについて語ることはできませんでした。

それは今でも少し心残りです。

そしてさらに残念なことに、

同級生のひとりが病いに倒れ亡くなったことを知りました。

180人いた中高の同級生の中の初めての訃報、それはブルーな知らせでした。

 

7月に入ってからも、

桂歌丸師匠が亡くなり、

オウム真理教の麻原彰晃らの死刑が執行され、

西日本では未曾有の大雨による被害が拡大。

酷暑による熱中症の犠牲者も増えています。

すべてを同系列で語ることではないかもしれませんが、

風雲急を告げる、平成の終わり、という気がします。

 

ふり向けば あの時の

目にしみる空の青さ思う

悲しみの旅立ちに まぶし過ぎた空 思い出した

 

西城秀樹の名曲「ブルースカイブルー」からの引用です。

平成最後の夏が始まっています。