おでんの日々

このブログを書いているのは1月30日。
東京には今年初めてのまとまった雪が降り、
前日からテレビやネットのニュースでは
「明日の朝には降雪が予想されるので、電車の遅延や道路の凍結などに
十分ご注意を。時間に余裕を持ってお出かけください」との報道。
もちろん朝になっても、アナウンサーやレポーターが
「ただいまの新橋駅前は朝方から降っていた雪がみぞれに変わり、
通勤の方の足元を濡らしています。みなさん、足早に会社へ向かっています」と。
雪に弱い都心、の報道は冬の風物詩みたいなもんです。
坂道で滑るサラリーマン、ストッキングにパンプスで寒そうなOLの足元、
凍った路面にタイヤがはまって動けない宅配ピザのバイク、
幼児がつくった雪だるまやかまくら、
この辺の映像は毎年使い回しで何年もいけると思います。

 

雪国の方にしてみれば、赤子の手をひねるような積雪、
あれぐらいで電車が止まったり、滑って転んだりなんて、
ちゃんちゃらおかしいと思われることでしょう。
しかし、西の方で育った人間としては、
やはり雪を見るとうれしくなりテンションがあがります。綺麗だなあと思います。
その日が休みであれば、1日中家に引きこもって、
降り積もる雪を窓からぼーっと眺めていたい。
そしてついでに何かあたたかい食べ物を煮込んだりしてみたい。

 

そうです、実は先日この年になってはじめて、
きちんとした「おでん」をつくりました。
結論から言うと、その仕込みは思ったよりずっと面倒でした。
牛すじのアクをとり細かく切って串に差し、
大根を下ゆでし、ゆで玉子をいくつもつくり、じゃがいもの皮をむき、
ごぼう天や竹輪などの練り物に湯通しをし、こんにゃくの下ごしらえをし、と、
本体を煮込む前の段階で、鍋がいくつもいるのです。
そんな行程に深く考えが及びませんでした。
しかし材料を用意してしまった手前、途中で投げ出すわけにはいかない。
レパートリー的にも他のメニューに応用がきかない。

 

子どもの頃、晩ご飯のおかずがおでんだった時に急降下したテンション。
その日はたまたま降った雪に大喜びで遊んで、
おなかをすかせて帰った夕餉だったかもしれません。
「今日はおかずがないからご飯が食べられない」と母に文句を言ったら、
父から「いやなら食べなくていーい」と猛烈に怒られました。
子どもにはまったく華のないおかずでした、おでん。
しかし本当にすいませんでした、お父さん、お母さん。
おでん作るのめんどくさいわ、大変だわ。
この年になってよくわかりました。
そしてきちんと作ったおでんはとてもあたたかく、しみじみとおいしいものでした。
ごはんのおかずにも十分でした。
というか、別に白米なんて食べなくても十分満たされました。

 

そういうことです。年をとるとわかることがいろいろあるんです。
ちょっとした答え合わせができることがあるんです。
最近、生まれてはじめて自分で「干し柿」を買いました。
もちろん食べたことはありましたが、
それは自分でお金を出してまで買うものではありませんでした。
そしてあまりおいしいとも思ってなかった。
しかしこの冬、八百屋の店先でそれを見つけた時に、
ああ、今この干し柿が食べたい、と強く思ったのでした。
干し柿、は何の答えなんでしょうか。
やっぱり老化、ですかね。酵素が足りない。ドラゲナイ。
セカオワのみなさんもいつか、おでんや干し柿を食べながら
あの頃は若かったなあ、なんて思いだすんでしょうかね。