ヒロシマの日々

広島東洋カープ25年ぶりのリーグ優勝おめでとうございます。
ありがとうございます。
無事にCSも勝ち上がり、あとは32年ぶりの日本一を待つばかりになりました。
それにしても、立ちはだかるのは日ハム大谷。
正直勝敗の行方はわかりませんが、10月も終わろうとするこの時期まで
プロ野球が観られる喜びにひたっています。

 

地上波でのプロ野球中継がすっかり少なくなってしまった現在ですが、
いわゆるリーグ優勝が決まった2016年9月10日は土曜日で、
幸いなことに夕方からの試合はNHKで放送されていました。
仕事が休みの人も多く、たくさんの人が家でゆっくりしながら
中継を見ることができたようで、関東でも視聴率はそこそこ、
こと広島県に限って言えば60%!越えを記録したそうです。
あんなに真っ赤になった東京ドームのスタンドは初めて見ました。

 

紆余曲折を経て古巣に戻ってきた、
ピッチャー黒田博樹41歳、内野手新井貴浩39歳。
優勝が決まった直後の、二人の抱擁や男泣きにぐっときたのは、
何もカープファンに限らないはず。
万年Bクラスを優勝に導いた2人のカリスマの姿、
同じ年代の社会人にとっても、
さまざまな思いが去来した瞬間だったと思います。もちろんわたしも。

 

2016年は広島県にとっては特別な年として刻まれます。
5月、平和記念公園でのオバマ大統領のスピーチには胸を打たれました。
いろいろな意見もあるでしょうが、
1945年8月6日、原子爆弾が投下され、
広島からヒロシマになった街に、アメリカの現職の大統領が訪問したのは
歴史上初めてのことなのですから。
スピーチ全文の英文書き起こしがネットに上げられていますが、
中高の英語の教科書に載せればいいと思います。
そしてカープの25年ぶりの優勝が、
この歴史的な出来事と無関係だとは思えません。

 

優勝からおよそ1週間後のシルバーウィークに、広島に帰省しました。
わたしが育った街は県内とはいえ、
広島市からは車で1時間半ぐらい離れているので、
実はあまり訪れたこともないのですが、
今年は優勝に沸く広島の街をどうしても見たいと思いました。
さすがに全国区でも報道されたような喧噪は落ち着いていましたが、
それでもあちこちでエンドレスに応援歌が流れ、
手描きも印刷物もまじったたくさんの「優勝おめでとう」のポスターが貼られ、
デパートでは店員がユニフォームを着て接客していました。
それも無理矢理着せられたのではなく、
明らかに自前の、思い思いにカスタマイズされたスタイルで。
真っ赤に染まった広島の街を歩くのは楽しいものでした。
何年かぶりに平和記念公園や原爆ドームにも行きました。

 

朝から行列に並んで、優勝記念Tシャツを買ったのを皮切りに、
カープグッズを買いあさりました。
市民球団であるカープは地元の企業によって支えられている部分が大きいので、
いわゆるレプリカユニフォームやキャップ、
メガホンなどのよくある応援用のアイテム以外にも
お菓子、アルコール、米、味噌、漬け物からティッシュ、ラップにいたるまで、
さまざまなアイテムでカープ坊やが微笑んでいました。
帰省でこんなにカープグッズを購入したのは初めてです。

 

2016年がそういう年だったからか、
わたしがそういう年齢になったからかはわかりませんが、
自分の中で広島愛が加速しています。
20代、30代の頃は、あんな田舎には帰らなくていい、と思っていたのに。
地元に帰って、中学や高校時代の友人と昔話やカープの話を、
ゴリゴリの備後弁で話していると落ち着きます。
日本シリーズも、できれば地元で、みんなでわいわい言いながら観戦したい。
もう一度夏休みを、広島の日々をください。