カラオケの日々

誤解を承知の上で言いますが、3.11以来、国内に限らず、
自然災害にさらされた場所の映像を見るのにすっかり慣れてしまったような気がします。
全国的な猛暑で熱中症にかかる人が記録的に増え、
都内で連日のように続く雷やゲリラ豪雨は、隅田川の花火大会を中止に追い込み、
山口・島根をはじめ各地での豪雨は何人もの死者・行方不明者を出し、
抗いようのない自然の猛威が、さまざまな記録をよくない方へ塗り替えています。

 

とはいえ大上段からものを言う気はありません。
ただ毎日金魚鉢の中にいるような湿気の中、銀座通りから松坂屋が消えたのは痛いです。
昭和のお父さんが仕事を終えて、
家に帰る前に寄る止まり木と言われたバーのようなスナックのような存在でした、
私にとっての松坂屋は。
会社から4丁目の交差点を越える旅の行き帰りに、
ちょっと涼をとるのにちょうどいい止まり木だったのに。
再開発され、大規模ショッピングビルに生まれ変わるのは4年後だそうです。
その頃は何をしているんでしょうか。きっとあっという間なんでしょうが。

 

1年のうちで一番いい時期は、「暦の上ではディセンバー」ぐらいかもしれません。
ディセンバー、12月と言えば、もう年末です。
あまちゃんももう終わっています。というか9月いっぱいまでです、あまちゃん。
信じられません。10月から何を楽しみに朝を迎えればいいのか。
その頃には日本中をあまちゃんロス症候群が襲っているのが目に浮かびます。
そしてもし、12月に紅白に出演することまで想定してこのタイトルを付けたんだとしたら、
重ね重ね、クドカン恐るべしです。

 

先日、小さな同窓会のような集まりがあり、
二次会で久しぶりにカラオケボックスに行きました。
女子会というのはおこがましいので、婦人会と称しています。
そこで無謀にも「暦の上ではディセンバー」を選曲した輩がおりました。
誰もきちんと覚えていないので、
Aメロ、Bメロはごまかして、サビだけみんなが声を張るという、
よくあるグダグダっぷりです。

 

松坂屋という銀座通りの止まり木が消えた今、
私はもっぱら新宿の片隅にある真の止まり木でカラオケマイクを握ったりします。
あまちゃんで言えば、梨明日のような店。
そこはスナックという社交場、いや戦場です。
見知らぬ人の選曲に唸り、負けじと選曲の機械を駆使して渾身の一曲を選び出す…。
それがウケた時の恍惚感たるや。
身内しかいないカラオケボックスがぬるま湯なら、
全裸で熱湯コマーシャルに挑むような荒行です。嘘ですが。
コミュ力だのコミュ障だの、甘っちょろいことは言ってられないのです。
歌唱力はさっぱりですが、選曲力には自信があります。
昭和歌謡には人生があるのです。
しかしあまりに濃密なスナックの夜を過ごすと、
「潮騒のメモリー」がノーメモリーになって、次の日は真っ白です。
何も覚えていません。
カラの財布とタクシーの領収書だけがすべてを知っている、真夏の夜の夢。

 

さて問題です、本文中にはいったい何曲の曲名が?